腹立たしい
首筋に剣を突き付けられた周瑜は魯粛をジッと見た。
「答える前に訊きたい。この行いは、独断か? それとも曹操辺りに唆されたか?」
「この状況で、そのような口を聞けるとは。貴殿は自尊心が高い者と思っていましたが、傲慢というのが正しい様ですな」
魯粛が睨みつけても、周瑜は泰然としていた。
「それで、どうなのだ?」
「無論、わたしの独断です。曹操に何も言われてはおりません」
「そうか。では、先ほどの問いに答えよう」
周瑜は答える前に、深く息を吸った。
「・・・・・・殿を幽閉している時点で孫策に申し開きなど出来る訳が無かろう」
「では、何故このような暴挙をっ」
「決まっておろう。武門の意地と、そう簡単に膝を曲げたりはしないという意思を示す為だ」
「そのせいで、殿が誹謗されても構わないと?」
「曹操との戦に勝てば、こちらに有利な条件で講和を結ぶ事が出来る。負けたとしても、罪をわたしに押し付けて、殿は降伏すれば臣下の手綱を取る事が出来ないという事で、軽んじられる事はあっても殺される事は無い。そう判断したから、立ち上がったのだっ」
周瑜は自分の意見は間違っていないとばかりに、強く述べた。
その言葉を聞いて、魯粛は思案した。
(如何に我らが強力な水軍を持っていても、曹操軍に勝てるとは思えん。此処で周瑜を斬るべきか? いや、もし斬れば兵達はわたしを殺すだろう。そうなれば、武官達は纏める者をかいて、暴走し殿に危害を加えるかもしれん。そうなっては、どうかるか分からなくなるな。いっそ戦わせて、負けて全ての責任を取らせた方がいいかもしれんな。万が一勝てば、その時は有利な講和を結べる)
この場で周瑜を斬る事で得られる利益と、このまま周瑜に責任を取らせた方の利益のどちらが良いか、魯粛は熟考していた。
その間、剣は首筋に突き付けられているが、周瑜は何も言わなかった。
それから暫く、室内は静かになった。
聞こえるとしても、誰かの息を吸う音だけであった。
「・・・・・・勝算はあるのですか?」
魯粛は考えに考えた結果、今周瑜を殺したとしても、その後に起きる混乱で孫権がどうなるか分からないと判断した。
そうなるかどうかは分からないが、可能性としてある以上、そうならない様にするのが良いと思い、周瑜を殺す事を止めた。
剣を鞘に納めつつ、問いかけた。
それを見た兵達は魯粛を捕らえようとしたが、周瑜が兵達の動きを察したのか、無言で制止した。
「ある。。呉郡の孫暠にも話を持ち掛けているが断られたので、業腹だが、丹陽郡の劉備と手を組もうと話を持ち掛けている。劉備も我らと手を結ばねば、自分が滅ぼされると分かっているからな。手を組まざるを得んだろう。そうすれば、居るだけでも牽制になる上に、九江郡にある合肥を攻め込むフリをするだけでも、十分に脅威になるだろう。揚州は至る所に河川が通っている。船が無ければ、自由に行き来出来ん。後は船に乗って攻め込んで来るのを迎え撃つだけだ」
周瑜は自分の考えている策を教えたが、魯粛は溜息を吐きながら首を横に振った。
「周瑜殿の考えている事は、既に敵も考えておりますよ」
そう言った魯粛は懐に手を入れると、封に入って文を取り出した。
「その文はどうした?」
「これは、曹操の息子の曹昂が渡した文にございます。その際に、こう申しました『劉備と手を結ぶのは愚策』と」
そして、魯粛は文を周瑜に渡した。
周瑜は文を受け取ると、文を広げて中を改めた。
「漢室の臣下である周瑜公瑾に謹んで、文を送る。
汝の高祖父であられる周栄は、誠に漢室の忠臣とも言うべき者であった。
例え、禍に倒れようとも、通夜を行わないよう妻子に言い含め、朝廷に骨を埋める覚悟を示した。
その後、潁川郡太守に任命され職務に励んだが、法に触れてしまい、獄に下されるべき所を、日頃から周栄の忠節に心を打たれた和帝は、県令に左遷させるだけ留めた。その一年後、山陽郡太守に任命され職務に励み、他の郡県の官を歴任した。
その子である周興は光禄郎の職に就いた。
孝行者で友情に厚くと家庭でも著しく、その清らかで高い志は故郷でも知られ、古今に通じた奇才と言われた。
その子であられる周景は、賢者を好み士人を愛し、其の才を抜擢した。
時の大将軍であられた梁冀が公府に招き、刺史と太守を歴任した。
後に、梁冀が処罰されると、免官され禁錮となったが、朝廷は周景がこれまで正しく忠実だった事で、尚書令に任じ、様々な官を歴任させた後、太尉となる。
その子である周忠は若くして列位に歴し、累遷した後に父と同じ太尉となる。
この事から、周家は二世で三公の位に就く事が出来た名門と言えるべき家である。漢室の臣下の中でも、誉れ高き家である。
しかるに、当代の周家の当主で周瑜は漢室に逆らい、己の欲望の思うがままに振る舞う様は、将に狼の如く。
仕える主家が道を誤まろうとも、諫めもしないとは漢室の臣下とは言えず。
そして、その主家が力を無くすと、主を追い落とし己が主家に成り代わろうと、振る舞う様は犬畜生にも劣る所業は、醜悪なり。
汝、己の行いを省みが恥ずるべき。それが分からないという事は、己の家の先祖の方々の忠烈に背き、家風を辱めると知れ。
もし、汝に少しでもこれまでの愚行に省みる気持ちがあるのであれば、直ちに身を清め兵を解き、頭を垂れ、妻と義姉を献上せよ。
さすれば、曹公は高祖父方々が立てられた功績により、恩赦が下されるであろう。
それでも、拒むのであれば、汝と汝の一族には天より誅が下されるであろう。
とく考え、判断すべし。汝にとって、何が大事か」
書かれた文を読んで、周瑜は顔は真っ赤になり、全身を震わせていた。
「う、う~ん・・・・・・」
頭に血が上り過ぎたのか、周瑜が立ち眩み始めた。
兵達は慌てて駆け寄り、身体を支えた。
「・・・ええい、離せ。わたしは大丈夫だっ」
そう言うが、声に力が無かった。
「おのれっ」
周瑜は文を握りしめつつ憤っていた。
「・・・・・・周瑜殿。これにて失礼いたす。後はお好きにされよ」
魯粛はそう言って一礼し、その場を後にした。
そして、自分の屋敷に戻ると、使用人に門を閉める様に命じた。
使用人達は命じられるがまま、閂を掛けた。
その後、屋敷に誰が来ても門が開けられる事は無かった。




