第七十六話 剣士の秘匿【別視点】
夜。時刻は真夜中を過ぎた頃だろうか。
魔物をおびき寄せることも想定した野営であるため、見張りは二人。
時間をずらしながら一人ずつ休むことにした。
ルカは火を挟んで反対側。
火の熱さで寝苦しくないよう、少し離れた場所で寝ている。
「なんじゃ、ヴァルっ子。ルカ坊には言っとらんのか?」
「んー。まぁ……」
火のエクセリオン。最高の鍛冶師。その名を知らなくても、『ドワーフ』と聞けば剣士は心躍るはずだ。
己の武具に魂を込めてもらうこと。それを夢見る者も少なくない。
だが、ライに双剣を打つエクセリオンが居ると聞いて。オレにとってはまた別のことが頭に浮かんだ。
「難儀じゃのぉ」
「いつか、言おうとは思ってるんだけど……」
きっかけも無く、そう簡単に言えることでもない。
ただでさえルーシェントの王家にて、数奇な運命の元に生まれたというのに。
「やはり、その剣……。ワシの勘違いではなかったのかの」
「まぁね~。これ魔石……、なんだろうけど。母上は、もう居ないから。一度も光らないや」
手元の剣に触れる。彼女の焔を宿していたであろうそこは、今はただ冷たいだけだ。
主を失うと、魔力も応えないものなのだろうか?
しかし他の魔道具でそういった現象はないと思う。特別な理由が……あるのだろうか。
「ご母堂が継承者じゃったか」
「ねー。もう一振りは、やっぱ叔父上が持ってるのかなぁ」
母が生まれた国を想う。
彼の地では、力ある者の象徴として。遠い昔に、当代最高の鍛冶師──恐らくは火のエクセリオンから贈られたという、対の剣が継承されていた。
双剣として携えることを目的とするのではなく、継承者は、心より信のおける者にもう一振りを授けるそうだ。
「彼らに鍛造物を贈るなど、火を司る者として、最高の誉れじゃったろうな。
ワシも、お前さんに炎を褒められるほど嬉しいことはない」
「……エドの方がよっぽどスゴいよ。……オレ、中途半端だからさ」
「そうは見えんがのぉ」
「んーん。オレ、今でこそこうだけど。元はと言えば、生きるのに必死でさ。
父上に、自分で自分を生かすために運命を受け入れろって言われて、それで。…………」
それで、オレは王となるべく足掻いた。
母上を襲った凶刃は、自分に向きかねない。それから逃れるために必死で、王とは何か。それを深く考えることもせず、よく学び、よく汗を流し、……それがオレにとって出来る唯一のことだった。
強く気高い彼女は、人間の醜さに慈愛をもって接し。
『メルヒオール』という、真の王を生み出した。……その命をもって。
「……それで?」
「それで……、思い知ったよ。
この世には、どう足掻いても手に入らないものがあるんだって」
「……ヴァルっ子」
誰にも文句のつけられない王となる。それだけが、唯一自分を救うものだった。
そうだったはずなのに、光は兄に顕現した。
……よりにもよって、あいつに。
唯一自分を自分で守れる地位だったはずの、『光の王』という称号も。希望も潰えた。
母も希望も持たない、異端の半端ものに対する風当たりは増していく一方だった。
自分の存在を知るのは少数であるはずだから、高官に嫌悪されるというのは……そもそも王としての資格はなかったのかもしれないが。
「人間は、愚かだ。……でも。……それだけでも、ないんだ」
一番上の兄、リヒャルト。リヒト兄上だけは、いつもオレを庇ってくれた。
その他人に強く心を砕ける彼は、一部の者には軟弱と思われているらしいが。
自分のために王を目指していたオレにとって、それはとても眩しいものだった。
「色々あったけど。今は、オレを救うものがそれだけじゃないって。……気付けたんだ」
「ほー?」
「……友達って、イイもんだよね」
彼に残された時間は少ない。父上はオレを外に出さないことで、オレのことを守ろうとしてくれたと思う。
けど、兄上のためならと。無理を言って、外に、外国に行くことを許してもらえた。
例えこの命が失われても、構わない。その覚悟を伝えれば、父上も折れた。
そうして外国に来て、驚いた。世界は広い。
オレの視野とは、こんなにも狭い。
人は愚かだというのに、こんなにも尊い。愛らしい。
我欲に愚直なほどのめり込むバカな奴も居れば、純粋に己の信念を貫く者も居る。
他人というのは何も……、恐ろしいだけではないのだと。
「そうじゃなぁ。ワシにも友はおるが、いつも違った視点で意見をくれるんじゃ」
「ちがった視点?」
「ワシが耐久性をと考えて作成した部位を、『デザインがなっとらん!』と言ったり。
かと思えば凝った意匠に『そこにこだわってどうするんじゃー』と言ったり……。なんじゃ、文句をつけたいだけかと最初は思うがな。……よくよく聞けばそいつなりに、ワシの作品を良くしたいと思ってくれとるんかの。お互い職人じゃからか、遠慮もないし、口も悪いがのぉ!」
「あっ、なんかドワーフっぽい!」
「じゃろ?」
「…………そうだよね~。人には人の違った視点があって。……きっと、同じ世界を見ていても、その人を通したらまた違う感覚が広がっているんだ」
「それをめんどうと捉えるか。面白いと捉えるか。……それすら、人によるんじゃろうな」
「うん」
王とは、『違い』と向き合うことを強いられる存在。まとめ上げる存在。
見事な調和、それを作り出す存在。
オレはリヒト兄上の中に、それを見た。
彼は優しすぎるかもしれないが、力とは別の強さがあった。
根気強く相手を理解しようとする粘り強さ。
他者の悩みを自分のことのように考え、共に考える想いの強さ。
理解しがたい者が現れた時の……、見据える眼差しの強さ。
彼は……オレが成りたかった理想の王だったのかもしれない。
「自分と他人がちがうものだと理解し、その上で互いに歩み寄る。……その最たるものが、『友』なんだなって、メーレンスに来て……そう思ったよ」
王とは孤独な者だ。
なにせ、相手は個人でもなければ、歩み寄ってくれるかは定かではない。
自分が途方もない数の意見をかみ砕いて集め、理解し、その上で最善策を図る。
それが全員に受け入れられる保証なんてないのに。
「信頼できる者は居たんだ。でも、立場上、オレが歩み寄れなくて」
「ふむ」
「申し訳、なくて」
アコールには随分と苦労を掛けたと思う。父上の命とはいえ、オレに全てを捧げてくれた。
月日を重ねるごとに、それがアコール自身の願いであると感じ取れた。
でも、……オレは、彼に何も返せなかった。
王として立つ姿も、見せることが叶わなかった。
だから、彼には信頼と共に申し訳なさを感じる。
彼がそれを望んでいないことが分かる度、より一層。
「……ルカちゃんもさ、色々あったみたいで」
「人間の国で双黒は、珍しいだけで終わらんじゃろからなぁ」
「ヒルデガルド殿とか、公爵家の人は良くしてくれたみたいだけど。
やっぱどこか、孤独を抱えてたっぽくて」
どこか、自分の境遇に似ていて。
「それで、……」
「自分を、見ているようじゃったか?」
「あー、そう、なのかも」
放っておけないと感じる、何か。
それはもしかすると、彼の中に『自分』を見たのかもしれない。
まるで、今のオレが過去の自分を引っ張り上げるかのような。そんな、錯覚。
「でもさ。やっぱり、ルカちゃんは、オレじゃないから」
傲慢にも似たその感情は、きっと彼に必要なかったかもしれない。
接する度に、自分とは『違う』と感じた。
オレは全属性でもない。
照れ屋でもない。
魔法に関する知識も、彼ほど豊富ではない。
物事を分析して、頭で整理し、それを検証して確証を得るような、研究者肌でもない。
冷たくされた他人に、『諦め』という隠れ蓑を使って普通に接することが出来る自信もない。
ルカは、オレとは違う。
「オレじゃないから……、面白いのかな」
「ルカ坊の見ている世界を知りたいと願う。……それが、歩み寄るということではないかのぉ」
統べる者として見る世界。それに今更未練はない。
ただ、そこで終えれば。きっとこの世というのは狭い、狭い世界であった。
幸いにしてオレも、母上も……他人の見ている世界。それに興味を持てた。
「ワシらのように、鍛冶。それさえあれば、とにかく生きるとは面白い。そういうモノを持つことも……大切なのかもしれんがの。それだけでも、無いんじゃろうな」
「母上は……、父上の見ている世界。それを知りたかったのかな」
この世で最も尊き炎を宿した彼女は、踊るようにこの剣で魔物を屠ったという。
彼女にとって、強さとは生きる一つの指針であった。己が最強であると思ったことだろう。
しかし、光の王と出会って。己の見ている世界の狭さに恥ずかしさを覚えた。
父上の魔力は、それほどのものだった。
そうして彼に付き従い、彼の世界を覗いて。王の孤独を知った。
どれだけ力があっても、人間の心とはままならないものだと知る。
彼女の想いの強さか、はたまたその気高き血筋か。
なにかに影響され隔世で現れるはずの、光の先天属性がオレに宿ることとなった。
彼女には最期の時ですら凶刃を跳ね返す力があった。
けれど、人間の心を徐々に理解し始めた彼女は、その刃を受け入れた。
人は愚かだ。
でも、それだけではないのだと。……彼女も、そう思ったことだろう。
「……」
「ルカ坊は、お前さんが例え何者であっても、ただのヴァルっ子として……受け止めるじゃろぅて」
「うん、」
怖い訳じゃない。……はずだ。
ルカは、自身がされて嫌なことを他人にするような者じゃない。
生まれがどうだとかで、他人を否定するような人物でもない。
ただ、きっかけが……見つからないんだ。
彼女に向けられた悪意は、未だオレにも向けられている。
それが、他人にも向けられることが気がかりなのだと言い聞かせる。
ルカには母親の、エドには父親の本当のところを言えず。
彼らはそう簡単にやられるような人物じゃない。分かっている。分かっている、はずなのに──
(オレってほーんと、中途半端)
思わず自嘲する。
普段、あれだけルカのことを素直じゃない、照れ屋だ。とからかうクセに。
全てをさらけだす覚悟。共に臨んでほしいと願う勇気。
それすら、オレには無いのだろうか。
せめて、王たる証。
何の因果か紛い物に宿ってしまったこの力を……、兄に、返せればいいのに。