探偵は〇に居る
この話、本当にあったそうです。
曹操が荊州に赴いていた頃。
冀州魏郡鄴県。
曹操が居ない間の事務を統括している国淵が、城内の一室に居た。
「・・・・・・ふむ。これはどうしたものか」
国淵の手の中には、一枚の文があった。
その文に書かれているのは、政治に関する誹謗中傷であった。
至る所に投書されて、多くの者達の目にさらされた。
鄴は既に曹操の膝元と言っても良い地であった。
その地で、政治の誹謗中傷するという事は、曹操の政治体制を非難しているのと同じであった。
「丞相が居ない時に、このような投書がされるとは、全く持って度し難い事よ」
国淵は溜息を吐いていた。
この投書をどうするか考えていたが、一人で判断する事ではないと思い立ち、曹操に文を送る事にした。
十数日後。
国淵の元に曹操からの文が届けられた。
文に書かれている字は、とても怒っている様で荒々しかった。
内容は、卑劣な投書をした者を捕まえて、厳重に処罰せよと書かれていた。
曹操から捕まえる様に命じられた事で、捜査する事にした。
投書の文章に書かれている内容をじっくりと調べてみると、ある事が分かった。
「これは、二京賦から韻文を引用されているな」
投書を調べた事で分かった。
二京賦とは、後漢代の詩人にして学者及び発明家である張衡が書いた賦で、当時の長安と 洛陽 の風俗を描かれており、人々が 奢侈 に走るのを風刺した賦と言われている。
「・・・・・・良し。これだけ分かれば、後は誰が書いたか探すだけだな」
二京賦という韻文を引用している事から、投書をしている者は学者だという事が分かった。
でなければ、賦という韻文を引用するという事はしないからだ。
そうと分かった国淵は、人事を司る功曹を呼んだ。
「見どころがある者を数人連れてきてほしい」
「何をするつもりで?」
「この郡は大きくなり、しかし、学がある者は少ない。其処で見所ある若者を選んで、先生に師事させたいのだ」
国淵の話を聞いて、功曹は納得し直ぐに三人の若い官吏が選ばれた。
三人の官吏が国淵の元に来ると、国淵はこう命じた。
「丞相の政治に誹謗中傷した者を探したい。その者は二京賦の韻文を引用している事から、二京賦を読める学者を探し出すのだ。その者から文書を書いて貰い、それを持ち帰ってくるのだ」
国淵に命じられた官吏達は行動した。
暫くすると、それなりの数の学者がいた。
その者達一人一人に二京賦の文書を書いて貰った。
官吏達は文書を持って帰ると、国淵はそれらを投書の字と比較して調べて行った。
時は掛ったが、投書と同じ字の文書を見つける事が出来た。
国淵は、直ぐに兵にその学者を捕らえる様に命じた。
程なく、学者は捕まった。
捕まった学者を尋問した所、孔融の知人という事が分かった。
政治を誹謗中傷したのも、孔融を処刑された事への恨みだと述べた。
尋問を受けた学者は政を批判したという罪で、墨刑に処され冀州から追放となった。
学者の処罰を終えた国淵は、投書した者を見つけ処罰した事が書かれた文を、曹操に送った。