9話 囮は雇用条件にない!(ないよね?)
「いただきまーす」
居間に残されていたダイニングテーブルにつき、声を揃えて両手を合わせる。ファンタジーど真ん中の世界だが、文化や習慣は日本とよく似ていた。
電子機器がないだけで、文明レベルも十分高い。体感だと昭和中期から後期辺りの水準だろう。歴代の聖女様が頑張ったんだなと思うと感慨深い。
「あー、美味しい。サーラのご飯って本当に美味しいね」
目を細めたシエルが木皿を傾ける。本日のメニューは具沢山ポトフだ。アルマさんが仕入れてくれた新鮮な野菜と、ロイが仕留めてきた猪のソーセージが、クリフさん製の鍋の中でぐつぐつ煮えている。
鍋の下には火の魔法紋を刻んだ銅の鍋敷き。火の魔力の提供者は言わずと知れたロイだ。水はシエルが水属性持ちだったので、気前よく出してくれた。
エルフの血を引いているとはいえ、ヒト種が三属性持ちはすごい。ロイも火と闇属性の魔法の他に簡単な生命魔法を使えるそうだ。
私を加えると、光、雷、魔属性以外は網羅しているし、何気にバランスのいいパーティじゃないだろうか。
シエルがお上品にポトフを口に運んでいる隣で、ロイは無言でバクバク食べている。美味しいかどうかはその食べっぷりを見ていると十分わかる。
料理は私の雇用条件にないが、この二人の作る料理があまりにも不味かったので、自主的に作らせていただいている。甘酸っぱい雑炊なんて二度と食べたくない。
「移住者をどう募るかって考えてるの?」
「大きな街の組合に募集の張り紙を出してもらうんだ。アマルディはもちろん、この辺りだとアリステラとかね。三ヶ月以内に来てくれて、五年以上住んでくれる人には支援金を出す。ここはアマルディの玄関口だから、人が集まれば商人たちも放っておかないよ。出店希望者には領主館周りの土地を貸して地代をもらう。公共施設の建設にも出資者を募る。税を優遇する代わりに街を作ってもらうんだ。これなら建設費用を削減できる」
すらすらと出てくるシエルに舌を巻く。「本当にしっかりしてるねえ」と嘆息すると、シエルは照れくさそうに笑った。
「手探り状態だから、これが正しいかはまだわからないよ。渡し船の従業員たちみたいに、ルクセン国民だと話は早いんだけどね」
渡し船の従業員たちはアマルディに住み、アマルディの会社で働いているが、国籍はルクセンのままだった。
ルクセンはヒト種とエルフ以外――特に獣人など、魔物とヒト種が交配して生まれた種族には肩身が狭いので、ラスタ国民以外でも長期滞在が可能なアマルディに渡って働くものが多い。シエルが「アマルディは色々と融通が効く」と言っていたのはこれだ。
とはいえ、彼らにとってルクセンは故郷。できるならルクセンで伸び伸び働きたいと思うものは結構な割合でいるらしい。私には故郷を愛する気持ちはわからないが、ことグランディールにおいては好都合だった。
渡し船の従業員たちも、開拓が進んだらグランディールに移住すると約束してくれた。つまり第一領民たちである。
「領民って税収に直結するわよね? 他所から引っ張ってきちゃったら、その土地のご領主様に睨まれない?」
「大丈夫。サーラと出会う前に、周辺の領地にはちゃんと挨拶しておいたから。元とはいえ、ブリュンヒルデ家の人間が頭を下げて嫌とは言えないよ」
黒い笑顔だ。それ以上の深掘りはやめてポトフに集中する。ロイが健闘したので、あっという間に鍋は空になった。お腹が膨れたからか、急に眠気が押し寄せてくる。
「昼寝するなら、ロイの膝が空いてるよ」
ばっちこい、とでも言うようにロイが太ももを叩いたが丁重にお断りする。いくらパーティを組んでいても越えてはいけない一線があるのだ。下手なことをしてアルの二の舞になるのも避けたい。
「じゃあ、僕とロイが見張ってるから寝室で寝てきなよ。危険な魔物もいなさそうだし、護衛の仕事は気にしないで」
やけに親切だが、きっと契約不履行で逃げ出すのを恐れているのだろう。三食昼寝付きが条件だから。
お言葉に甘えて寝室に向かい、風魔法でベッドの上の埃を払って寝転ぶ。
意外と黴の匂いはしなかった。マットレスも台も腐ってなさそうだ。掛け布団がないのは少々惜しいが、贅沢は言えない。長杖を抱き、ローブにくるまるように体を丸める。
一つ屋根の下に男二人と女一人という状況だが、ある程度の信頼は見せないと命など預けていられない。幸いにもシエルとロイは眠った女に手を出すクズ野郎じゃなかったので、部屋に鍵がなくとも安心して目を閉じられる。
ただ、私はまだ測りかねていたのだ。シエルという人間の底の知れなさを。
夢を見ている。
なんで夢だとわかるかというと、何年も前に捨てた人間が目の前にいるからだ。
白髪混じりの黒髪を振り乱して、仰々しい祭壇に飾られたカミサマを一心不乱に拝んでいる。一度だって救ってもらったことなんてないくせに。
「紗夜! 何してるの? あなたも一緒にお願いしなさい。お願いすればカミサマは必ず見ていてくださるのよ」
一体誰にそんなことを吹き込まれたのか。救ってくださるじゃなく、見てくださるというところに欺瞞が見え隠れしている。
私はその場から動かない。動きたくもない。このあとの展開はわかりきっている。拒否する私に、闇よりも昏い目を向けて言うのだ。
お前は感情のない醜い人間だと。
「……さ……お……てよ……!」
何よ。揺さぶらないで。どんなに殴られたって拝まないわよ。あんたのカミサマなんて。
「サーラ! 起きて!」
はっと目を覚ます。やや高いけど、女とは違う声。薄暗い中でも浮かび上がる金髪と緑の目。シエルだ。
嫌な夢を見ていたせいで、状況がすぐに把握できない。心臓が暴れ馬のように跳ねている。その反面、体からは一切のぬくもりが失せていた。まるで血が氷になったみたいに。
「大丈夫? うなされてたけど……」
「……大丈夫」
声は酷く掠れていた。心配そうに顔を覗き込むシエルから目を逸らして、ゆっくりと体を起こす。
同時に両手の下の感触が硬いことに気づいた。抱いて寝たはずの長杖もない。
手放したのにも気づかないほど深く寝入ったのは、ルビィの家を出てから初めてだ。そもそも、さっきまでベッドの上で寝ていたはずなのに、どうして石畳の上で転がっているんだろう?
「私……ひょっとして寝ぼけてベッドから落ちた?」
「違うよ。誰かに捕まえられて、閉じ込められちゃったみたい」
「は?」
目を剥く私に、シエルが黙って頭上を指差す。板張りの天井の隙間から、光の筋が雨みたいに降り注いでいる。
ここはどこかの地下のようだ。春だと思えないくらい空気が冷たく、窓一つない部屋の中には中身のわからない麻袋がいくつも積まれていた。
隅には鋤や鍬もある。どれも使い込まれているが、二十年放置されているとは思えないほど綺麗だった。
「なんでそんなことになってるのよ。ロイは? 見張っててくれるって言ったじゃない」
「ポチが戻って来ないから迎えに行ったんだよ。その間に僕も寝ちゃったんだ。ごめんね」
思わず眩暈がした。いくら危険な魔物が見当たらなくとも、護衛が主人から離れてどうするんだ。実際、捕まってるわけだし。
私たちを閉じ込めた誰かは上にいるらしく、微かに「どうしてこんなことを」とか「だって」とか声が聞こえる。
どうして、は男性。だって、はおそらく少女。他にも複数の足音が降ってくる。どれも落ち着きがなく、無意味に部屋の中をうろうろしている様子だった。
「仲間割れ……してる?」
「仲間割れっていうか、一人が思い余って暴走しちゃった感じだね。そろそろ準備しないと間に合わないから」
「準備ってどういうこと? 何か知ってるの?」
その場に立ち上がったシエルが腰を伸ばしながら部屋の隅に寄る。余裕綽々の様子に、ピンと嫌な予感が走った。
「あなた、まさか私を囮にしたんじゃ……」
「とりあえず、そこどいた方がいいよ。降ってくるから」
サーラのトラウマが垣間見えていますね。
何が降ってくるんでしょう?




