第六十話 旅の吟遊詩人
東門から王都の中心部へと戻る。
女神の教会は、冒険者ギルドとそう遠く離れていない位置にある。
「パパっとみて、ごはん~♪」
「はぁ」
行く意味あるのか、それは。
女神の教会が光の十二時を告げる鐘はとっくに鳴っていて。
街行く人々は、おそらく昼食を済ませた後だろう。
店が混んでいないと予想されるのは、いいことだ。
「──ん?」
「? どうした」
「なんか、音が……」
「! 確かに……。楽器、か?」
街の中心にある広場。
更にその中心には、レヴィ・ファーラントを模したと言われている像が立っている。
そちらの方から、なにやら弦楽器の音が聴こえる。
音色はこの辺りでは耳にしない独特なもので、同時に歌声も聴こえた。
「吟遊詩人……、風の民か?」
「おー」
風の女神を信仰する国は、その女神の気風から自由を愛する民だと言われる。
冒険者のように移動を伴う職に就いていない者以外でも、住まいを定期的に変えたり、放浪する者もいるという。
ゆえに、情報の伝達という手段に吟遊詩人たちの『詩』を用いたのも、その国が最初だと言われている。
自然と音の方へと吸い寄せられる。
どこか、懐かしいという感覚にも似る。
「────おや?」
不思議な雰囲気の御仁。
六弦から成るリュートを爪弾く手をとめ、こちらを見つめる人物は……とても形容しがたい不思議な雰囲気を纏う。
緑の外套の下には白い衣服を身に纏い、頭には……ターバンというのだろうか。
緑のそれに覆われている。
片側に寄せた長い髪は、毛先だけを見れば緑色なのだが、ターバンからのぞく根本に近い部分は銀。
そして、一番特徴的なのは……。
「おー! エルフの……詩人さん?」
「珍しいな」
エリファスと同じ耳の形をした人物はまさしく、エルフ。
身長も高く、エリファスと同じように……どこか、優美さをもつ。
しかし、エルフというのは本来土の女神を信仰するゾゾ共和国に集う種族。
近年冒険者や他国への居住者が増えたとは聞くが……、それにしたって吟遊詩人というのは珍しい。
僕も初めて遭遇した。
「……そこの双黒の坊ちゃん。あたしに興味がおありで?」
(誰が坊ちゃんだ……)
その細められた翠の眼に見つめられると、どうもヴァルハイトのようには言いづらい。
エリファス同様、こう……、逆らえないというか。
雅さを持つ者へ、あまり事を荒立てたくないというか……。
「そうなんだよねー♪ エルフの吟遊詩人さん、珍しいなって!」
「そう言われると、そうですかねぇ。あたしはこれが仕事なもんで、疑問には思いませんが」
「へー。趣味じゃないんだ?」
(どんな会話だ……?)
「趣味? ふぅむ。そうですねぇ……。趣味といえば、趣味かもしれませんねぇ。なんせ、語り継ぐことの多さといったら、それはもう大変ですから」
「おー!」
(……なんなんだ!?)
「どうです? 一曲」
「ルカちゃん、聴いてみようよ!」
「ま、まぁ……お前がそこまで言うなら」
「どうも。……それじゃぁ、一曲」
そう言うと、エルフの詩人はリュートを奏で始めた──
──朝の光があなたを迎える頃、
わたしは夜の静寂と共にする
夜の色があなたに近づく頃、
わたしの一日が始まる
この一日の想いがどれほどの苦しみを抱いたら、
未来という名に変わるのでしょう
わたしを愛と呼ぶのなら
あなたをなんと、呼べばいいのでしょう
耐えうる強さの果てが怒りでも
望まぬ清さが悲しみの入り口でも
臨む羽ばたきが孤独を招いても
母なる祈りが恐れの始まりでも
七つの荒野をどれほどの想いが渡れば、
やがて命となるのでしょう
この六つの心が人を成すなら、
あなたをなんと、呼べばいいのでしょう──
「──とまぁ、こんなところでしょうかねぇ」
息をのむ、というのはこのことを指すのだろう。
楽器の音色に乗せた彼の言葉たちは、まるで目の前に物語の主人公が現れたように感じる。
その妙なる声色も相まって、僕らを別の空間へと誘うかのようだ。
「……不思議な唄だな。どこか、心地よくもあり、……悲しくもある」
彼らの発祥が情報の伝達であるなら、これも史実。
あるいは伝承を詠んだものだろうか。
「それがあたしの売り、ですからねぇ」
「な、なんか……、こう。心がザワッとするというか。なんというか!」
「そう感じていただけたなら、あたしの仕事も大したもんだ」
「ふむ。魔法の詠唱とはまた違うが……、旋律に乗せた唄というのは祝詞のようだな」
「魔術師様でしたか。あたしも詠唱は好きですよ」
「そうか。本職にそう言われると、な」
「ふふ、興が乗りましたので……短めのをもう一曲」
そう言うと、今度は先程よりもどこか不安定な調べに変わる。
──愛があなたを救うなら、
愛があなたを探すはず
あなたがそれを望むなら、
愛があなたを望むはず
一つが別たれ、二つと成りて
二つの心が一つと成る
愛がすべてを愛するなら、
あなたはすべてを壊すだろう──
「えーーーーーっと、……嫉妬深い貴族の話!」
「なるほどなるほど。人はそう、詠み解くんですねぇ」
「あるいは伝承の類い、か?」
「さぁ、どうでしょうねぇ」
どこかはぐらかすような。
もしくは、聴き手の想像に任せるのが吟遊詩人の流儀なのだろうか。
「不思議なエルフさん!」
「あたしのことは、ライゼンデとでも」
「旅人?」
「えぇ、なにせエルフはあまり出歩かないですから」
「変わったエルフさん!」
「はぁ」
旅人……か。
おそらく、本来の名ではないだろう。
なら、僕らも名乗らないでおく方が無難であろうか。
「うーん。なら、ライって呼ばせてもらおうかな♪」
「かまいませんよ」
「それにしても、情報……。というよりは、愛、というのか。こう、情熱的な詩なんだな」
吟遊詩人の役割も時代と共に変わってきたというが。
それにしても、彼の詩は『愛』というものに重きを置いているように思える。
「そうですねぇ。なにせ、文や本のおかげで昔ほど伝えることの苦労はないですからねぇ。娯楽なりに寄っているのでしょう」
「へぇ。愛……かぁ。やっぱり、貴族が禁断の恋とかを詩にしてんのかなぁ?」
「なるほどな。言葉にできない想い、というやつか」
表沙汰になると困るようなことを、詩にして吟遊詩人が届けるのだろうか。
あまり芸術的な話は専門外だ。事情はよく分からない。
「そうですねぇ。それに……特別な事情がなければ、『愛する』ということは、『愛してほしい』とほぼ同義でしょうからねぇ」
「「?」」
「伝えることの、むずかしさ。というやつです」
「なるほどな……」
ただ伝えるだけでいい。
そうではない場合もあるということか。
言葉の真意。
立場からなる想いと言葉の相違。
心というのは……、想像以上に難解なものなのだろう。
「──では、あたしはそろそろ」
「あ、お代はー!?」
「あたしは気分屋なもので」
「えー! あ、ありがとー!」
「いい時間だった、礼を言う」
「いえいえ。では、また」
そう言い残し、ライことライゼンデは去って行った。
「ライって不思議なエルフさんだったねー」
「あぁ、それに──」
エリファスとはまた違う。
感じたことのない、魔力の質だった。
……どうも、その存在自体が掴めないような。
「オレももっと、こう……詩的な会話? しないとな~」
「お前には無理だろう」
「ひどー!」