6話 飲みニケーションなんて嫌いです(アルハラってご存知?)
ラスタ王国は種族混合の国だ。
ルクセンでは同じ種族で固まって行動するのが多いが、アマルディでは段々畑のように連なる白璧の家々の合間で、毛色の違う種族が入り乱れて笑い合っているのが見える。
「十分ぐらいしか船に乗ってないのに、まだ体が揺れてる気がする……」
「春は雪解け水で大河の水量が増して流れが早くなるからね。雨が増える水の季節よりはマシだよ」
シエルに支えてもらいながら、人とうみねこが行き交う港の片隅に降り立つ。
アマルディは大河の中に浮かぶ小島。ラスタとの協定により橋は架けられていないので、ルクセン側から上陸するには民間の渡し船に乗るしかないのだ。
広い茜色の空の下には高い山が聳え立ち、山頂には立派な領主館が見える。
山の中腹にはラスタが誇る魔法学校があるというが、こちらからはわからない。山の向こう側に回れば、積み木の城の如く積まれた赤煉瓦が見えるだろう。
「噂に聞いていたけど、アマルディって綺麗な街ね」
まるで元の世界のアマルフィみたい、という言葉は飲み込んだ。
「大河が南の海に繋がってるから、水運業が活発なんだっけ。ラスタの首都にも引けを取らないぐらい、物資も人も集まってくるのよね?」
「そうだよ。ルクセンとラスタの中継地点だしね。魔法学校があるから技術と学問の街としても有名で、観光業も盛んみたい。対岸のリッカも商業都市だし、ここで揃わないものはないらしいよ」
「うーん、聞けば聞くほどグランディールとの差が開いていくような……」
「言わないでよ、それは。これから発展させていくんだからさ」
苦笑したシエルの隣から、獣の唸り声が聞こえた。まさか、また熊? と身構えたが、ロイのお腹の音だった。
「飯……」
お預けを食らった犬みたいな顔をするロイに吹き出しつつ、アマルディのメイン通りに移動する。
春の観光シーズンなので苦戦したが、なんとか宿を二部屋押さえることができた。もちろん私は一人部屋だ。
「じゃあ、とりあえずカンパーイ! 無事に辿り着けた幸運に感謝と、これからのグランディールの発展を願って!」
シエルの音頭の下、宿屋に併設された酒場で木のジョッキをガツンとぶつけ合う。
私とロイはビール。シエルはササラスカティーというアマルディ名産のお茶だ。色は綺麗な青で、レモンを絞るとピンクに変わるらしい。元の世界でいうバタフライピーだろうか。
元の世界にいたときは飲み会が大っ嫌いだった。ブラックに片足を突っ込んでいたので、それなりにモラルの低い奴が多く、毎回パワハラセクハラが当たり前。新人の頃は何度も泣かされた。
それに対して、シエルはまだ未成年なのでお酒は飲めないし、ロイは黙々とお酒と料理を食らい続けるだけなので気が楽だ。
まだ出会って三日だが、二人には自分に近しいものを感じていた。多数派ではない少数派の匂いを。
「よう、久しぶりだね。最近どうだよ」
「順調順調。お前は?」
「この前リッカの第三公女様に会ったわ。お綺麗だったあ」
「えー、いいわね。ここの魔法学校に入学されてるんだっけ」
「親父ー! 酒お代わり!」
まだ宵の口だが、酒場はとても賑わっていた。いろんな方向からいろんな会話が聞こえてくる。すでに顔を真っ赤にしている人も多いし、これなら声を潜めなくとも変に絡まれる心配はないだろう。
「これからどうするの? 職人を探すって言ってたけど」
「とりあえず、職人組合に依頼を出すよ。仲介料を取られるけど、条件に合った職人を融通してくれる。職人が確保できたら領主館の修理と並行して領地の実地調査と開拓かな。母さんの遺産は引き継いだけど、とても潤沢とはいえないし、一刻も早く移住者を募って税収を上げないと。村を作るにも産業とか……今後どう経営していくかについても考えないとだし」
「いきなり盛りだくさんすぎない? 大丈夫なの?」
「似たようなことはブリュンヒルデでもやってたからね。一から任されるのは初めてだけど」
ブリュンヒルデの子供には幼い頃から家庭教師がついて、領地経営に必要な商業、農業、工業、畜産、魔法学、その他様々なことを叩き込まれるそうだ。
シエルの腹違いの兄二人、姉一人にもそれぞれ別の家庭教師がついて、誰が父親の後を継ぐのか競っていたらしい。さすが貴族。
「だからそんなに落ち着いてるのね。アルより歳下だとは思えないわ」
「アル?」
「あ、ごめん。前にパーティを組んでいた子」
ついうっかり口を滑らせてしまった。突っ込まれたくないので、詳しい情報は出さない。話を避けたがっている空気を察したのか、シエルはそれ以上アルについて尋ねてこなかった。
「特に運用資金の確保は最重要課題だよ。現状、渡し船の運航業者からの法人税しか収入源がないからね」
「……私のお給料と三食昼寝付きってちゃんと保障されるのよね?」
「それはもちろん。僕は優良な領主を目指してるからね」
満面の笑みを向けてくるが、どことなく胡散臭く感じるのは気のせいだろうか。
「今のところ考えなきゃいけないのはそれぐらいかな。ロイは何かある?」
「俺、炉が欲しい」
お肉をもしゃもしゃ齧りつつ、ロイがシエルに答える。
「ああ、確かに必要だね。金属製品は生活に欠かせないし、職人が移住するまで都度外部から雇うのも大変だしね」
「炉って、鍛冶に使う炉? ロイって鍛冶できるの?」
ロイは子供の頃から、ドワーフの夫婦の元に預けられて鍛冶を学んでいたそうだ。シエルの従兄弟なら貴族のはずだが、彼自身は爵位を継いでおらず、領地を持たない騎士階級だという。
ルクセンでは上から皇帝、貴族、一代限りの名誉貴族、騎士、平民、移民と身分が分かれていて、貴族と名誉貴族の間ぐらいにエルネア教団がいる。
騎士には不敬罪は適用されないので、平民の認識としては「ちょっと裕福な家庭」ぐらいだ。
話を聞いていると、父親もとうに亡くなっているみたいだし、なかなか複雑な事情がありそうだが、コミュ障にそれを受け止める技量はないので、さらりと流しておいた。
「なにも移住者を待たなくても、常駐で雇うのはダメなの? ロイ一人だけじゃ大変じゃない?」
「鍛冶職人は大抵自分の工房を持ってるからね。どうしても通いか短期の契約になりがちなんだ。都合よく、修行中かフリーの鍛冶職人がいればいいけど……」
「なんだオラア! てめぇ、ドワーフの癖に俺の酒が飲めねぇってのか!」
急に上がった怒声に、酒場の中がざわめいた。客たちの視線の先には、顔を真っ赤にして立ち上がったヒト種の男と、その対面に座っているドワーフの男がいる。
ここからではドワーフの背中しか見えないが、激昂する男を前にしても狼狽えた様子はない。よほど肝が座っているのか、それとも事情をまだ飲み込めていないのか、ただじっとヒト種の男を見上げている。
「何があったんですか?」
シエルがすかさず近くの客に問う。私とロイには出来ないことだ。客は「俺もよく知らねぇけど」と前置きして状況を教えてくれた。
「あの二人、初対面らしいんだけどよ。同じ職人みたいで、ヒト種の男が『お近づきの印に』って酒を頼んだんだよ。そしたらドワーフが……」
「断ったんですか?」
「俺は酒が飲めねぇってさ。まあ、ドワーフっつったら大抵が酒豪だし、ヒト種の男がガッカリするのも仕方ねぇっつーか。あいつも頑なに断らねぇで、一杯ぐらい付き合ってやればいいのに」
いや、それただのアルハラじゃん。
口には出さなかったが、腹の底から沸々と怒りが込み上げてくる。なんだかヒト種の男が元職場の営業マンに見えてきた。
こうしている間もヒト種の男の声はだんだん大きくなっている。呂律も回っていないし、もはや本人にも何を言っているのかわかっていないのかもしれない。
必死に宥める店主や客たちの言葉も耳に入っていないようだ。男が机から叩き落としたのか、床には飲み物や料理が散乱して酷い有様だった。
「クソがあ! いいから飲みやがれぇ!」
店主の腕を払い除け、ヒト種の男が拳を振り上げる。ドワーフの男は微動だにしない。咄嗟に杖を手にし、男の足元にこぼれた水を凍らせる。
足を滑らせて床に転がった男に、ロイが狼の如く飛びかかった。
闇魔法で全身を拘束して、動けないよう両手で額を抑えている。お手柄だし、正直ざまあみろだが、誰もそこまでやれとは言っていない。
「ロイ、ちょっとやり過ぎじゃない? 相手はヒト種の酔っ払い……」
近寄ろうとした私を、ロイが「来るな」と制止する。
「こいつ、薬やってる。誰か警備隊呼んでくれ。できればヒト種じゃなくて力のある奴がいい」
「え?」
「匂いした。たぶん酒に混ぜてる」
「やっぱりか。断って正解だったな」
この状況においても椅子に座ったままのドワーフが肩をすくめた。
短く刈り込んだ黒髪に、ドワーフらしい長い髭。目つきは鋭くて、ただ眺めているだけでも迫力がある。
ドワーフは長命種で老化のスピードがヒト種よりも遅いから、いくつなのかはわからないが、少なくとも私よりは歳上だろう。古傷だらけの分厚い両手が、これまでの彼の人生を物語っている気がした。
「気づいてらしたんですか?」
シエルが愛想良くドワーフに話しかける。ドワーフは一瞬眉を寄せたが、害はないと判断したのか「まあな」と端的に答えた。どうもロイと同じく口数が少ないタイプらしい。
「そいつ、腰のベルトに金槌を差してるだろ」
ドワーフに言われるまま、床でもがいている男に視線を移す。確かに、元の世界のホームセンターで売っていそうな金槌が差さっている。
「職人と言っていたが、全く使い込まれてない。同業者を装って薬を盛り、金品を奪うのはよくある手口だからな」
ドワーフは世慣れているようだ。見知らぬ人間から勧められる酒には注意しろとルビィにも教えられた。アリステラでシエルに酒を勧められたときも、混ぜ物がないか確認した上で飲んだ。素直に感心する。
「……ん? じゃあ、こいつはあなたから盗もうとしてたのに、自分の酒にも混ぜ物してたってこと? なんで? ジャンキーだから?」
「いや、こいつが料理を注文している隙にジョッキを交換した。飲むとバレるから飲まなかっただけだ」
「おおい! なら、こいつが暴れたのはあんたのせいじゃねぇですかい! やめてくれよお!」
床の残骸を片付けていた店主が悲痛な声を上げる。一番の被害者を前にドワーフは平然とした顔だ。周りの客も自分たちの席に戻っていく。
その場に残されたのは男を押さえつけたままのロイと、机の上に残った料理を呑気に摘むドワーフ。そして、席に戻るに戻れない私とシエルだけだった。
「うーん、この人図太いな」
思わずこぼした独り言にシエルが笑う。
「いいんじゃない。逞しくて。それにしても警備隊遅いね。どうしたんだろ?」
そのとき、店の外で何かが崩れる音がしたと同時に、大勢の悲鳴が上がった。
「誰かー! 誰か来てくれ! 魔属性に取り憑かれたデュラハンが暴れてる!」
熊に続き、また面倒ごとの気配です。




