第一印象
「日本人で初! ○○映像賞受賞」
どのテレビ局もワイドショーをやっているこの時間。取り上げるニュースも寸分違わずこれだった。
その年の映画業界で優秀な人材に送られる賞。それが○○賞だ。
その映像賞を、日本人が初めて受賞したらしい。
どのチャンネルにも現れる「井淵 九紫さん」の顔を見るたび、どこかで見たような、俗に言う既視感というやつを覚えた。
「なんかあんまり好きになれないなあ。なんでだろ」
母が台所から、なんか言った?と聞いてきたので、なんでもない、と返答した。
翌日、私は友人とランチに行った。その時に、この既視感について話した。
「どこかで見たことある気がするんだよね」
「ちょっと待って。調べるわ」
友人のスマホに井淵九紫の顔が映し出されると、「ああ、確かにどっかで見たような顔だね」と共感を得ることが出来た。
「どこで見たんだろう」私は脳内の思い出を振り返る。
「そうだ、そうだ。ここだよ」ハッとした顔をして、私より先に友人が思い出した。
「ここに来てたじゃん、この人。女の人と一緒でさ」
しかもその時の私達、今と同じ席に座ってたよ。そうだそうだ、すごい偶然だ。と友人はその時のことを思い出し盛り上がっている。が、私はまだピンと来ていない。
「あの人だよ。ランチの後、夜に帰ろうとしたら、駅にその人がへたり込んでてさ」
それを言われてやっと、「ああ、あの人か」と思い出した。
と同時に、私が偉大な功績を手に入れた井淵九紫になぜ好印象を抱かないのか、その理由が判明した。
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2年前。
私と友人は久しぶりになじみの喫茶店でランチをしていた。
個人経営で、マスターは高校の友達の叔父である田中さん。
白髪で無精髭を生やしているが、服装のせいなのか、醸し出す雰囲気のせいなのか、はたまた喫茶店とはそういう場所なのか、不潔な感じがしない。
私たちは、入口から一番遠いテーブルに座った。ここでの長話が、私と友人の小さな生きがいの一つである。
世にはびこる長話がそうであるように、話の内容はコロコロ変わる。
恋愛話が長引くこともあれば、私の愚痴を一方的に聞いてもらうのに時間を費やす時だってある。
カランカラン、とドアベルが鳴る。客数は私達を含んで2~3グループのみだった。
入口が見える位置に座る友人が、吐き出していた愚痴の音を止め、入口から目を離さないでいる。
どうして友人が声を出さなくなり、目を離さないのか、気になった私は後ろをふりむいた。
「空いてるお席どうぞ」とバイトの子に声をかけられた入り口付近の二人の来客は、店の奥の方、つまりは私たちの方向に、ずんずんと歩いてくる。
脊椎反射で首を元の位置に戻した。
視界が捉える者が友人になる。しかし、歩いてくる二人の姿は脳裏にこびりついていた。
男は全身真っ黒のコーデ。女は真っ白、とは言わないが白をベースとしたコーディネート。
モノトーンのはずなのに派手な装いにみえる彼らを見て、私は一瞬、本物の天使と悪魔が現れたのかと思った。
友人は笑いを殺すためにコーヒーを口に注いでいる、ように見えた。
「笑い、堪えられてた?私」喫茶店を出た後、友人はすぐさま聞いてきた。
空は橙色が広がり、外は、蛍の光の幻聴さえ聞こえそうなほどに「ザ・夕方」の景色だった。
「どうだろうね。私は堪えてるなーって思ってたけど」
「じゃあそれ堪えられてないってことじゃん」
天使と悪魔のような姿をした二人は、私の真後ろのテーブルに座り、コーヒーとレモンスカッシュを頼んでいた。盗み聞きした会話の内容からするに、映画を鑑賞したあとだったらしい。
それを説明すると、友人は「どういう関係なのかな、あの二人。やっぱ、恋人かな」と言った。
「オセロなら表裏にいる二人だけどね」
「性格全然合わなかったりして」
「それか、天使と悪魔なのかもね」
「何それ。ハロウィンじゃないんだから」友人は笑った。
買い物疲れを喫茶店で補うのが普通の人間だとしたら、私たちは変人だと思われても仕方がないだろう。
しかしこれに関しては、「日々の疲れを補いきってから好きな友達と買い物に行く方が良いに決まってる」という友人の意見に賛成だ。
思い悩んでしまい、結局購入した品数は一つだけだったが、友人のおかげで良い買い物ができた。
と、この日を満喫して帰路についていると、思いもよらない被写体が駅へと続く橋の上でへたれこんでいた。
さっきの悪魔だ。
全身を黒で統一した男が、橋の手すりに腕を絡ませ、なんとか立とうとしている。腕に体重をかけ足を動かすが、酔っているのだろう、真っすぐ自立する気配はない。
友人は笑っていたが、その笑顔には悪いたくらみが見えた。その予感は的中し、「ちょっと、声かけてみよう。面白そうだし」と、その黒ずくめの男に近寄っていった。
「あの、すいません。今日、昼間に喫茶店にいた方ですよね?」
男は鋭い目をこちらに向ける。体はふにゃふにゃしているのに目だけはナイフのように鋭い。そのギャップに笑みをこぼしてしまった。
するとその笑みに気付いた男が「おい、何笑ってんだよ」と大きい声で叫んだ。
その声量を出すエネルギーが、まだその体に残っていたのか。「何」の部分で声が裏返ったことに対しても笑いそうになる。
「ったくよ。ほんとに女はクソだな」
唾を吐くように出した言葉は偏見極まりないものだったが、その発言をする者はそこに至るまでに何らかの原因があるはずだ。私たちは彼に、今日何があったのかを説明してもらった。
「あの女、あの女が誘ってきたんだよ。デート行きませんか?って。そんなん、ヤれると思うだろ。そしたら、喫茶店を出たときに、じゃあ帰りましょっか、って言ったんだよ。なんだよあいつ。映画代もコーヒー代も俺に払わせやがって。タダで映画観るなんて、クソ同然だろ。マジでカスだな、女は」
この時点で、彼のことが3つ、分かった。
一つ目、全身を黒で統一するファッショニスタなのに恋愛下手だということ。
二つ目、コーヒーを飲まない人間だということ。
三つ目、女性一人と接しただけで世の中の女を測った気になる、愚かな人間だということ。
まだたらたらと「女」への偏見を続ける悪魔を尻目に、私は駅へと歩き出した。
友人は私が怒りを覚えたことに気付いたのか、何も言わず私の横に追いつき、ともに歩いて行く。
「カスだな」
「カスだね」
私と友人の声が重なる。
どんな時でも、心の内部を口に出したときに、それが別の声と一緒に聞こえてくると「面白い」と思ってしまう。
ふふ、と二人で笑った。その時、あの男への苛立ちが、友人と作り上げたベールで包まれた感覚がした。
終わり良ければ総て良し、と言う言葉は的を得ているな、と思う。家に着くなり、今日は良い日だったな、と思った。その時すでに、橋の上での出来事は覚えていなかった。
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「ああ、あの人か」
あの日の記憶が事細かによみがえる。駅へと向かう足取りで感じていた怒りさえ鮮明に思い出し、カフェのテレビにフォークを投げたくなる。
「あの時は、あいつクズだな、とか言ってたけど。そういう人が日本人初の快挙を達成することもあるんだね」
友人の、井淵九紫を褒める声が、私のどこかに張っている糸に触れた。
「いーや、ダメだよ。どんなすごいことしたって、クズはクズなんだから」
私はストローを加え、テレビの方を振り向く。
井淵九紫が壇上でスピーチをしている。
テレビ画面の右上に小さな正方形があり、スタジオにいるコメンテーターが、この日本人はよくやった、とでも言いたそうな顔でうんうんと頷いている。
それを見て、知らぬが仏とはこういうことなのかもな、と自分に納得させる。
私の怒りの元凶である井淵九紫は、カメラに向かって喜びを、顔から、声から、体から噴き出している。
「こんな私の人生に関わってくれた方々。この道を進むことに背中を押してくれた両親。何度も相談し、アドバイスをくださった、師匠の木下監督。また、私情ではありますが、2年前、私をぬか喜びさせ、プライドを踏みにじってくださった思わせぶりなクソ女。彼女を含めたすべての人に、心から感謝しています。ありがとう」
「うるせえよ」腹の底に溜まっている言葉が聞こえた。
私の声か、友人の声か。それか、2人の声が重なったのか。
事実は分からないが、私は聞こえた直後に「面白い」と思っていた。ということは、そういうことなのだろう。
終