第七十四話 他を知り、己を知る
いや、間違いではあるまい。
彼女はグランツ公爵令嬢ヒルデガルド。
その呼び名は、恐らく、正しいのだが……。
「えーっと……、なんてーか」
「その、師匠は、何というか」
「ワッハッハ! お転婆娘じゃったのぉ!」
「「(やっぱり……)」」
現状、グランツ公爵家の跡継ぎというのはエルンスト義兄上。そして彼にはエルゼリンデ殿との間に二人の御子がいる。
師匠は貴族として……、というよりも本人の才。薬草学と魔法に多大な興味を持っており、その道を貫いてきた。
結果、王宮魔術師、ひいては筆頭魔術師となった。
いわゆる一般的な貴族の『ご令嬢』像には当てはまらない。
「し、知り合いだったのか?」
……ので、『嬢』という呼び名には触れないことにした。
「知り合い……って程でもねぇが。そもそも、エリファスをメーレンス王らに引き合わせたのも、ヒルダ嬢の師であるリユのエクセリオンじゃったからなぁ」
「ほうほう」
(師匠の! ……師、か)
そう言われると、僕はその存在について考えたことが無かった。
いつも、師匠からは教わってばかり。彼女自身についてを深く聞いたことがあっただろうか。
休憩のために木の根元に腰掛け一息ついていた僕らは、思った以上に話し込む。
気付けば、夕刻に差し掛かっていた。
師匠の師のことも気になるが……。本人から聞ける機会があれば、そうした方がいい気がした。
「──っと、もうこんな時間か。あんまし夜ウロつくのも得策じゃねぇよなぁ」
「やっぱ、魔物の数少ないねぇ」
「野営して、むしろ誘い出した方が早いか? ……そういやヴァルっ子。さっき言ってた、魔術ってぇのは……なんのことだ?」
「実は──」
ヴァルハイトの生い立ちは伏せ、あの日パーティに参加していた来賓が知っているであろう範囲で事の経緯を話した。
「ハーーーーン? 翼の会がルーシェントの高官と組んでメーレンス王を、……ねぇ」
「ゾゾ共和国でも、その名は知られるのだろうか?」
最近活発になったとはいえ、エルマー殿が言うには元は『制天派』という派閥が母体らしい。
先天属性が多ければ多いほど、女神に祝福を受けし者。それだけでなく、そういった者こそが、優れていると考える。
彼らの思想は急進的というよりは、むしろ昔からある考えのようだったが……。
「翼の会は知らんが、制天派がそれにあたるってんならまぁ。昔からある考えだな」
「へぇ? エドも知らないんだ?」
「エリファスのような外の世界に興味ある者は知っとろうが、人間が言うところのワシら亜人、その中でもゾゾのもんは人間の動向を一々見とらんからのぉ。国やワシらの種族に関係するならともかく」
「ふーん?」
「まぁ、確かに……。僕ら人間側からも接触を図る機会は多くないからな。エアバルド王とメルヒオール王以前の時代には、鉱石や魔石のやり取りくらいだっただろうし」
「ワシぁ、今のやり方は好きじゃぞ? なんせ、他国の素材も手に入りやすくなるからのぉ。
……じゃが、全員がそうとは限らんがの」
「! ……なるほど」
それは、女神聖教の彼らにも言えることなのではないだろうか。
「メルヒオール王とエアバルド王。そしてゾゾ共和国……。
特に、光の国と水の国が友好的であると困る派閥が……制天派という訳か? 統一国を目指すのであれば、むしろ友好的である方がいいと思うのだが……他に理由が?」
「魔術師による、魔術師のための国……か。なるほどのぉ」
「ゾゾ共和国では、女神聖教って主流なの?」
「主流もなにも、ワシらの種族の成り立ちからして、彼らの教えを根本的に否定することは出来んからの。制天派だの翼の会とやらの過激な思想は持っておらんが」
「成り立ちって?」
「ふむ……創世の神話。『神はその力の使者である精霊を遣わし、共に世界を創造した。そして、世界を創造したのち、神は原初の知性ある者──龍を生み出し、よくよく世界を見守るよう言い聞かせた』……その後、聖獣のような龍に近い種族、そしてワシらやハイエルフ、魔族といった連中が生まれたというワケじゃな」
「「魔族!?」」
「? 人間のあいだでどう伝わっとるかは知らんが、ゾゾ共和国においては、女神も闇黒神も同列の存在じゃ。じゃから、厳密に言えば、女神聖教の教えとは違うんかのぉ」
(つまり、女神聖教とは人間が興した信仰なのか……?)
あまりに壮大で、かつ先天属性という身近なものが関係する教え。
それは人間だけでなく、大陸に存在するあらゆる種族が信仰するものだと思っていたが……。
女神信仰。この大陸を、世界を創造した女神。
その存在は恐らく、種族関係なく信じられていて、各国は礎となった女神の力を祀っている。
しかし、その教えを説く組織。女神聖教自体は、……種族により差異があるということか?
確かに僕は、他国の教会に行ったことはない。どのように女神を祀っているのかも知らない。
知能ある種の中で最も寿命が短いとされる、人間が発足させた組織というのはどこか違和感がある。
しかし、言われてみればその総本山は聖王国ルーシェント……人間が統治者となる国だ。
そして僕を含めメーレンスやルーシェントというのは、移住者を除けば国民のほとんどが人間という種族。
穿った見方をすれば、人間にとって都合の良いことしか流布しない可能性がある。
エアバルド王やメルヒオール王が他種族への門戸を開こうとしたのには、まさか、理由が……?
ヴァルハイトの方を見れば、顎に手を当て何やら考え込んでいる。
「人間が自分たちの領内で何を信じていようがワシらは構わんがの。
ただ、制天派のように魔力で優劣をつけるような考え方は許容出来ん」
「それは一般的な信徒にもない考えだな」
「うーーーーん」
「……どうした?」
「創世の神話……、オレらが習うのは女神が創造したって話だけど。闇黒神もフツーに関わってたってコト?」
「まぁ、神じゃろうし。ワシも若い方じゃからよく分かっておらんがの」
「ふむ。そうなると、男神だけを信仰から弾くというのも……筋が通らなくなるな」
僕らは生まれた時から、『黒』や『闇』というものに、大なり小なり畏怖の念を持って生きてきた。
しかし、人間以外の種族においては……そうではないのか?
先天属性として闇を持つ者は、魔族だけなのだとして。
人間以外にとって、それは何らおかしいことではないのだろうか。
翼の会、制天派、魔族……女神聖教。そして、魔術師。
断片を知れば知る程、謎は深まるばかりだ。
「まぁ、特にゾゾにおいては土の女神の御力が礎とされとるからの。人間のように、先天属性だの魔力っちゅーよりは、自分たちの土地そのものであったり、大地を築いた精霊たちへの敬意ってのが信仰にあたるんかのぉ。女神の教会もあるにはあるが、祈りの先に見るもんが違うというのか……」
「なるほど。同一の神を元にはしていても、その信仰の仕方にも色々あるのだな」
「信仰の仕方……か」
「? どうした」
「ン!? い、いやっ。なんで、そんなに魔族を目の敵にするのかなーって!」
「それは、まぁ。確かに……」
「ぬぅ。……ワシが生まれた時から女神聖教はあったじゃろうし、分からんのぉ。そういう、知識というのか。昔のことはハイエルフが詳しいんじゃ。ドワーフってのは興味があることがハッキリしとるからの」
「エリファスはハイエルフなの?」
「ナヴ家はちと、特殊じゃなぁ」
「へー」
「しかし、少しだけ腑に落ちたな。人間にとって都合の良い……。つまり、メーレンスとルーシェントのように人間が主要の種族である国。そこであれば、女神聖教が政治に介入しやすいのだろう」
「ヘクトールみたいな我欲の強いヤツを手駒にしたり、リューゲンみたいに強い魔術師が国を治めるべきだって考えてるヤツを引き入れやすいのかもね~」
そして、まるでその流れに抗うかのような二人の王。
(流れ……か)
あの時エアバルド王に言われた言葉。
魔族かもしれない、僕に向けたあの言葉はいったい……何を指すのだろう。
「……ワシぁ魔眼は使えんが、お前さんらからはふつうの人間とは違う、なんか不思議なもんを感じるのぉ」
「エドって豪快に見えて、実は繊細!?」
「ワッハッハ! そうかもしれんのぉ!」
「……はぁ」
(考えても仕方ないな)
やはり、知りたいと願う心は止められないが。
かといってその答えが常に目前にあるとは限らない。
目下の悩み、それは──
「あ。ねぇねぇ、夜ご飯、なんにする?」




