この時代の人達は信心深いからか
曹昂は琴を奏でていたが、手を止めて唸っていた。
「う~ん。河の上だから、船の揺れで音が乱れるのかな?」
爪弾く度に変な音が奏でられるので、曹昂はそうとしか思えなかった。
予定では、此処まで酷くない音楽が奏でられるだろうと思っていたので、変な音楽になってしまい少しだけ残念そうであった。
そう残念がっていると、周瑜軍の陣地から船が出陣してくるのが見えて来た。
それを見た虞翻が進言してきた。
「殿、どうしますか?」
「・・・陣地の絵図はどうなっている?」
虞翻の問いに答える前に、曹昂は陣地の絵を書いている兵に訊ねた。
「も、もう少しだけ、お待ちくださいっ。あと少しで書き終えますのでっ」
「そうか。では、書き終えたら教えてくれ」
兵の返事を聞いた曹昂は時間稼ぎとばかりに、また琴を奏でだした。
陣地から出陣した周瑜軍の船団は、水をかき分けながら進んでいく。
進んでいく先には、素人から聞いても変な音としか言えない琴の音が聞こえて来た。
「あそこだっ」
「ふざけてやがってっ。俺達が来たのに、まだ琴を奏でてやがるっ」
「矢の射程に入ったら放つぞっ。将軍から、殺しても構わないと命を受けているからなっ」
船団は先登と赤馬で構成されていた。
やがて、船団は曹昂が乗る船を矢の射程に収める。
河の流れにより、船は揺れるのだが、周瑜軍の兵達は揺れる中でも、矢を放つ事が出来た。
先登に乗る兵達が矢を番え、放とうと指を離そうとした瞬間、船が激しく揺れた。
「何だ⁉」
「何か当たった様だが」
周瑜軍の兵達は、船が激しく揺れた事に驚き、周りを見ていると、船内に居た兵が大声をあげた。
「大変だっ。船に穴が開いたぞっ」
「はぁ⁉ 意味がわから」
兵達が言っている最中に、船が傾きだした。
船が傾いた事で、甲板に居た兵達は体勢を崩してしまった。
「わあああぁぁぁっっっ」
何人もの兵が、河に投げ出されてしまった。
音を立てて沈む兵達。
鎧を着こんでいる事で、ずんずんと沈んでいった。
このままでは、溺死すると分かっているので、兵達は水面に上がろうともがいた。
水をかき分けながら、進んでいくと、視界に何かが入った。
それが気になり、目を向けると、視線の先に居たのは亀であった。
普段から、見慣れている亀よりも数十倍は大きかった。
あまりに、大きいので食われるのではと思い必死に手で水をかき分けて、水面に上がった。
「・・・ぷはっ」
兵は必死にかき分けた事で、何とか水面にあがる事が出来た。
波に呑まれそうになりながらも、新鮮な空気を吸い込んだ。
そして、丁度目の前に木片を見つけたので、それにしがみついた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・」
木片に身を預けながら、兵は周りを見た。
自分が乗っていた船のように傾いて沈みんでいたり、転覆している船ばかりであった。
「な、なんだ。こりゃあ・・・・・・」
兵は味方の船が沈んでいるのを見て、愕然としていた。
周瑜軍の船団が近づいて来たが、曹昂は構わず琴を奏でていた。
やがて、矢の射程に入ったのか船団は足を止めた。
次の瞬間には、矢が放たれると思われたが、しかし、船団の船が傾くか転覆していた。
船が傾いた事で、甲板に居た兵達は悲鳴を上げていた。
その悲鳴は、曹昂達の耳にまで届いた。
「ふっ、敵は驚いているだろうな」
「突然、船に穴が開いたり転覆すれば、誰でも驚くと思います」
船団の船が沈んでいくのを見た曹昂は手を止めて、船団が沈んでいくのを見て呟いた。
傍にいた虞翻は、その呟きが聞こえたのか答えていた。
「しかし、水の中に沈む船とは。驚きを隠せませんな」
「まぁ、そうだろうな」
「しかも、船は玄武を模しているとは。これは、周瑜軍の兵達は動揺するでしょうね」
虞翻は面白そうに言うが、曹昂はそうだろうかと思っていた。
「将軍。陣地の絵図を掻き終えましたっ」
「そうか。では、帰るとするか」
「はっ」
「陣地に着くまでの暇だな。・・・・・・そうだ。少しでも、上手くなる為に、陣地に着くまで琴を爪弾くか」
「・・・・・・殿。琴の腕は一朝一夕で上手くなりません。ですので奏でないと良いと思います」
虞翻としては、敵を刺激する為に、あの変な音楽を聴くのは耐えられるが、流石に陣地に帰るまでの間に訊かされるのは堪ったものではなかった。
なので、奏でないでほしいと思い言うのであった。
「ふむ。それもそうか」
虞翻の意見も間違いではないなと思い、陳留に帰って蔡琰に教えてもらう事にし、曹昂は奏でるのを止めた。
それを見て、孫礼達は密かに安堵の息を零すのであった。
曹昂の船は悠々と、烏林の陣地へと帰還した。
曹昂の船が帰還している時、周瑜は河に投げ出された兵達を救出していた。
多くの兵が救出に駆り出された事で、多くの兵を助け出せれたが、何人か間に合わず溺死するのであった。
そして、助け出した兵達に、どうして船が沈んだのか尋ねた。
亀が船に頭突きしたとも、蛇が体当たりしたからと、兵達によって意見が違っていた。
これでは、役に立たないと思っていたが、ある兵がこう零した。
「み、見ました。大きな亀と蛇を。亀の尻尾が蛇の頭がついていました。間違いありません」
兵の意見を纏めて報告されると、周瑜は唸っていた。
「すると、亀と蛇が合わさった獣が、我が軍の船を沈めたというのか?」
「兵達の話を聞いた所、そうなります」
証言を纏めた者が答えるのを聞いて、列席している武将達はざわつきだした。
「亀と蛇が合わさった獣、それはまさか玄武では?」
「玄武だと? あの霊獣の?」
「何故、玄武が、我が軍の船を襲うのだ?」
「分からん。だが、我らはもしかして、何時の間にか玄武の怒りを買ったのかもしれん」
話していると、武将達は顔を青くしていた。
玄武を含めた四神の信仰は、春秋戦国時代ごろに成立したと言われている。
加えて玄武は水神と言われており、此度の戦は、水上戦である為、水神の怒りを買っては勝てる戦も勝てないと思ったから、顔を青くしていたのだ。
武将達の空気が沈んでいるを見て周瑜は声をあげた。
「皆、落ち着けっ。これは、敵が何らかの方法で攻撃して、我が軍の船を沈めただけの事だっ」
周瑜はそう言うが、董襲が躊躇いながら進言した。
「何らかの方法と言うが。周将軍。我が船団が出撃した時、敵の船は無かったのだぞ。曹昂が乗っていた船がいただけで、他に船は影も形も無かった。だというのに、どうやって、船に穴を開けたり転覆させたりしたのだ?」
「そ、それは・・・・・・」
董襲の指摘に、周瑜は何も言えなかった。
その後、軍議にならなかったので解散となった。
天幕を出た武将達の中に、黄蓋の姿があった。
自分の天幕に戻っている時に、兵達の話し声が聞こえたので、足を止めた。
「おいっ、聞いたか。此度の戦で玄武が出てきて、我が軍の船団を沈めたそうだぜ」
「嘘だろう?」
「沈んだ船団の兵から来たから、間違いない」
「じゃあ、俺達は水神様の怒りを買ったのか?」
「祟りかも知れねえぞ」
「玄武の祟りっ。将軍様が何かしたのかよ?」
「やっぱり、周将軍の行い」
「しっ、それ以上言うな」
兵達は慄きながら話すのを聞いて、黄蓋は考えていた。
(此度の船団を沈めたのは、恐らく曹昂が作った新兵器であろうな。どうやって、船に穴を開けたり転覆させたのか分からん故、軍議の場に言えなかったが、間違いないであろうな)
曹昂の下に居た時に『帝虎』といった兵器を見た事がある黄蓋だからこそ、船団を沈めたのが、何かなのか分かったのであった。
その何かなのか分からないので、軍議の場で発言しても意味不明と言われて終わるだけだと分かっていた。
だから、何も言わなかった。
「・・・・・・兵達の動揺も抑える事は出来んな。これでは、初戦で勝利した士気も消えてしまったな」
黄蓋は溜息を吐いた後、自分の天幕へと歩き出した。




