戦に勝ったのに
江陵に長く休憩を取った後、曹操軍は北上し襄陽に向った。
数日程すると、襄陽に到達すると曹操は曹仁を呼んだ。
「曹仁。襄陽に留まるのだ。儂が居ない間に劉備か孫権が荊州に攻め込んで来るかも知れん。それらの対処を任せる」
「はっ。承知しました」
「荊州は落ち着くまで、子脩も居る故力を合わせるがよい」
「はっ。ところで、荊州には刺史か州牧は居ないですが、誰か置かないのですか?」
「・・・・・・そうだな。新しい者を就けるかどうかは、許昌に帰ってから決めるとしよう。その間、荊州の州治を任せるぞ」
「はっ。この曹仁子孝にお任せを」
曹仁が胸を叩きながら答えるのを聞いて、曹操は満足そうに頷いた。
(あんなに荒れていたこいつが、此処まで立派な将になるとはな。思いもしなかった)
荒れていた頃の曹仁を知っている曹操は、曹仁の堂々たる振る舞いを見て誇らしい気分であった。
曹操の生温かい視線に、曹仁は居心地悪そうにしていた。
それから三日後。
曹操は軍勢の殆どを率いて、許昌への帰路に着いた。
曹仁達に見送られ、北上する。
許昌への帰路を歩みながら、曹操は乗り込んでいる馬車の中である事を妄想していた。
(ふふふ、二喬が来たら直ぐに鄴に連れて帰るとしよう。後は今建設中の銅雀台で朝な夕な共にするとしようか)
曹操は頭の中で、二喬と過ごす日々を夢想していた。
やがて、許昌に到着した。
曹操は軍勢を解散すると、外廷に赴いた。
其処で、荊州を支配下に入れた事と揚州の賊を撃退した事を献帝に報告した。
献帝は曹操の功績を賛美した後、恩賞については後日渡す事に決まった。
報告を終えた曹操は馬車に乗り込むと、溜まっていた政務を片付ける丞相府に赴いた。
丞相府の門が開けられると、銅鑼の音が鳴り響いた。
音を聞いて、曹操は何事かと思い身構えた。
鳴り響く銅鑼と共に、楽器の音も響かせた。
「お帰りなさいませ‼」
楽器の音に負けない程の大声を出したのは、曹操の妻の丁薔であった。
丁薔の傍には、卞蓮の姿があり手を掲げると、音楽が止んだ。
「な、なな、何で此処に⁉」
「旦那様の勝利を祝う為に参りました」
「本当に襄陽にまで行きそうになったけど、流石にそれは無理だから止めたわ。だから、此処にいるのよ」
鄴に居る丁薔達が許昌に居る事に驚く曹操は声が上ずっていた。
丁薔は冷静に答えると、卞蓮は苦笑いしながら許昌に居る理由を教えた。
「お、おお、そうか。儂の勝利を祝う為に来てくれたのか。お前は良き妻だな。はははは」
曹操は笑いつつ、早々に帰って貰おうと思っていた。
だが、丁薔は笑顔を浮かべながら近づいてきた。
「旦那様。此度勝利した事は喜ばしい限りです」
「う、うむ。そうだな」
「その際に、少々聞き捨てならない話を聞きました」
「話?」
「ええ、何でも江東で有名な女性達が、此度の戦で降伏の証しで人質になって来ると聞きました」
「江東で有名な女性達・・・・・・まさかっ⁉」
「二喬というそうですね。旦那様がご執心の女性達だそうで」
丁薔は笑みを浮かべつつ、目が大きく開かれていた。
その視線を浴びて、曹操は隠していた事が知られたと分かり顔色を変えた。
「少し、お話がしたいのですが。よろしいですか?」
「い、戦を終えたばかりだから、疲れているからな。話は明日にでも」
「大至急、お話ししたいのです」
曹操は体よく逃げようとしたが、丁薔は逃がさないとばかりに手を掴んだ。
「い、いや、待て。儂は戦に勝ったのだぞ。勝ったのだから、勝者の権利という物があるだろう。だから、儂は」
曹操は何とか説得しようと、言葉を述べたが。
「兎も角お話を」
丁薔は曹操の手を掴みつつ、何処かに移動しだした。
「話を、話を聞くのだっ」
「ええ、ですから。別室でお話しを」
引き摺られる曹操が何を言っても、丁薔は聞く耳を持っていなかった。
卞蓮もその後に付いて行った。
そして、丞相府にある部屋にて、大きな怒声で聞こえて来た。
怒声は数刻に渡って聞こえて来た。
怒声が止むと、丁薔は荒い息を吐きながら述べた。
「二喬が送られた場合、人質ですので許昌に留める様に」
「そ、それは」
「何か問題でも?」
丁薔の目が細くなると、曹操は二の句を告げる事が出来なかった。
曹操はがっくりと首を垂れた。




