第三十話 センの森 その三
エリファスの言う通り、道を駆けていると目の前に湖が見えてきた。
それほど大きくはないため、森の中央の湖ではなさそうだ。
湖の周りを見てみると、確かに目にしたことのない薬草が生えていた。
「涙草と言うもので、雨や水を受けると葉の形状から滴が垂れるように落ちていくそうです」
「なるほど……、適度に雨も降る場所、更に水辺にしか生えないのか。水属性と相性が良い訳だ」
全属性である僕にとって、どの属性に特化したマジックポーションでも、効き目は等しく上がる。
今後のためにも、趣味も兼ねて風待草と同じく、収納魔法へと幾つか見繕って保管する。
全てを採ってしまうと他の冒険者に行き渡らないため、必要な分だけ採り、また先を急いだ。
ちなみにエリファスにも、風の付与魔法で体を軽くしてある。
「ところでエリファスさんって、王都で何するのー?」
「エリファスで構いません。旧友に呼ばれて回復術師の仕事をしに行くところです。何でも、王都で呪術が使われたそうで」
「なんだと!?」
「呪術……?」
「──ヴァルハイトが知らないのも無理はない。これは、明確に特定の存在を害するための術だ。僕達が使う魔法とは、少し違う」
「そんなのが、あるんだ」
「とある伯爵の奥方を治癒してくれと依頼がありましてね。そのためにも、ここの薬草を使おうと思って立ち寄ったのです」
「この時期に呪術とは……、嫌な予感しかしないな」
「どうかされたのです?」
「いや、エルフ族である貴方はゾゾ共和国から来たのかもしれないが、明日はメーレンス王の即位記念パーティなんだ」
「そこで色々あるんじゃないかって、それでオレ達急いでるんだよねー」
「なるほど……。彼が忙しいと言っていたのは、その事でしたか」
どうやら王都の旧友とやらも、パーティに関わる人物のようだ。
「呪術とは……。我々の内に秘める魔力の属性に関係なく、純粋な魔力だけを使って他者に影響を及ぼす……一種の技法です。様々な方法がありますが、現代ではほぼその技法も伝え聞くだけになり、一般的には知られていません。戦乱の時代、今より魔法が発達していない頃に魔術師たちが編み出したものだと」
「魔法学校ですら、その存在は図書館の書物に載っているくらいで、授業で聞くことはないな」
「何か、今回さー。魔術師の存在、多くない?」
確かに、言われてみればクレーマー男爵が魔術師を雇いまくっていること。
ポーションの検品を偽装する者。
はたまた現代で知る者も少ない呪術を行う者。
どれも、魔術師が関わっている。
「そうなのですか? なら、名前は耳にしたことがあるかもしれませんが。私が向かうシュナイダー伯爵のところにも、以前魔眼が使える魔術師が居たそうですが……、商売敵であるクレーマー男爵に金で買収されたようでしてね。それで呪術も防げなかったようです」
「何だと!?」
「クレーマー男爵!」
まさか、ここでその名が出てくるとは。
これはいよいよ、金儲けだけではなく大事なのではないか?
「それに、呪術が防げなかったのと魔眼に何の関係があるんだ?」
「今回は元々体の弱い奥方が服用していたポーションに呪いが掛けられていたようです。呪術は、相手の物を使って呪いをかけたり、相手が口にする物で呪いをかけることもあります。もし服用前に魔眼で確認していれば、青系統以外の魔力が感じられたり、繊細な魔眼を扱う者には呪いで穢れが見えることもあるのです。ただ、魔力の残滓だけで個人を識別する方法は、今のところ確立されていませんから。犯人が分かっていないのです」
「ま、まさかとは思うが……」
「ルカちゃん、オレも、同じこと、考えてる」
「……?」
正直エリファスが信頼に足る人物か、見極める必要がある重要な情報だが。
あの澄んだ魔力が、悪意ある者とは到底思えなかった。
「この馬車もそうだが、クレーマー商会は直近で大量のポーションをルーシェントから輸入している。おまけに魔術師を雇って、ハイ・ポーションと偽って申請していた。それで、明日のパーティでは例年ルーシェント側からはハイ・ポーションが贈られる習わしがあるんだ」
「詳しくは言えないけど、ルーシェントで暗躍している一派とクレーマー男爵が繋がっているという情報があって……。オレ達はそいつらが偽ハイ・ポーションと本物をすり替えて、何かしようとしていると思ってたんだけど」
「最悪を想定すれば、その偽物を使って、メーレンス王に呪いをかけることも出来る……。ということですね?」
無言で頷けば、エリファスは事の重大さを十分に理解してくれた。
「本物のハイ・ポーションであれば浄化も司る光の魔法。呪いが一切効かない訳ではありませんが、効果は薄いでしょう。だが、水魔法のポーションであれば、あるいは──」
「何故だ、何故……そこまで」
正直そこまでのリスクを冒してまで、クレーマー男爵に入るお金とを天秤に掛けた時、うま味があるとは思えない。
何か別の理由があるはずだ。
「──お二人は、メーレンスの王が単属性なのはご存知ですか?」
「いや……」
「初めて聞くなぁ」
「彼は若い頃、水の魔法では並ぶ者がいないと言われるほどの使い手でした。ですが、基本的に君主とは強き者の象徴。小国ならいざ知らず、大国で単属性の者が王位に就いているのは、現在ではメーレンスだけです。それを……、快く思わない魔術師たちが居ます」
「単属性差別主義者……、通称『翼の会』だな」
「えぇ、そうです。魔術師とは、ずっと歴史の中で王や統治者を支える存在として認識されています。魔法だけでなく、豊富な知識をもって、支えてきたと。ですが、近年。冒険者という職業が広く認知されるようになり、魔術師の扱いはぞんざいになっているのではないかと思う者たちが居るのです」
「お給料が安い……ってこと?」
「いえ。高官などの国の中枢に、魔術師の存在があまり見られなくなったのです。もちろん、メーレンスにおいては王宮魔術師という特殊な立場がありますが……。なんというんでしょう、より魔法の専門家としての位置づけになってしまい、政としての立場ではなくなってきています」
「そういった背景があり、翼の会のような者が出てきたのか」
「えぇ、私の予想ではありますが、呪術を用いて貴族に攻撃できるとなると……。一介の魔術師ではないと思っています」
「つまり、今回の黒幕にそいつらが──」
「あくまで、予想です。王都にはヒルダも居ますし、そうそう大掛かりな事は出来ないと思いますが。正直、翼の会の規模が分かっておりません」
確かに、王都で何か動きがあれば師匠が対処するはず。
だが、仮に。
彼女よりも、上の存在が関わっているとすれば──?
「エリファス、師匠は王宮魔術師の第四席。あなたの知る限り彼女より上の立場の者で、呪術に明るい者が居る可能性はあるか?」
「──! なるほど、盲点でしたね。王宮魔術師の中に……。あまり人の世のことは分かりませんが、少なくとも彼女より上の二人。全てに可能性はありますね。何せ、呪術の書が一番多く集まるのは国庫でしょうから」
「やはりそうか。まずいな」
第一席は王宮魔術師として最初の筆頭魔術師で、その名は永遠に語り継がれることになる者だ。
それ故、第一席は永久欠番となっている。
「えっとー、王の周辺が必ずしも味方ではない可能性的な?」
「あぁ、単純にポーションを見極めれば良いだけの話ではなさそうだ」
「では、急ぎませんと。……それにしても、妙ですね。主の気配どころか、獰猛な魔物さえ気配が感じられない」
確かにこれだけ森の中を駆けていれば、人の気配を感じて好戦的な魔物が寄ってきても不思議ではないが。
先程から、非常に快適な道程だ。
「時間ないからありがたいけどねー」
「そうですね、とにかく急ぎましょう」
途中、涙草をもう少しだけ採取し、ひたすら王都へ向けて進んで行った。