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4話 なんでこうなった(情けは自分の首を絞める)

 少年が目の前を横切ったと同時に、森から黒い何かが飛び出してきた。

 

 元の世界ではテレビでしかお目にかかったことのない巨体。聞いているだけで死を覚悟する咆哮。熊だ。


 お腹が減っているのか、しきりに涎を撒き散らしている。そして、逃げる少年を追うその両目は血のように赤かった。


「魔属性に取り憑かれてる!」


 この世界では魔属性の影響で凶暴化することを、魔属性に取り憑かれると言う。


 赤目化は典型的な症状だ。極度の興奮状態で目が充血するとかなんとか教えてもらった覚えがあるが、今は悠長に思い出している場合ではない。


 魔属性に取り憑かれると破壊衝動に抗えなくなり、落ち着くまで暴虐の限りを尽くす。つまり、目の前にいるのは理性を失ってリミッターが外れた熊。最悪である。


 少年は土魔法と木魔法が使えるようで、土で防護壁を張りつつ、近くの高い木から枝を伸ばして熊の爪が届かない場所に逃げた。


 それでも熊は諦めない。少年を木から落とそうと何度も体当たりをしている。熊は執着心が強い獣だ。少年をご飯にするまで離れないだろう。


 幸い、熊はまだ私の存在に気づいていない。長杖を地面に突き刺し、手早く魔法紋を書く。こういうときのために、柄の先端を尖らせているのだ。


「熊! こっちを見なさい! ここにも餌がいるわよ!」


 風魔法で舞い上げた石を熊にぶつけて注意を引く。少年が「ダメだよ! 早く逃げて!」と叫んだが無視だ。


 別に善行を積むつもりじゃない。ただ、自分の身よりも相手を心配するお人好しが目の前で食われると寝覚めが悪いだけだ。


 熊はこちらに焦点を定めると、耳が痛くなるほどの雄叫びを上げた。私を獲物と認識したのだろう。今にも齧り付きたいと言わんばかりに舌なめずりしている。


「……女の味をご存知のようね」


 なら遠慮はいらない。ブーツを脱ぎ、素足になって一歩下がる。


「おいで、熊ちゃん。私がほしいんでしょ?」


 挑発に乗って、熊はまっすぐにこちらに向かってきた。木の上の少年が真っ青な顔で森に向かって叫ぶ。


「ロイ! ロイ、早く来て! 女の人が……!」


 続きは熊の咆哮に掻き消された。周囲に眩い白光が迸る。熊が地面の魔法紋に触れた瞬間に素足から聖属性の魔力を流し、魔属性を浄化したのだ。


 その隙に氷魔法で生んだ氷柱で熊を貫く。


 魔属性は他属性を飲み込むが、浄化してしまえば無防備になる。そして、聖属性は他属性の効果を底上げする。勝敗は火を見るより明らかだった。


「えっ……。嘘でしょ? こいつ、この森の主だよ? 熟練の探索者も手を焼いてたって聞いたのに……」


 木から下りた少年が地面に倒れた熊を恐々と見つめる。


 熊は白目を剥いて、舌を垂らしたままぴくりとも動かない。漂ってくる血の匂いを消すために風を起こしつつ、足の土を払ってブーツを履く。


「それなら探索者組合に持っていけば報奨金出るんじゃない? 素材も買い取ってもらえると思うし、旅費の足しにしなよ。私はいらないから好きにして」

「いや、ちょっと待って待って。さっさと立ち去ろうとしないで! こういうときって自己紹介するもんじゃないの? せめて助けてくれたお礼ぐらいさせてよ」

「いえいえ、お気になさらず。私は名もない根無草。風の赴くままに旅を続けるまでですわ」

 

 会社員時代に培った営業スマイルで爽やかに立ち去ろうとするも、少年は巧みに退路を断ってくる。

 

 うーん、しつこい。これはもう魔法で黙らせるしか……。

 

「シエル! 大丈夫か!」


 よからぬ思いを見透かしたように、森から真っ赤な青年が飛び出してきた。比喩ではない。全身血塗れなのだ。


 あまりの凄惨さに、さすがの私もドン引きする。


 一直線にこちらに向かってくる血塗れ青年から逃げようと杖を振り上げたが、いつの間にか背後に回り込んできた金髪少年に柄を掴まれて阻止されてしまった。

 

「ロイ! この人捕獲して!」

「わかった!」


 血塗れ青年は金髪少年に即答すると、犬みたいな俊敏さで距離を詰め、私の両腕を拘束した。その隙に金髪少年が私の杖を奪う。


 ルビィは杖なしでも魔法を使えたが、私はまだ魔法使い歴五年目の新人(ペーペー)。ノーマルスライムがようやくソーサラースライムに進化したぐらいの雑魚だ。杖の補助なしでは上手く魔法を使えない。


「な、なにすんのよあんたらー!」

 

 熊にも負けぬ雄叫びは、綺麗な春空の中に消えて行った。






「改めて、ありがとうございました! あなたのおかげで怪我ひとつせず済みました。この街の探索者組合長も、とても喜んでいましたよ」


 さっきとは打って変わった敬語で満面の笑みを浮かべる金髪少年と、渋面を浮かべる私の間には美味しそうな料理と酒が山盛りになっている。


 ここは熊と遭遇した場所からさほど離れていないアリステラという街だ。東部の田舎には珍しく大きな街で、組合や銀行などの主要施設も一通り揃っている。


 つまり、それだけ人の行き来も激しくて店の数も多いということで、今私たちがいる『青空食いもん市場』と名付けられたフードコートも、頭痛がするほどの喧騒に包まれていた。


「さあ、遠慮せずどんどん食べてください。あっ、もしかしてお魚苦手ですか?」

「いや、好きですけど……」


 人の多いところが嫌いで、とは言えなかった。初対面の人間にコミュ障を喧伝する必要はない。


 どの世界にいても群れで暮らすのが人間だ。メンタル弱弱のはぐれスライムが平和に生きていくには多数派(マジョリティ)に擬態するしかない。


 言葉を飲み込み、ついでに皿に載っている焼き魚の身も飲み込む。元の世界のホッケに似た、ほろほろと崩れる肉厚の白身が舌の上で旨みを主張している。


 それを流し込むように、お猪口に注いだライス酒を口に含む。キリッとした辛みが口の中の脂を洗い流していく。


 ライス酒は元の世界でいう日本酒だ。魚に合わないわけがない。だから思わず唸ってしまったのも仕方ないと思う。このために東部を目指してたんだし。


「……美味しいです」

「よかった。東部はエスティラ大河に近い分、お魚が新鮮ですからね。ぜひ食べてもらいたかったんです」

「その口ぶりだと、東部ご出身なんですか」

「僕自身は西部ですが、母の実家が東部にありまして」

「へえ、いいですね。じゃあ、これからお里帰りされるんですか。お母様も喜ぶでしょうね。実家の様子を見に行ってくれる息子さんがいて」


 酒のおかげか、無難に雑談を重ねられている。よしよし、コミュ障にしてはいい滑り出し。


「いえ、母は亡くなりました。その実家を継ぐために出てきたんです」


 ダメだった。もう余計なことは言わない方がいい。口を噤んだ私に、金髪少年が「しまった」という顔をする。


「……紹介」


 助け船のつもりか、金髪少年の隣に座っていた元血塗れ青年がぼそっと呟いた。


 正直びっくりした。ここに来てから一言も喋らず、完全に気配を消していたので一瞬わからなかった。


 探索者組合に血吸い(ブラッディ)スライムを使役している魔物使いがいたおかげで、血は綺麗に落ちている。青年に掴みかかられたときに汚れた私の服も元通りだ。


 歳の頃は二十代だろうか。私と同じ黒髪だが、目は綺麗な金色で瞳孔が縦に長かった。八重歯も普通のヒト種と比べて大きい。獣人の血を引いているのかもしれない。


 金髪少年もヒト種ではあるが、見るからにエルフの血を引いた美形だし、この国ではなかなか目立つ二人だ。


 今も喧騒の合間に、ヒソヒソと話す声が聞こえる。だから人の多いところは嫌なのよ。


「申し遅れました。僕たちはこういうものです」


 差し出された出生証明書を受け取る。初対面の人間にいきなり個人情報を晒しすぎじゃないかと思ったが、誠意の表れとして捉えておくことにした。


 元血塗れ青年の名はロイ・シュバルツ。二十四歳の魔法戦士。


 魔法戦士はアルみたいに魔力を剣にまとわせて戦う魔剣士とは違って、魔法と体術を組み合わせたトリッキーな戦い方をする。


 倒した熊を闇魔法で生んだ闇の中に収納していたから、ロイは闇属性で確定だろう。森の中の爆発音が彼の仕業だとすると、おそらく他の属性も持っている。


 黒のタートルネックの上に着たカーキ色のダサい革鎧も、焦茶色のズボンの両脇に佩いた短剣も使い込まれている。その割に指抜きグローブやブーツはさほど傷んでいない。敵の攻撃を受けずに倒している証拠だ。


 私を素早く拘束してこの街に連行……もといご案内していただいたところを鑑みるに、相当腕が立つのだろう。下手に逆らわなくて良かった。


 そして、金髪少年は……。


「シエル・ローゼン・フォン……ブリュンヒルデ⁉︎」


 咄嗟に自分の口を塞いで辺りを見渡す。喧騒に掻き消されて誰にも気づかれなかったようだ。


 シエルは一切表情を変えずに穏やかに微笑んでいる。私の反応を見越してここに連れてきたのかもしれない。


 ブリュンヒルデはアルのアーデルベルト家と双璧を成す公爵家だ。初代聖女と親交が深かったエルフを始祖に持ち、先祖代々魔法学会の要職者を輩出しているという。


 故に帝国議会での発言力も強い。今の皇帝に子が生まれなければ、ブリュンヒルデ家の子供が次期後継者に指名されてもおかしくないと、帝都ではもっぱらの噂だ。唯一、皇位継承権を持つ皇弟は帝都を飛び出して行方不明らしいし。


「……あなたが?」


 心の声がつい出てしまった。無造作に後ろで結んだ金髪といい、その辺の服屋で売っていそうな白いシャツと茶色のベストといい、とても貴族の御曹司には見えない。


「今の僕はシエル・グランディールです。それ以上でも以下でもない。元ブリュンヒルデといえども、僕はヒト種ですからね」

「あ……」


 笑顔とは裏腹に、瞳を曇らせたシエルに言葉を失う。


 この国ではエルフとヒト種が幅を利かせているが、特にエルフが持て囃される分野がある。それは魔法だ。


 ブリュンヒルデ家は代々魔法学に携わる家系。たとえエルフの血を引いていても、ヒト種では寿命も魔力も太刀打ちできない。


 グランディールはこの街よりもさらに東の辺境の地だ。管理が放棄されてからは領民すらいないと聞く。


 そこを継ぐということは、きっと……。


「それでですね、あなたに……だ、もらいたいと……て……ど……すか?」


 はっと意識を引き戻す。いけない、いけない。すぐに自分の考えに没頭するのが私の悪いところだ。


 何と言われたのかわからなかったが、とりあえず適当に頷いておく。「聞いてなかったのでもう一度言って」と正直に言えるスキルは私にはない。


 しかし、次の瞬間、私は己の浅はかさを後悔することになる。


「よかった! これで契約成立ですね!」

作中でサーラが「ソーサラースライムに進化したぐらいの雑魚」と言っていますが、今まで読んできた漫画や小説から引っ張ってきた知識であり、この世界にはソーサラースライムと名付けられた魔物はいません。理由は16話にて。

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