これは、謀反にあらず
建安十年九月某日。
揚州豫章郡柴桑。
城内にある一室にて、孫権の家臣である文官と武官達が集められていた。
使者として荊州に向った魯粛と、海昏に駐屯している程普を含めても、何人かの家臣と周瑜の姿が無かった。
家臣達は何故集められたのか分からず、話していると孫権が部屋に入って来たので-、皆頭を下げた。
そして、孫権は上座に座ると、家臣達を見回した。
「・・・周瑜はおらんな。まだ来てないのか?」
孫権の呟きに、家臣達は首を傾げていた。
「周瑜殿は来ておりませんが。何かありましたか?」
「今日は周瑜が大事な話があると聞いてきた」
孫権がそう述べるのを聞いて、家臣が述べた
「今日は殿が招集したと聞いておりましたが?」
「うむ。わたしもそう聞いている」
「わたしも」
家臣達がそう答えるのを聞いて、孫権は頭を捻っていた。
どういう事なのか分からずにいる中で、部屋の扉が音を立てて開けられた。
開けられた音を聞いて、孫権達は扉の方に目を向けると、其処には武装した兵達がいた。
兵達は室内に入ると、そのまま家臣達に得物を突き付けた。
「な、何をする。貴様らっ」
「この場を何だと思っている⁉」
武装した兵達に得物を突き付けられたが、家臣達は怒鳴り声をあげた。
武器らしい武器を持っていないので、声をあげる事しか出来なかったのもあった。
兵達は何も答えず、得物を突き付けているだけであった。
やがて、兵達を連れて室内に入る者が居た。
「周瑜っ」
兵と共に入って来たのは、周瑜であった。
孫権の声に応える事無く進み、上座の近くまで来ると一礼する。
「殿、周瑜が拝謁いたします」
「周瑜よ。これはいったい、どういう事だ⁉」
孫権は怒り交じりの声で問うた。
顔を赤くし、眉を吊り上げていた。
激怒している孫権を見ても、周瑜は平静であった。
「殿、お聞き下され。曹操に降るという事は、この揚州を得る為に命を賭して戦い散った大殿や孫策殿の行いを無にするも同じです。ですので、どうか、降伏は思い留まって下さい」
「出来るわけが無かろうっ。わたしとて、降伏はしたくない。だが、現状では、曹操に敵う訳が無かろう!」
「兵力では確かに負けております。ですが、其処は将兵一丸となり戦えば勝機はございます」
「あると思っているのか⁉ 孫暠は呉郡で、劉備は丹陽郡で独立したのだぞ。曹操に勝てたとして、無傷では勝てん。弱った我らを二人が攻めこんで来るのは明白だ。そうなれば、我らは間違いなく敗れる! その前に降伏し御家の安泰を図るしかない!」
孫権は降伏する理由を述べるが、周瑜の表情は変わらなかった。
「孫暠など、曹操の甘言に乗り独立しただけです。曹操と戦い我らが勝てば、己の行いを恐れ降伏するでしょう。劉備の場合は、我らが勝利した後に、家臣になれば丹陽郡を領地に与えると言い、正式に家臣として使いつぶせば良いのです。ですので、殿、どうか降伏は思い留まりを」
周瑜が頭を下げて請願したが、孫権は首を振った。
「それらは全て勝つ事が前提ではないか。負けた場合はどうするつもりだ!」
「・・・戦う前から負けた場合の事を考えては、勝てる戦も勝てませんぞ。殿」
「そのような事を言われる覚えはないわ!」
孫権は怒声をあげるが、周瑜は首を横に振った。
「・・・・・・兎も角、殿は暫しお休みを。後はわたしにお任せを」
周瑜はそう言って合図を送ると、共に入って来た兵達が孫権の元にいき、一言謝ると両脇に手を入れて強引に運んでいった。
「何をする。離せ、離さんか⁉」
孫権は暴れて拘束を解こうとしたが、無駄な抵抗に終わった。
兵達の抑え込まれて、孫権は部屋を出て行った。
孫権を見送った周瑜は家臣達に述べた。
「殿は病気により、当分の間療養する事となった。これより、殿が療養の間、周瑜が取り仕切る。異存はないな!」
周瑜の宣言に、家臣達は何も言えなかった。
何か言えば、自分達に突き付けられている得物に害されるからだ。
そのすぐ後。
周瑜は一人で城内にある一室に向っていた。
城内は物々しい空気になっている中で、歩いているとある部屋の前に着いた。
部屋の前に居る兵に、周瑜が来た事を告げるように述べた。
兵は部屋の中に入ると、直ぐに戻ってきて部屋に入るように促した。
そして、部屋に入っていくと、室内には椅子に座っている女性が居た。
年齢は五十代ぐらいの女性であった。
顔は皺が目立ってはいたが、昔は美しかったと思われる顔立ちしていた。
吊り目に頭頂部で纏めている髪にも白い物が混じっていた。
その女性を見るなり、周瑜はその場に跪き頭を垂れた。
「呉夫人。周瑜が拝謁いたしますっ」
「・・・・・・」
周瑜の挨拶に、女性こと呉夫人は無言であった。
この呉夫人は孫権達の父である孫堅の正室であった。
若い頃から才色兼備の女性で、孫家で強い影響力を持っていた。
「・・・・・・周瑜よ」
「はい。何でしょうか?」
「わたしは其方の事を息子の様に思っておりました」
「有難きお言葉です。わたしは生まれて間もなく母を喪い、幼い頃に父を亡くしました。恐れ多い事ですが、亡き大殿の事は父と、呉夫人の事は母と思い、今も敬い慕っております」
「わたしも孫策亡き後に、権には其方を兄として仕えるよう命じました。権はその言葉に従い、主君でありながら其方を立てていました」
「はっ、殿の海の如く温情には、この周瑜、ただ感服する次第です」
「であれば、此度の騒動は何事です。わたしも権も其方を蔑ろにした覚えはありません。だというのに、何故このような愚行をしたのです」
「呉夫人の身辺をお騒がせしました事には、誠に申し訳ありません」
「その様な言葉を聞きたくありません。わたしが聞きたいのは、わたし達をどうするのか聞きたいのです」
声は平静であるが、呉夫人の目は嘘は許さないとばかりに、力が籠っていた。
「謀反を起こした以上、わたし達を殺すつもりですか?」
「いえ、そのような事はいたしません!」
呉夫人の問いに、周瑜は違うと断言した。
「では、これからどうするつもりか?」
「まずは、わたしがこの様な事になった理由をお話しします。此度の行いは全て、殿をお守りする為にございます」
周瑜がそう述べるのを聞いて、呉夫人は意味が分からないとばかりに、怪訝な顔をした。
「最初に、此度の行いは謀反ではありません。家臣の中には、此度の降伏に対して不満を持っている者達が居る事は御存じで?」
周瑜の問いに、呉夫人は知っていると頷いた。
「わたしなりに調べたのですが。その者達が、殿が降伏した後反乱を起こそうとしている事が分かりました。もし、そうなれば、殿の身に危険が及ぶかもしれません」
「・・・・・・その者達の反乱に権が裏で糸を引いていると思われるかもしれないからか?」
「その通りです。そうなれば、亡き孫策に申し訳が立ちません。ですので、わたしが立ったのです。そして、その者達を使い、曹操と戦を行います」
「そのような事をすれば、我家は族滅するかもしれないと思わぬのか?」
「いえ、この戦は勝とうが負けようが構わないのです。何故ならば、この戦で勝てば、武門の意地を見せつける事が出来て、今後が優位に運ぶ事ができます。また負ければ、その時はわたしの首を捧げて、降伏するのです。そうなれば、殿と戦に参加しなかった家臣達の命は助かります」
「何故、そう言い切れるのです?」
「戦に参加しない者を殺しては、揚州の民の心を得る事が出来ないからです」
「・・・・・・」
話を聞き終えた呉夫人は暫し考えていた。
その間、周瑜は頭を下げ続けていた。
「・・・・・・良いでしょう。其方の覚悟は分かりました。仮に、曹操に勝った場合、其方は権に成り代わるつもりか?」
「いえ、その場合、殿に全ての権限をお返しし、魯粛に後の事を任せて、わたしはこの首を斬り、此度の不忠をお詫びいたします」
「分かりました。では、其方の好きになさい」
「有難き幸せにございます」
周瑜は拝礼し、部屋を後にした。