プロローグ
多くの人が行き交うターミナルの交差点で
同じTシャツを着た女性とすれ違った。
『久しぶりだな』と思わず口をついていた。
『同じ服』を着ている女性は、小首ひとつかしげる事もなく通り過ぎていく。
当たり前だ。
今僕が着ている服は、その女性の服とは別物で
同じ服を持っているというだけで、彼女が僕に対して、何らかのリアクションを興さねばならない理由はひとつもない。
それでも滅多にあることではないし、
某世界的ブランドの大量生産の服であったとしても、同じ服を着た状態の人に出くわした事など、
一度もない。
あの頃を除いては。
ここまで書いただけで、僕は万年筆を置いて天井を見上げた。
ぼくは小説を書いてみたいとずっと思っていた。
伝えたい想いのようなもの
言葉や、思いついたエピソードだけなら
いくつもいくつも持っていたから。
それでも結局のところ、一度として書き上がらなかったのは、文章力がないとか、語彙力に乏しいとかはさておき、とことんアマチュアで中途半端にいい格好しいだったからだ。
お涙が欲しい、感動モノを恋愛で作ろうとすれば
恋人を亡き者にしてしまえば簡単だ。
実際は困難な作業があったとしても、亡き者がいるといないのでは、随分とかわる。と、思う。
ぼくのまわりにおいて、幸いなことに、恋人や友人を亡くしたひとはいなかった。
だから、恋愛物語が、あんなに頻繁に大切な人を失うなんて、実際には、そうはないだろうと思っている。
大切な人を失わせている恋愛物語の結末の多くが、遺されたひとを置き去りにしたままな場合が意外と多くて戸惑う。
『みんな、こんな悲しい結末でいいの?』と。
残ったひとは進むしかない。大切なひとを、どうにか思い出にして先に進むしかない。
自分を大好きで、大切に想ってくれていたひとの願いはきっと、遺してしまう悲しさと、遺した人のしあわせを願うものだと想うから、新しいしあわせに出逢うカタチで、終わりにしてほしいのだ。
とはいえ、実際に大切な人を失ったツラさを見聞きはしているし、だからこそ、もし自分の大切な人を失ってしまったら、と、したくもない想像をする事で、そういった恋物語に共感する人も多くいて、『それから』えお語らずの結末が、意外と多いという事なのだろう。
繰り返し言うが、幸いにもぼくはまだ大切な人を失っていないし、失いたくもない。
だから、フィクションであっても、大切な人を失う物語は書けないし、書きたくない。
本音で言えば、そんな気持ちを知りたくもない。
あまちゃんなのだろう。
プロのカメラマンは悲惨な現場をカメラに収める。
新聞記者は、それを記事にする。
何故?と自己に問うそうだ。
『プロだから』
そういう事だと想う。
では、『まだアマチュアだから』という理由でいい。
ただ、出逢って、当たり前に恋をして
端から見れば何のドラマにもならない、それが『青春』だったとかいう、小説を書いてみようと想ったんだ。
たとえ、それが実話を元ネタにしててもいいじゃないか。
あの頃を、青春だ、なんて言ったら君はきっと笑うだろうから
そうさ
これは、あの頃書いては破いてしまった手紙みたいなもの。
君に届け、と。