8話 南の村に行ってみよう(やることいっぱい)
「よーし、ゆっくり運べー」
「空を飛べるやつ以外は、足場に登るときは命綱つけろよ。安全第一でな!」
金槌の音と共に職人たちの威勢のいい声が響く。今日は晴天。気持ちのいい朝だ。
アマルディでのゴタゴタから五日経ち、グランディール領主館は綺麗な更地になった。今は使える建材を再利用しつつ、新しい領主館を建てているところである。
水まわりも含めて老朽化が著しいので、一から建て直した方が早いとなったのだ。
お値段は相場の三分の二。サービスで宿泊用の小屋まで建ててくれた。ナクト夫婦も建設現場の近くに作業小屋を建てて住み込みで働いてくれるという。
短期間で資材と職人の確保をしたナクトくんもすごいし、噂を聞きつけて出張ってきた職人組合長と話をまとめたシエルもすごい。
ナクト夫婦の恩人ということで他の職人たちの仲介手数料もほぼタダになったし、資材搬入の費用も格安にしてくれるという。ラッキー。人助けはするものだ。
「おはようございます。シエル様、サーラさん」
太陽にも負けない笑みを浮かべたナクトくんが、大判の紙を手に駆けてくる。
彼はシエルと同い歳。まさかの十八歳だった。その歳でもう結婚しているのかと驚いたが、ラスタでは十八歳が成人らしく、就職も結婚もルクセンより早いそうだ。
彼の後ろでは両手にパン籠を抱えたアルマさんが職人たちに朝食を振る舞っている。
彼女はナクトくんより歳上の二十歳。綺麗な栗色の髪と蜂蜜色の瞳を持つ美人だ。大きな商家の出身で、アマルディの商人組合にも顔が利くらしく、生活用品や当面の食料などを格安で仕入れてくれた。
そんな彼女には職人たちも一目置いているようで、今や針仕事の傍ら、現場の裏方の全てを取り仕切ってくれている。
正直頭が上がらないし、とてもちゃん付けでは呼べない。ナクトくんはよく駆け落ちしたな。
「おはよう、ナクト。朝から精が出るね」
愛想良く返すシエルに、ナクトくんが人懐こく目を細める。小柄なのもあって、まるで親戚の子供に接しているみたいだ。職人たちがたらし込まれるのがわかる気がする。
「職人仕事は日が出ているうちが勝負ですから。小屋にご不便はありませんか?」
「ないない。快適だよ。まさか浴室や厨房まで作ってくれるとは思わなかった。仮とは思えないぐらい作りもしっかりしてるし、あれなら領主館が完成しても宿として使えそう」
「それはよかった。協力してくれた力持ちの種族や魔法使いたちのおかげですよ。ヒト種だけじゃこうはいきません。――それでですね、この辺りを測量してみたんですけど」
差し出された紙には領主館から直径二キロ圏内の地形が書き込まれていた。私にはよくわからないが、シエルは理解できたらしい。顎に手を当ててしきりに頷いている。
「二十年前と全く変わってないね。領主館の周りは見た目通りの平地。大河の侵食もなさそうってことか」
「はい。なので、お母様の地図は有効だと思います。北側の森は多少広がってるかもしれませんが」
「そっちの調査は後に回すよ。領主館の解体も終わったし、今日はとりあえず南の村の跡地に行ってみる。その間、現場を任せてもいい?」
「もちろんですよ。早く完成できるように頑張りますね! 領民が増えたら、もっと忙しくなりますし!」
作業着の袖を捲り、ナクトくんが気合い十分に現場に戻っていく。その背中はとても頼もしい。いい職人に出会えてよかった。
「南の村って、最後に離れた領民たちがいた村?」
「うん。再利用できるなら、それに越したことはないからね。農村だったから、南側は農地にしたいんだ。灌漑施設も残ってると思うし。ただ……」
そこで言葉を切り、シエルは私の背後をちらりと見た。
今、私たちが立っているのは宿泊用の小屋と現場の中間。正面には足場だらけの建設現場が、右手側にはエスティラ大河が、そして左手側にはナクト夫婦の作業小屋がある。
そして私の背後――宿泊用の小屋のさらに後方には、聖属性の結界に囲まれたスライムが木柵の中でひしめき合っていた。
どう頑張っても駆除しきれず、とはいえ隔離しない以上は作業が始められず、アマルディの探索者組合にも協力してもらって、追い込み漁みたいに一箇所に集めて外に逃げ出さないようにしたのだ。
ある程度固まっていると分裂も止まるのか、今のところは大人しくしている。そのうち何か有効活用したいところだが、相手はスライム。どれだけ首を捻ってもいいアイデアは一向に湧いてこない。
「跡地が棲家になってないといいわね」
「本当だよ。ここは大河に接してるから、水に惹かれて集まるのはわかるんだけど、さすがにこれは異常だなあ。魔属性に取り憑かれたデュラハンといい、モルガン戦争の影響がまだ残ってるのかもね」
モルガン戦争とは、五十年前にラスタとラグドール王国との間に起こった戦争のことだ。
魔属性に取り憑かれたラグドール王が操る魔物の大群により、ラスタは徹底的に蹂躙され、ラスタに一番近いグランディールも壊滅的な被害を受けた。
魔属性の力の元も魔素だとは一般的に知られていないから、魔属性に取り憑かれるものは元々暴力的な傾向があったり、処刑場や戦場などの不吉な場所に行くからだとされている。
アマルディで暴れていたデュラハンも古戦場のダンジョンに潜っていたそうだ。実際はダンジョンの中の魔素だまりに触れてしまったのだろう。魔の魔素は血が多く流れた場所に発生するから。
「そういえば、ロイは? さっきから姿見えないけど」
「渡し船の業者に乗り物を借りに行ってるよ。狭い領地とはいえ、歩いて回るのはキツイからね」
「馬車までレンタルかあ……」
ため息をついたとき、建設現場の騒音を掻き消す怒号が上がった。
「だから! 商売道具はもっと丁寧に扱えと言ってるだろうが!」
「すみません!」
現場とナクト夫婦の作業小屋の間に作った鍛冶場の中で、怖い顔をしたクリフさんが金槌を振り上げている。
背後には煌々と燃える炉。左手にはノミ。どうも刃先を欠けさせてしまったらしい。顔を真っ青にした猫科の獣人らしき大工がペコペコと頭を下げている。
クリフさんは四十六歳のハーフドワーフ。首都で工房を開く前はドワーフの集落にいたらしいが、詳しくは教えてくれなかった。必要なこと以外は喋らないタイプらしい。
「おお、怖……。クリフさんてザ・職人よね」
「首都でも腕利きの職人らしいからね。道具の扱いには厳しいんでしょ。工房持ちなのによく引き受けてくれたよ」
「人探しでこっち来てたんだっけ。生き別れたお師匠様に似た人がいたとかで。別人だったみたいだけど、戻らなくていいのかな?」
「工房はしばらく閉めるつもりで出てきたって言ってたから、大丈夫なんじゃない? クリフさんが帰りたいって言い出すまで触れないでおこう」
シエルが悪い顔で笑う。繊細な見た目に反して本当にしたたかである。
「お待たせ。借りてきた」
ロイが引いて来たのは西部劇に出てきそうな幌馬車だった。質素な木の荷台に、雨除けの白い布がかかっている。
しかし、荷台を引いているのは馬ではなく、三つ首の魔犬だった。見た目は毛の長いシベリアンハスキーだが、私より大きいので、そばにいるだけで頭から丸齧りされそうな迫力がある。
「豪華だなあ。こんな希少種の魔物便借りてもいいの?」
「ラスタは魔物に忌避感が強いから持て余してたみたいだ。こっちじゃ八本足の馬が主流だし」
驚く私を尻目に、二人はのほほんとケルベロスの毛並みを撫でている。
この世界では懐かせた魔物を労働力として使うことも多い。私も何度か魔物便に乗ったことはあるが、どうしても恐怖を拭い切れなかった。パクッと食べられそうで……。
「……怖くないの?」
「怖くない。俺は闇猟犬の獣人の血を引いてるから、犬系の魔物なら何を言ってるのか大体わかるんだ。今も『やるぜ!』って張り切ってる。名前も貰ってるみたいだぞ。ポチだって」
「ポチ……」
ポチは長い舌を垂らしてしきりに尻尾を振っている。名前を呼ばれたのが嬉しいのかもしれない。
ただのでっかい犬と見れば可愛いと思えなくも……ないか?
「……嫌か?」
ロイの金色の瞳が不安げに揺れる。もし犬耳があったら、切なく垂れているだろう。とても二十四歳の成人男性とは思えない。狼狽える私を見て、シエルが笑みを噛み殺している。
「い、嫌じゃないわよ。大きくて強そうだし、毛並みも立派。お目目もキラキラして、可愛いワンちゃんだわ」
忖度してやや大袈裟に返すと、ロイは自分が褒められたみたいに笑った。
南の村の跡地までは馬車で一時間もかからない。つまりポチならもっと早く着ける。荷台からのんびりと景色を楽しむ暇もなく、私たちは荒れた地面の上に降り立った。
ところどころ腐り落ちた木柵の中には、煉瓦積みの小さな建物が点在している。どれも人の気配はなさそうだ。大河から引いた水路に残された大きな水車小屋だけが、ここが村だったと証明している。
「スライムはいないみたいね」
「嬉しいけど、不思議だな。ここに来るまでにも何匹か見たのに」
首を傾げつつ村の中へ入って行くシエルの後に続く。仮にも護衛として雇われた以上、雇用主から離れるわけにはいかない。
それはロイも同じなのだが、彼はその場に足を止めて辺りを見渡していた。ポチも空を見上げて鼻をすんすんさせている。
「ロイ? どうしたの?」
「……いや、なんでもない。ポチ、お前は村の外で散歩してろ。あまり遠くに行きすぎるなよ」
荷台から解放されたポチが元気よく鳴いて駆け出していく。
躾をされているので、放してもきちんと戻ってくるらしい。遊びに行かせたのは、着いてきてうっかり建物を壊してしまってはいけないからだろう。
村はそこそこ広かった。最盛期には三百世帯が住んでいたそうだ。中央には井戸があり、そこを起点として鍛冶場や集会場などの主要施設が建てられている。
施設の周りには農民たちの家があり、村を囲む木柵の外側には広大な田んぼが見える。典型的な農村だ。
家の大半には何も残されていなかったが、大鍋やおたまなどの生活用品が、さっきまで使っていたかのように置いてあるところもあった。
「どこも二十年経ってるとは思えないわね。ちょっと手入れすれば今にも住めそう。特にこの村長宅なんて、家具もそのままだし」
返事がない。ロイはいつものことだけど、シエルは私の下手くそな話でも何かしら相槌を打ってくれるのに。
首を捻りながら居間の中を見渡す。
シエルは暖炉の前にしゃがみこんで灰を確認していた。何か気になるものでもあるのだろうか。呼びかけると、彼は膝についた土を払ってその場に立ち上がった。
「ごめんごめん。もうすぐお昼だね。ちょっと早いけど、ご飯にしよっか。僕、お腹空いちゃった」
その笑顔はどことなく嘘くさく見えたが――タイミングよくロイのお腹が鳴ったので有耶無耶になった。
いよいよ開拓開始ですが、やることは山積みです。
スローライフはどこへ……?