いざ、征かん
健安十年八月某日。
曹操の上奏は通り、荊州征伐が行われる事になった。
既に各州の兵は集まっていた。
その数、騎兵歩兵と水軍の兵の全て合わせて五十万であった。
雲霞の如く集まる軍勢を前にある高台に、曹操は登ると剣を掲げた。
「この戦にて、天下を安寧させる!」
『おおおおおおおっっっっっっ‼‼⁉』
曹操の檄に、兵達は喊声をあげた。
程なく、五十万の兵は南進を始めた。
荀彧は留守居役として、城壁にから南進する軍勢を見送った。
数十日後。
許昌を発ち、南進する曹操軍はようやく南陽郡に入った。
既に南陽郡は支配下に入っている事もあり、何の襲撃を受ける事は無かった。
何の支障もなく進み続けていくと、宛県に到達し城の前まで来た。
嘗て、今は配下となっている張繍が曹操に辛酸を舐めさせた地であった。
既に領地になっているが、城を見るなり曹操は昔の事を思い出したのか、苦笑いを浮かべていた。
そんな思いを抱きながら城の門前を見ると、この郡の太守である曹休と関羽を含めた家臣達が出迎えていた。
曹操は軍勢の足を止め、自分の馬車だけ曹休の元まで進ませた。
「文烈。久しいな、お役目を全うしておるか?」
「はっ。まだまだ至らぬ所がある身でありますが、関将軍や他の者達の力を借りて務めております」
「そうか。今後とも励むのだぞ」
「はっ」
曹休との話を終えた曹操は関羽を見た。
「関羽よ。お主の目から見て、文烈をどう見る?」
「はっ。わたしが見た所、優れた才を持っております。素直な性格ですので、水を吸う綿の様にわたしの教えを吸収していきます。教え甲斐がある者にございます」
「そうかそうか。聞いたか。文烈、今後とも精進するのだぞ」
「はいっ」
話を終えると、曹操は曹休と共に城内に入って行った。
城内に入ると、戦勝祈願という名目で宴が開かれた。
曹操を含めた将兵達は参加し、酒と料理を楽しんだ。
関羽も当然参加していた。
盃を飲み干すなり、誰かが近づいてきた。
「雲長殿。お久しぶりです」
「むっ? ・・・おおっ、田豫ではないかっ。久しぶりだな」
声を掛けて来たのは旧知の田豫であった。
黄巾の乱が起きた折、田豫は劉備が結成した義勇軍に参加していた。
当時はまだ幼く、関羽達の様に部隊長や簡雍の様に参謀ではなく一兵卒であった。
だが、劉備が田豫に見る所があると思ったようで、近くに置いて側近の様に仕えさせていた。
やがて、黄巾の乱が終わると、劉備は恩賞として安熹県に赴く事になった際、老齢の母のために帰郷する事になり別れる事になった。
その時劉備は涙を流しながら別れを惜しんだ。
それからは、様々な主を渡り歩き、今は曹操に仕え丞相軍謀掾の職に就いていた。
「お主とこうして会えるとは思いもしなかったぞ」
「私もです」
関羽が久しぶりの再会を喜んでいると、田豫も嬉しそうに今まで自分はどうしていたのか話した。
二人は盃を交わしながら、久闊を叙していた。
数日後。
兵糧の補給を済ませるなり、曹操軍は南進を再開した。
曹休と関羽達は城外に出て見送った。
宛県を発ち、進み続け襄陽郡に入り、襄陽で曹仁と合流し駐屯している軍勢と共に南進した。
南郡に入り、そのまま進み続けていき、江陵に到達した。
城には劉の字の旗が掛かっていたが、曹操軍を見るなり直ぐに白旗が挙げられ、城門が開かれると着飾った者が出て来た。
その者がそのまま進み続けると、軍勢が良く見える所で足を止めて、その場に平伏した。
「劉表家臣の宋忠が、主君の命により降伏の書状を持って参りました! どうか、ご確認をっ」
両手で書状を持ち掲げながら、平伏した宋忠が大声で叫んだ。
その声を聞いて、曹操は傍に居る騎兵に取りに行くように命じた。
騎兵は宋忠の傍まで駆けていき、書状を受け取り、曹操の元まで運んだ。
書状を一読すると、降伏する事が書かれているので問題ないと、曹操は満足そうに頷いた。
そして、騎兵に何事か伝えた。
伝えられた騎兵は宋忠の傍まで来ると「丞相は降伏を受諾された。我らがお前達が拠点にしている漢寿に着く前に、道と身を清め出迎えの準備を整えよ」と告げた。
告げられた宋忠は深く頭を下げた後、直ぐに準備を整え江陵を発った。
江陵を降伏させた十数日後。
曹操軍は漢寿県まで到達した。
事前に伝えていた通り、城外に劉琮と劉琦に加え、蔡瑁と蔡夫人の他劉表の家臣達が出迎えていた。
曹操は馬車から降りて、劉琮達と共に城内に入っていく。
そして、城内の大広間にて、曹操は上座に座り、平伏する劉琮達を見下ろした。
上座の前にある卓には、荊州州牧の印綬が入った箱が置かれていた。
「荊州全ての郡は、朝廷に帰順いたします。その証に、印綬をお返しいたす」
平伏しながら劉琮が述べた。
その姿を見て、曹操は満足そうに頷いた。
「よくぞ、朝廷に帰順する事を決めた。劉表の姿は無いようだが、どうした?」
行軍中に死んだという報告を受けていないので、生きている筈なのだが姿が見せなかったので、曹操は訊ねた。
「父は、床から上がる事が出来ぬ程の重病にて、失礼と思いますが。お許しを」
劉表が居ない事を劉琦が教えた。
「そうか。では、仕方がないな。お主らの帰順を受け入れる。沙汰について後日言い渡す。下がれ」
曹操が命じると、劉琮達は立ち上あがり一礼しその場を離れて行った。
劉琮達が出て行き、部屋には曹操と曹昂を含めて家臣達しかいなかった。
「父上。おめでとうございます」
『おめでとうございます!』
曹昂が前に出て、祝いの言葉を述べると家臣達も続けるように述べた。
「既に降伏すると決まっていたのだ。それほど喜ぶ事ではないわ」
曹操は左程嬉しそうと思っていないのか、何とも思っていない顔をしていた。
「ですが、荊州を得た事で、天下の趨勢は決まりました。これで、後は我らに従わない者達を討てば、天下は殿の物になります」
郭嘉がそう言うが、曹操は首を横に振った。
「まだ、揚州には劉備や孫権がおる。孫権はどうなるか分からんが、劉備は何としても討たねばならん。あ奴を討たねば、儂は天下を得る事は出来んっ!」
曹操は今すぐにでも、劉備を攻めたいという思いを込めて叫んだ。
「お気持ちは分かりますが。今は足場を固めるのが先決です。その後で、劉備を攻めれば我らの負けはまずないでしょう」
程昱が気持ちを静めようと、荊州の統治を行うべきと進言した。
「そうだな。まずは、劉表の息子達だが・・・・・・・劉表はまだ死んでいないのか?」
「薬師の傍に居る間者の報告では、まだ生きているそうです。と言っても、いつ九泉に行くか分からないそうです」
「そうか。では、それを上手く使うとしようか」
曹操は悪い笑みを浮かべた。
曹昂達は、何をするつもりなのか気になるのであった。
翌日。
劉琮と劉琦と蔡瑁とその他家臣の沙汰が下った。
蔡瑁は漢陽亭侯と水軍都督に任命された。その他の家臣も身分と実力に見合う官職が与えられた。
そちらは問題なかったが、問題なのは劉琮と劉琦であった。
何故か、劉琮は荊州刺史に、劉琦は荊州州牧に任命されるのであった。




