墓穴だよな
遅々として進まない曹操軍。
それを見て、曹操は苛立っていた。
其処に周瑜が柴桑を発ち、河を上っていくという報が届けられた。
「周瑜が出陣したかっ。ふん、流石に我らが進軍した事を聞いたか」
曹操は忌々しいと思いつつも、その場にいる郭嘉に訊ねた。
「郭嘉。敵はどう動くと思う?」
曹操が信頼する参謀の郭嘉は地図を見て、暫し考えた後口を開いた。
「敵は河を上がっていくという事ですから、恐らく水上戦で勝敗をつけるつもりでしょう。であれば」
郭嘉は地図上にある柴桑を指差しつつ、河に沿って動かしていく。
「柴桑を発った周瑜軍がそのまま侵攻するとなれば、江夏郡の何処かの土地か県を占領し、陣地にするでしょう。江夏郡で周瑜率いる水軍が、力を見せつけるとすれば、樊口がある鄂県か。嘗て太守であった黄祖も駐屯していた夏口のどちらかでしょう。勝てば、江夏郡の何処かの土地を得る事が出来ます。負けたとしても、河を下って行けば、本拠地である柴桑に撤退する事も出来ますから」
「ふむ。そうか。当初の予定では、夏口で敵を迎え撃つ予定であったが、無理か」
郭嘉の推察を聞いて、夏口に行く事は出来ぬと判断する曹操は、ひとまず何処かの土地に陣地を築き、相手の動きを見るべきだと判断した。
「蔡瑁。我らがいる土地から、夏口までの間の河を下っていく先に、陣地を築ける場所はあるか?」
曹操に訊ねられた蔡瑁は地図を見つつ、ある土地を指差す。
「此処です。この烏林の地であれば、夏口からも左程離れておりません。更に陸路で江陵まである道がありますので、兵糧の運搬も容易にできます」
「ならば、その烏林の地に向うように全軍に命じるのだっ。事は一刻を争うっ。直ぐに出陣の準備に掛れっ。病に罹った者達も載せるのだ!」
「父上。まだ病は完治していない状態で船に乗せても、病状が悪化するだけです。御再考を」
「周瑜が何時夏口か鄂県に布陣するか分からん状況で、兵の病状など気にしてはおれんっ。病が重くなり死んだら埋めろ! 移動中も治療を施せっ。烏林に着いた後に、本格的な治療をせよっ!」
「分かりました」
曹操が怒声交じりで命じたので、曹昂を含めた家臣達も反論できなかった。
曹昂としては、徐々に船酔いに慣れさせていこうと思っていたが、これ以上は無理と判断し病に罹った兵と、健康な兵を分けて船に乗り込ませていった。
それから、十数日が経った。
少し前の進軍の様に休憩は長く取らずに進んだ事で、目的地の烏林の近くの土地まで辿り着いた。
烏林に着けば、陣地を築こうとしていたが、先行した斥侯船から驚く報告が齎された。
「なに、周瑜が烏林の対岸に陣地を築いているだと⁉」
「はっ。何度も見て確認しましたので、間違いございませんっ」
斥侯船に乗っていた兵の報告を聞いた曹操は、郭嘉を見た。
「郭嘉よ。お前の予想が外れたな。周瑜は此処まで切り込んできおったぞ」
「申し訳ございません。周瑜の行動を予測しきれませんでした」
素直に謝る郭嘉。
それを聞いて、横にいる荀攸が不可解そうな顔をしていた。
「しかし、解せません。夏口には文聘将軍が率いる軍勢が駐屯している筈です。周瑜はその軍勢と相対する事無く、此処まで来たと?」
「であれば、運が良かったのか。それとも、文聘が見逃したのか?」
程昱が周瑜が居る事から、己の考えを述べると、それを聞いた賈詡が口を出してきた。
「恐らく、前者でしょうね。見逃したとなれば、後で調べられて処罰されるでしょう。降伏したばかりの文聘がそのような事をすれば、自分の命だけではなく、一族の者達の命に関わるのでしないでしょう」
「賈詡の言う通りであろう。しかし、周瑜は夏口に文聘が布陣している事を知っているのだろうか?」
曹操の疑問に、誰も答える事が出来なかった。
文聘が夏口に布陣している時点で、周瑜は後方を遮断されたようなものだが、敵は当代でも知勇兼備の名将と謳われる周瑜である以上、何か考えがあるのではとも思えた。
「・・・周瑜の考えは分かりませんが、我らも烏林に布陣し陣地を作りましょう。父上」
「そうだな。良し、全軍に通達せよ。烏林に向かうように」
『はっ』
曹操の命に従い、曹昂達は出て行った。
蔡瑁もその場を離れようとしたが、曹操が呼び止めた。
「そう言えば、烏林の対岸には何があるのだ?」
「それなりに大きい山があります。名前は赤壁山と言います」
「赤壁か・・・・・・」
地名を聞いた曹操は顎を撫でた。
その後、曹操軍は烏林に辿り着いた。
周瑜軍から攻撃を受けるかと思われたが、攻撃を受ける事は無かった。
そのまま、烏林の地に着くと陣地を築き始めた。
後に『烏林・赤壁の戦い』と呼ばれる戦いの幕が上がるのであった。




