02
「そう言えば、奴らが少し気の毒だとは思わないか?」
「え?」
レーベンはふと思い付いたのように同じ質問をコピーしてロイエに投げ返す。ロイエは口元に運んでいたグラスを止め、一瞬きょとんとした表情でレーベンを見つめた。
「路地でお前に始末された連中だよ。」
そう言われて、ロイエはようやく「ああ……あの連中か」と思い出したような顔をした。そして即座に答えた。
「バカな、僕はあいつらに間違って殺されかけたんだぞ。」
「まあ、俺が言うのもちょっとなんだけど……でも奴らも怒りと悲しみで頭が回らなくなった被害者だったんじゃないの?」
「お前は確かにそんなことを言う立場じゃないな……だが、理性を失ったから、自分の不幸と無関係の者を傷つけようとするなんで、そんなのもう獣と同じだ。そういう奴らには僕は同情なんてしないさ。」
そう言い終えると、ロイエは手にしたウイスキーグラスを取り、一口の琥珀色の液体を含んだ。彼の視線は前方に注がれ、その氷のように冷たい瞳は、遠い記憶をたどるかのように、あるいは遥かなる何かを見つめるかのように、静かに揺らいでいた。
「つまり、不合理な奴には同情しないというわけかな。たとえ境遇が悲惨でも?」
「もちろんさ!どんな事情があっても、彼らの行動を正当化する理由にはならん。」
その言葉を受け、レーベンは短い沈黙に包まれた。ロイエの思考を理解しようとすればするほど、その人間との距離の遠さを感じる。
複雑な思考が苦手のレーベンは、こんなことするのは何の意味があるのか自分でもよく分からないが、何となく「こうしてみたほうがいいかも」という漠然とした感覚に導かれていた。
それに対して虚しく感じたレーベンは、諦めたように自分のビールを一気に飲み干した。
「じゃあ、もし俺がいつか理性を失って不合理なことをしたら、ロイエさんも俺を殺すの?」
「さあ、どうかな。顔見知りだし、きっと簡単には手を下せないだろう。」
「それは感動だな。」
「でもそれはそれ、これはこれ。もし本当に必要があれば、やはり俺はやるね。」
「この感動的な時間は短いな。」
「はは……でもそんな状況になるわけはないだろう。何より、お前は酒を奢ってくれるさ。」
「年下に酒を奢らせるなんて、図々しい奴だよな。」
突然、渋く落ち着いた声が二人の会話に割って入った。声のする方へと顔を向けると、そこに立っていたのはこの酒場の店主──ガハンネスと呼ばれる男だった。
しかし、この呼び名はどうやら一部の常連客が勝手に呼んでいるだけのようで、実際のところ、それは一体本名なのかどうか誰も分からない。
老人は外見を見るだけで高そうなウイスキーのボトルとロックグラスを手にしてこちらへと近づき、親しげに二人の会話に加わった。
レーベンの師とガハンネスは旧知で、彼がまだ生きていた時はよくレーベンをガハンネスの店に連れてきた。だからレーベンも自然とここの常連となっていた。
「酒を奢ってくれるなら、誰だってかまわねえさ。」
「レーベン、お前、大人になったら絶対にああいう風にはならんだぞ。」
「安心してください、店長さん。言われなくても、俺はロイエさんみたいな大人には絶対なりたくないもんだから。」
「なんか最近お前ら、僕にめちゃ意地悪してるんじゃない?気のせいか?」
杯を交わすうちに、三人の雰囲気は次第に賑やかになり、笑い声や冗談が飛び交い。傍から見れば、まるで仕事帰りに酒場で語り合う年の離れた仲間同士のようにも映る。
まさか、彼ら実は人の命を奪うことを生業とする殺し屋だなんて、誰も想像できるだろう。
レーベンにとって、このひとときは暴力と罪悪から離れられる貴重な瞬間だった。もし選択の自由があるなら、彼はずっとこんな日々が続いてほしい。
この酒場を訪れる者のほとんどは、社会から一時的に逃げ出したい人間たちだ。盗賊、強盗、殺人犯、亡命者、さらには政治家まで……
隣に座る者がどんな人物なのか、誰も知らないし、知ろうともしない。
皆、同じ目的でこの店に足を踏み入れたんだ。その上で、他人のことを深く詮索する気はなく、詮索されたくもない。
しかし、常連であるレーベン一行は、客たちの外見や言動からその正体を推測することを好んだ。特にガハンネスは、この点で抜きん出ていた。初めて酒場を訪れた客であっても、彼は細かな仕草や特徴から、その人物の正体を驚くほど正確に言い当てることができる。
『なにしろ長く生きてきたから、いろんな人間を目にした。この歳になると、雑談と人間観察がこの老いぼれの数少ない楽しみになったんだ』
レーベンとロイエが秘訣を尋ねると、ガハンネスはこう答えた。
そもそもこの街最大の謎は、この酒場の店長──ガハンネス自身だった。
この街には、ほとんど誰も長く住み着くことはない。十分な資金を手にすればここを去り、あるいは途中で何らかの理由で命を散らす。この土地にとって、誰もがただの通りすがりの旅人でしかない。そして、その旅人たちはほとんど何の痕跡も残さない。だからこそ、ここも「記憶のない街」と呼ばれている。
だが、この「アインナロン」という名の酒場は、すでにここで何十年も営業を続けているという。それなのに、この街には店長のガハンネスがどこから来たのか、かつて何をしていたのか、なぜこんな埃と血にまみれた路地に酒場を開いたのか、あるいは親族がいるのか、誰も知る者はいない。
この店の客の多くも、社会の闇や底辺で生きる重犯罪者たちだ。見たところ頼る者のいない老人が、こんな場所で何十年も店を切り盛りしながら無事でいられるなんて、おそらく彼はただ者ではないことを暗に示している。常連たちにとって、彼は源も行方もわからない煙のように、神秘的かつ魅惑的な存在だった。
「そう言えばロイエさんは、どうして医者を捨てて殺し屋になったんだ?医者の給料じゃ満足できなかったかしら?」
レーベンはほろ酔いの勢いで、突然少し唐突な話題を投げかけ、にやりと悪戯っぽい笑みを浮かべながらロイエの反応をじっと見つめた。
実は、レーベンは本気でその質問の答えを期待していたわけではない。ロイエは自分の過去について語ることをあまり好まないと、レーベンも知っている。ただ単に、ロイエのこの質問に対する反応を見てみたかっただけだ。
ロイエがレーベンの質問を耳にして、まず一瞬呆然とした。そして、「うむ……」と少し考え込むように唸った後、グラスに残った酒を一気に飲み干し、ゆっくりと口を開いた。
「それは多分、僕は命の意味を知りたかったからだ。」
「あ?何それ、中二病?もうおっさんなのに。」
「誰がおっさんだ!まだお前におっさん扱いされるほど老けていねえよ!」
「……いいや、あるだろう。」
レーベンの呼びかけに対し、ロイエは強い不満をあらわにした。代わりにたレーベンは呆れたように、目の前にいるこの成熟しているのか幼稚なのかわからない年長者をじっと見つめた。
二人のやり取りを聞きながら、ガハンネスは面白そうにくすっと笑った。
「でも確かに、あるものを本当に理解したいなら、正面からだけじゃなく、反対面から接触するのも大事だね。」
「つまり、医者として数多くの命を救ってきたロイエさんは、命を反対面から理解するために、殺し屋に転職して命を奪うようになったってことすか?」
「そんな感じだな」
「バカすぎないか。頭のいい奴らみんなこんな変なこと考えるの?それともロイエさんだけか?やっぱ俺は絶対ロイエさんみたいな人間になりたくない……」
「お前最近本当に容赦しないな、このクソガキ……。それにガハンネス、僕の悪口をこっそりレーベンに吹き込むなよ!イメージが台無しだろう!」
ロイエが声を荒げて抗議すると、ガハンネスは平然に答えた。
「わしはただ客観的な事実を伝えただけだ。そもそもお前に『イメージ』なんてあるのか?」
「あるんだよ!僕はずっと、頭が切れて賢くて頼りになるカッコいい先輩のイメージを必死に作ってきたのに!その努力は全部お前にぶち壊された!」
「そんな他人に見せるためにわざわざ作り上げたものは、本物とは言えない。せいぜい偽物だ。客観的な事実に基づいて自分の判断で得たものこそが本物だ。わしはただレーベンが真実に近づくことに手助けをしただけだ。」
「いいや、そいうわけじゃないだろう。時間や場所、あるいは気持ちによって、人が見せるものも、感じるものも、元々変わるさ。だから、僕がレーベンの前で演じた『ロイエ』こそ、レーベンにとっての本物だ!」
ロイエはウイスキーのグラスを高く掲げ、堂々とした口調で宣言した。がハンネスはそれに対して無言の表情を浮かべて苦笑し。この話を始めたレーベンは完全に困惑した顔で二人を見つめた。
「だから、さっきから一体何を話ししていたんだ?何か本物か偽物か、一人の人間にはそんな区別あるかいよ?ロイエはロイエだろ?」
元々はロイエをからかおうとしたのに、結局話が全然理解できない方向に流れていた。二人が自分だけ分からない言葉で盛り上がっているのを見て、レーベンは不満を吹き出しにした。
当事者の文句を聞いて、それまで熱く議論していた二人は一瞬言葉を止め、レーベンを見つめていた。そして、互いに顔を見合わせると、同時に笑い出した。
「そうよね。本物だろうが偽物だろうか、レーベンにとっては関係ないよね。」
「確かにレーベン君にとっては意味のない話だったな。」
「何だよ!俺をバカにしているのか?教育を受けていないから!?」
「違う、違う。それは君を褒めてるんだよ。」
ロイエは新たに満たされたグラスを薄暗いランプの下で軽く揺らし、琥珀色の液体が小さな空間で揺れ、ぶつかり合う様子を眺めた。そして、一気にグラスを傾け、ウイスキーを飲み干した。
「純粋な心を持ち、自分の信じる道を迷わず進み続ける。そんな意志は、本当に強いだ……」
空になったグラスを見つめ、ロイエの目に一瞬、もの悲しい光が宿った。複雑な思いが胸に湧き上がり、彼は感慨深げに呟いた。
「でもな、時間が経ち、年を重ねるにつれて、その強さを保つのもそう簡単じゃなくなるんだ。」
「そんなことをロイエさんみたいなおっさんから言うと、妙に説得力あるな。」
「だからおっさんじゃない!ただの先輩だ!」
さっきまで感傷に浸っていたロイエは、突然また勢いよく反発し、強く否定した。
どうやら彼はこの点について本当に気になるんだ……