どうするか訊ねると
程昱に呼び出された曹操は、丞相府に着くなり文を渡されて一読した。
読み終えると「酈食其の様な事をしおるわ」と呟いていた。
この酈食其とは、楚漢戦争期にて劉邦に仕えた儒者で、弁舌に優れた説客でもあった。
その弁舌を持って、敵対していた斉と和平交渉に臨み、その弁舌で以って斉を一旦帰順させる事に成功させたが、韓信が斉に侵攻した事で、和平を反故にされて怒った斉王田広により酈食其は煮殺された。
韓信が斉に侵攻した理由については、自分が立てた功よりも酈食其が立てた功の方が高い事を妬んで侵攻したとも、側近だった蒯通にそそのかされたとも、和平自体が韓信を斉に侵攻させる為の策謀であったとも言われている。
韓信の斉侵攻により和平は反故されているが、劉邦は前漢王朝を樹立すると、いったん斉を帰順せしめた酈食其の功を賞した。
程昱はどうするか訊ねると、曹操は。
「丁度いい。荊州を降伏した勢いに乗って揚州、益州、交州に朝廷へ帰順するように威圧するぞ」
曹操は軍勢を率いて、荊州に駐屯し法令を整えつつ各州に使者を送り朝廷へ帰順する様に圧を掛ける事にした。
そう決めると、直ぐに兵の準備に取り掛かっていたが、その最中で鮑信が病により亡くなったという報が齎された。
長年尽くしてくれた忠臣の死に、曹操は深く悲しみ、その日の夜には献杯して鮑信に敬意を捧げた。
翌日には、昨日よりも精力的に政務に励んだ。
そのお陰か、兵の準備が早く進んだ。
そして、二十万の兵を率いて鄴を発った。
数十日後。
曹操は許昌に辿り着いた。
許昌には、支配下に入っている各州から送られた兵は来ていなかった。
雍州はまだ反乱が収まっておらず、涼州は反乱の影響で情勢が不安定という事で兵を送る事が出来なかった。
その内来るであろうと思い、曹操は献帝に荊州征伐を上奏した。
まだ、朝廷は荊州が降伏した事を知らなかったが、赴く名目として使う事にした。
上奏はそのまま通るかと思われたが。
「兵は不祥の器と言います、何事も戦で解決するのはどうかと思います」
孔融は上奏に対して異議を唱えだした。
曹操もその場に同席していたが、内心で舌打ちをしていた。
孔融の発言を聞いてか、朝議の場もざわつきだした。荀彧は孔融を睨んでいた。
これでは、上奏が通るか分からないのではと思っていた。
「陛下。此処は使者を送り、降伏を促すだけでも十分と思います」
「う、うむ。そうだな」
献帝は即答せず、曹操を見た。
視線を感じた曹操は無表情を貫いた。
何か言いたそうだが、言うべき事を避けている様であった。
「・・・・・・丞相の上奏を聞き、朕は暫し吟味する」
曹操が何を考えているのか分からなかったので、献帝はとりあえず上奏を直ぐには認めなかった。
その後、朝議は続いた。
朝議を終えた曹操は屋敷に戻ると、鼻を鳴らした。
「っち、儂が居ない間にあの腐れ儒学者め、幅を利かせる様になりおったわ」
朝廷の事は全て荀彧に任せっきりであったので、自分が上奏すればすんなりと通ると思っていた。
だが、孔融が異議を唱えただけで、上奏が保留されてしまった。
(これでは、荊州を足掛かりにして揚州と益州に攻め込む事が出来なくなるではないかっ)
何としてでも、荊州征伐をしたいと思う曹操は、何か策は無いかと考える。
其処に屋敷の使用人が部屋に入って来た。
「失礼します。荀尚書令様が訪ねてこられました」
「荀彧か。丁度いい所に来た」
曹操は直ぐに部屋に通すように命じた。
程なく、使用人に連れられ荀彧が訪ねて来た。
「丞相。お元気そうでなによりです」
「お主も・・・・・・うん?」
曹操も挨拶を返そうとした所で、荀彧の顔を見た。
髭で隠れているので、よく見ないと分からないが頬に何かに引っかかれた傷が出来ていた。
「その顔の傷、どうした?」
「ああ、これですか。いえ、大したことではございません。飼い猫に引っかかれただけですので」
「飼い猫?」
曹操は首を傾げていると、荀彧が飼い猫の雪炭に遊んでいたのだが、朝議の時刻になり遊ぶのを止めると引っかかれたのだ。
荀彧は慣れているのか引っかかれても怒る事もせず、宥める事で大人しくさせる事が出来た。
「お恥ずかしい限りです。どうも、構ってほしい時に引っ掻く癖があるようで」
「そうか。まあよい、それよりも孔融の事だ」
曹操が孔融の名前を出すと、先ほどまで楽しそうに飼い猫の事を話していた荀彧は顔をキリっとさせた。
「承知しております。朝廷の統率が取れず申し訳ございません」
「良い。だが、このままでは揚州と益州を取るのに時間が掛るかもしれん」
「はい。それに、丞相が鄴に居る事で、孔融は朝廷での影響力が増していきます。このままでは、丞相の覇道の邪魔になるでしょう。孔融を除くべきです」
「であれば、どうする?」
「此処は思い切った策を行うのはどうでしょうか?」
「具体的にはどうするのだ?」
「其処はこうするのです」
荀彧が曹操に話し始めた。
聞き終えた曹操は直ぐに行うように指示した。




