キファム
ラシュプスがトリカサを火炎の壁で囲んでから四時間後、すでに日も沈んだトリカサのとある宿の一室でラシュプスは一人酒を飲んでいた。
ラシュプスたちが兵士たちの命令を蹴った後のエルフ解放は円滑に進み、助け出された二千人程のエルフは現在ジオミスタの指示の下ラシュプスのいる宿からそれ程離れていない場所で待機しているはずだった。
ラシュプスの力を見せられた上に人質による交渉も失敗したと聞いたトリカサの住民たちは驚く程従順で、今日助け出されたエルフたちは明日にはトリカサを離れることになっていたので長期間トリカサに留まるならともかく一日ぐらいならジオミスタをつけていれば大丈夫だろうとラシュプスは考えていた。
本音を言うとトリカサの住民たちにはもう少し抵抗してもらえた方がラシュプスとしては楽しめたのだが、四万近い魔力を使わされたのだからこの程度の結果は当然かとラシュプスは考え直した。
エルフの食生活自体は人間のものと大差無いが、エルフたちは肉をほとんど食べずに酒に至っては避けられてすらいた。
このためラシュプスが酒を飲むのはこの世界に来てから今日が初めてで、この調子だと人間たちを殺し過ぎると生活の質が維持できなくなるなと考えながらラシュプスは眠りに就いた。
そして翌日、魔力が全快していないという状態に慣れないままラシュプスはエルフたちのもとに向かったのだが、エルフたちの今後についての考えは昨夜の内にジオミスタに伝えていた。
ラシュプスとしては今回助けたエルフたちの半数程は部下にしたいところだったが、今回助け出したエルフたちの大半は女、子供で、エルフは人間と比べて特に強い種族というわけでもなかったのでラシュプスはエルフたちに従軍を強制するつもりは無かった。
せめて身の回りの世話をするエルフを何人か連れて行きたいところだったが、これをラシュプスから言い出すと無償でエルフを助けた優しい魔王という評判が崩れるので悩ましいところだった。
とにかく昨夜の内に今後の身の振り方について話し合ったはずのエルフたちの考えを聞こうとラシュプスがエルフの代表数人のもとに向かうとエルフの代表たちはラシュプスに礼を述べ、その後エルフたちの決定を伝えてきた。
助け出されたエルフ全員が戦いを望んでおらず森に帰ることを望んでいると聞きラシュプスは一瞬悩んだが、評判云々を抜きにしても無理に連れて行ってもどうせ士気を維持できないと考えてエルフたちの希望を聞き入れた。
森に帰った後のエルフたちの当面の生活はルキドムに用意させた大量の物資があるので問題無く、さすがにこれ以上の生活の面倒はラシュプスには見ることはできなかった。
このことはエルフたちも分かっていたようで特に文句も言ってこず、このまま朝の内にトリカサを出発しようとしたラシュプスにこれまでラシュプスとエルフたちの話を黙って聞いていたジオミスタが話しかけてきた。
「魔王様、一つよろしいでしょうか?少し面倒なことになってまして……」
「ん?何だ?」
ジオミスタがラシュプスに話しかけた瞬間エルフたちの表情が硬くなり、荒事とは方向性が違う面倒事が持ち上がったことをラシュプスは瞬時に悟った。
そしてジオミスタに案内されたラシュプスが着いた場所にはエルフの子ども二十人程がおり、彼らを見てすぐにラシュプスは口を開いた。
「お前ら全員耳が短いことには触れない方がいいか?」
今ラシュプスの前にいるエルフの子どもたちはこれまでラシュプスが見てきたエルフより耳が短く若干肌の色も違うように見えた。
この時点でラシュプスは彼らの境遇を察しており、そんなラシュプスに子どもたちの中で一番年長の少女が話しかけてきた。
「魔王様の御想像の通り、私たちはエルフと人間の間に生まれました。ですから他のエルフたちと一緒に森に帰っても村には置いてもらえません。ですから一緒に連れて行ってもらえないでしょうか?」
「連れて行くのは別にいいけど俺と一緒にいても安全ってわけじゃないぞ?」
ラシュプスは殺戮も破壊を大好きだが別にこれを誰かに強制するつもりは無い。
このためエルフと人間の混血だという子どもたちを同行させることになったとしてもラシュプスに彼らを無理矢理戦わせるつもりは無かったが、この理屈はこれから先戦う人間たちには通用しないだろう。
こう考えたラシュプスは生きづらくても森に帰った方が彼らのためなのではないかと考えた。
「他のエルフたちと一緒の森に帰りたくないっていうなら離れた場所で暮らせばいいじゃねぇか。ここの連中は脅しておいたし森の奥にいれば大丈夫だろ」
「私たちは森での暮らし方を知りませんから私たちだけでは暮らしていけません。それに私たちを連れて行ってくれるなら一つ提供できるものがあります」
「へぇ、何だ?」
このまま情に訴えてくると思っていた少女が交渉らしきことをし始めたのを受けてラシュプスは楽しそうに笑い、そんなラシュプスに少女は場所を変えたいと伝えてきた。
次から次に場所を移されてラシュプスはかなり面倒に感じ始めていたが、ここまで我慢したのだからと考えて少女だけを連れて近くの建物に入った。
「で、何を提供できるって言うんだ?色仕掛けしようって言うなら十年早いぞ?」
ラシュプスの目の前にいる少女は人間でいうと十代前半の見た目をしており、ラシュプスの趣味からは完全に外れていた。
ここに来る前に少女は他の子どもたちに大丈夫だからと笑いかけていたのだが、彼らは完全に少女が自分たちのために犠牲になるのだと確信した表情をしていた。
このためもし少女が覚悟を決めてラシュプスと二人きりになったのだとしてもラシュプスからすれば自分の評判が落ちかねない現状は好ましいものではなかった。
しかし少女にラシュプスに体を捧げるつもりは無く、少女の提案はラシュプスや他の子どもたちの予想とは完全にかけ離れたものだった。
「私は『奇跡』が使えます。これを使ってあなたの役に立ってみせるので私たちの同行を許してもらえないでしょうか?」
「ああ、そうか。人間の血が流れてるんだもんな。他の奴らの反応見る限り『奇跡』使えるのお前だけか?」
「はい。そしてあの子たちだけじゃなくて他のエルフたちも私が『奇跡』を使えることを知りません」
全く予想していなかった方向に話が進んだことにラシュプスは驚いたが、『奇跡』持ちを部下にできるかも知れないという状況に内心喜んでいた。
「つまり俺の部下になった場合も『奇跡』使えることは隠して欲しいってことか?」
「はい。あまり知られたくない内容の『奇跡』なので」
「ふーん。とりあえずどんな『奇跡』か言ってみな」
「私は心が読めます。……タウンタです」
「おお、まじか」
本当に心が読めるなら自分の生まれた街の名前を当ててみろと言おうとしたラシュプスだったがそれより先に少女に生まれ故郷の名前を当てられてラシュプスは驚いた。
その後ラシュプスは自分が仕えていた国の名前や自分が殺した指揮官の名前を当てさせたのだが少女はどちらも当ててみせた。
「いいぜ。おもしろそうだから部下にはしてやる。他の奴らは料理はできるか?」
「簡単なものなら」
「じゃあ、少しは手の込んだものも覚えてくれ。戦えとは言わねぇけど働かない奴食わせる程お人好しじゃないんでね」
「分かりました。がんばります」
自分が心を読めると伝えた前と後で全く心境に変化が無いラシュプスに少女は少なからず驚いたが、身寄りの無い自分たちが魔王以上に頼れる相手を見つけられるはずがないことは分かっていたので余計なことは言わなかった。
「馬の乗り方とか馬車の操り方はおいおい教えるとしてお前名前は?」
「キファムといいます」
「そうか。キファム、俺はこれからばんばん人を殺していくつもりだ。ついてこれなくなったらいつでも言ってくれ」
「この街ではあまり人を殺さなかったんですね」
キファムは他のエルフたち同様にトリカサの住民たちに憎悪を抱いていたので、ラシュプスがあまりトリカサで暴れなかったことに不満を持っていた。
もちろんキファムはラシュプスがトリカサであまり暴れなかった理由もすでに心を読んで知っていたが、あまり発言を先読みし過ぎるとラシュプスがやりにくいだろうと考えてあえて質問を口にした。
キファムがこの様な気遣いをしたのは普段の会話でキファムが『奇跡』を使っていないことも理由の一つだったのだが、こういった事情を知る由も無いラシュプスは普段通り会話を続けた。
「俺は肉も食いたきゃ酒も飲みたいんでね。人間の街全部焼き払うわけにもいかないだろ。もし殺して欲しい奴がいるなら街出る前に殺してやるぞ?」
ラシュプスにこう言われてキファムは自分の母親を思い浮かべたがキファムが自分の母親を知っているのは『奇跡』のおかげで、キファムの母親はキファムが自分たちの関係に気づいていることを知らない。
このためラシュプスに母親を殺してもらった場合自分の『奇跡』のことがばれるかも知れないと考えてキファムは結局母親の名前を口にはしなかった。
人間の中にも殺して欲しい相手は何人かいたのだが、仮にも上司になる相手、しかも魔王に居場所が分からない相手をわざわざ探させるのは気がとがめたので結局キファムは誰の名前も出さすにラシュプスとの会話を終えた。
森に帰るエルフたちと別れた後、ラシュプスは当面の食材などを積んだ馬車二台でトリカサを離れ、オーガたちの生息地の近くにある街、フリコロを目指して出発した。
ラミアとオーガのどちらを先に助けるかについてはラシュプスとジオミスタの間で意見が別れた。
ルキドムを含む数人から聞いた話によるとラミアは人間の女の上半身に蛇の下半身を持った種族で、下半身を使っての薙ぎ払いこそ強力だが武器を持った兵士なら数人でかかれば問題無く殺せる程度の強さらしい。
それに対してオーガは身長四メートル程の筋骨隆々の種族で武装した兵士でも十人以下では相手にならない程の強さを持っているとのことだった。
これを聞いたジオミスタは先にラミアを助けに行くべきだとラシュプスに提案したのだが、その強さが理由でオーガの殲滅には多くの『奇跡』持ちが投入されていることとオーガの生息地の方がトリカサから近かったことを理由に最終的にラシュプスは先にオーガを助けることに決めた。
ラシュプスは今後のことを考えて最低でも一つの街を支配下に置きたいと考えており、現時点ではトリカサを補給用の拠点にしようと考えていた。
そしてこのためには会話が通じる上に最低限の戦力を持つ部下をトリカサに置く必要があった。
エルフのいる森に人間を送り込んだら今度は街ごと焼き払ってやると脅しはしたもののこの効果がいつまで続くかは分からず、今頃ルキドムは森はともかく近隣の街には救援要請やラシュプスについて知らせるための使者を送っているだろう。
トリカサやその近くの森にブファナ王国の兵士が向かう度にトリカサに戻るわけにもいかなかったのでトリカサを完全に支配下に置くためにはこうした人間たちの抵抗を封じる必要があった。
このための見張りとしてオーガを使いたいとラシュプスは考えており、安定した本拠地は必要だというラシュプスの考えに納得してジオミスタは引き下がった。
ラシュプス一人で飛んで行けば早いのだがキファムを含む二十三人のハーフエルフの子どもたちを置き去りにして人間に殺されても寝覚めが悪く、『騎士団』で召還した影人形(いつまでも兵士呼びでは敵の兵士と紛らわしいということで便宜上こう名づけた)も引き連れていく必要があったためラシュプスはジオミスタたちと共に馬車でフリコロへと向かっていた。
そしてキファムと他一人のハーフエルフの子どもに馬車の操り方を教えながら馬車を進めていた時、馬が突然驚いた様に鳴き声をあげてそれに遅れる形でラシュプスたちは前方に視線を向けた。
「ああ、あれがアンデッドってやつか」
ラシュプスたちの視線の先には鎧を身に着けた死体三十体程が馬車の進路を塞ぐ形で立っており、先頭の馬車が止まったことで異変を察して後ろの馬車の御者を務めていたジオミスタもラシュプスのもとに駆けつけた。
アンデッドというのは死後二日程経過した死体の一部が動き始めた存在で、動いてこそいるが思考能力は無いらしい。
アンデッドは人を見つけるなり襲ってくるもののその動きは遅く、余程大勢で襲われるか不意を打たれない限り戦闘経験など無い素人でも簡単に倒すなり逃げるなりできるらしい。
「これがアンデッドですか。初めて見ました」
「ああ、ちゃんと死体の処理すればまず出ないらしいからな」
ラシュプスたちの前に姿を現したアンデッドたちはゆっくりとこちらに向かって来たが、ラシュプスが隣にいることもありキファムに恐怖を感じた様子は無くラシュプスも特に慌てずにこの世界に来てすぐに助けたエルフやトリカサの人間たちから聞いた話を思い出していた。
アンデッドは死体を死後二日以内に燃やせば発生せず、人間同士の戦争が数日に渡って行われる場合は死体を焼却するための時間が設けられるらしい。
これは多くのアンデッドを放置するとアンデッド同士で共食い(融合とも言われている)を行い強力なアンデッドが生まれるかららしい。
といってもこの様な形で上級アンデッドが生まれることは極まれで、ブファナ王国の近隣では隣国のインバイラ皇国に一体いるだけらしい。
ラシュプスも森の近くで殺した兵士たちの死体はエルフたちに頼まれて燃やしたのだが、数日前のブファナ王国の兵士たちとの戦いの後には特に何の処理もしなかった。
このため兵士たちの死体がアンデッドになったのだろうが、一人でも多くのオーガを助けるために先を急いでいるラシュプスたちに死体になど構っているひまは無かった。
「私が片づけましょうか?」
時折動物や魔獣のアンデッドが現れるためアンデッドを倒す方法は広く知られており、頭部を破壊するか首を斬り落とせばアンデッドはただの死体になる。
このことを人間やエルフから聞いてラシュプスは知っておりこれはジオミスタも同じだった。
このためジオミスタは剣を創り出してラシュプスの指示を待ったのだが、これに続くラシュプスの発言を聞きジオミスタは驚いた。