準備を
揚州豫章郡海昬。
その地には、現在程普が籠っていた。
「程公。気持ちは分かる。だが、貴殿が兵を集めては敵は其処をつけ込んで何をするか分からんぞ」
程普にそう声を掛けるのは、黄蓋であった。
周瑜の命で、わざわざ海昬にまで赴き程普の説得をしていたが、程普は無言を貫いていた。
「周瑜の行いは確かに暴挙と言っても良い。だが、殿は周瑜の事を逆臣とも奸臣とも言っておられないぞ。それはつまり、殿は周瑜の行いを許しているという事であろう」
「・・・・・・殿は周瑜を兄の様に慕っていたのだぞ。それを裏切るなど、臣下としてあってはならんだろう」
ようやく、口を開いた程普に黄蓋はこれで話が出来ると思った。
「確かにそうだ。しかし、呉夫人が周瑜の行いについて何の文句も言っておらんのだ」
「夫人が?」
「うむ。だから、他の者達も周瑜の行いを程公の様に非難しないのだ」
「・・・・・・だからと言って、あやつの行いを許せる訳がない」
程普は呉夫人が周瑜の行いに対して、何も言っていないとは知らなかったので、面食らっている様であった。
「それは分かっている。とりあえず今は曹操と周瑜の戦いが終わるまで、刺激するのは止めるべきだ」
「儂は殿から、どれだけ部曲を集めても構わないと言われておる。だから、兵を集める事は止めん」
程普は、鼻を鳴らしながら言うのを聞いた黄蓋は溜息を吐いた。
「程公よ。そう意固地にならなくても良いだろう。一旦兵を集めるのを止めるだけでも、周瑜は安堵するのだぞ」
黄蓋はそう言うのを聞いて、程普は暫し考えだした。
そして、頷いた後、口を開いた。
「・・・・・・儂が兵を集めているのは、周瑜の行いに怒って行っていると思っているのか?」
「そうであろう。わしだけではなく周瑜もそう思っている様だぞ。だから、わしが此処に来て説得に来たのだ」
「そうか。お主とは長い付き合いだ。だから、教えよう」
程普は決して口外するなよと目で言うと、黄蓋は頷いた。
「儂は、周瑜が曹操との戦いに負けた場合に備えて兵を集めているのだ」
「なに?」
程普が述べた言葉の意味が分からず、黄蓋は耳を疑っていた。
「如何に曹操と言えど船戦は苦手であろう。だから、少なくない犠牲が出るであろうが、曹操の事だから、そんな犠牲も気にせず柴桑に攻め込むであろう。兵が殆ど居ない柴桑では、殿を守る事は出来ん。だから、周瑜が敗北した後、殿には一族の皆様と共に海昬に来てもらう」
「海昬にか? しかし、この地に来たとしても殿を守る事が出来るのか?」
「儂の見立てでは、曹操は海昬を攻める前に撤退するとみている」
「その根拠は?」
「一つ目。曹操軍の主力は北方の兵。北方と南方では風土が違う、間違いなく進軍している間に多くの兵が病に罹る。そうなれば、兵の士気が落ちる。
二つ目は、曹操軍は大軍である為、どうしても兵糧が多くを消費する。荊州に着くまでの間に多くの兵糧を消費している。其処に荊州の投降兵も加われば、兵糧の減りが増える。荊州に備蓄されている兵糧を使っても、焼け石に水にしかならん。
三つ目、遠征に次ぐ遠征に加えて周瑜との戦いにより、戦を終えた頃には、兵は疲れて果てているからだ。
これらの事を考えて、曹操は海昬を攻める事無く撤退するとみている」
「うぅむ。成程な」
「お主も戦に参加するかもしれんが、命は大事にするのだぞ。それと、この事は周瑜に話すでないぞ」
程普に釘を刺された黄蓋は頷くだけであった。
その後、海昬を後にした黄蓋は周瑜の元に戻ると、説得は失敗した事を告げた。
周瑜も頭を抱えた後、黄蓋を労い下がらせた。
部屋を後にした黄蓋は、此度の戦で何が起こるか分からない以上、自分に出来る事をする事にした。
そう思うなり、直ぐに行動した。
その数日後。
江陵に居る間者が、文聘率いる軍勢が北上している事と、曹操率いる軍勢が船に乗り込み河を下っている報告が齎した。




