説破
諸葛亮は劉琦の屋敷に逗留する様になり、数日が経った。
漢寿県の城内に大広間では、降伏か抗戦か激論を交わしていた。
文聘が抗戦を主張し、蔡瑁が降伏を主張していた。
家臣達はその主張のどちらかを支持するか、蒯越の様に何も言わず無言を貫き中立を保つかのどちらかであった。
二つの意見がぶつかっているが、劉琮はどちらの意見を取ろうか考え迷っていた。
蔡瑁もこれでは、今までの苦労が水の泡だと思っていた。
(あの諸葛亮とかいう者は劉琦の説得は出来たのか?)
蔡瑁は少し前の事を思い出していた。
劉表が倒れ、評議で意見がぶつかり合っている時、屋敷に間者が来て文を渡してきた。
その文には、近い内に人を送るので、その者と協力して劉琦を説得してほしいと書かれていた。
暫くすると、文に書かれた諸葛亮が来た。
その諸葛亮に何をすればよいと訊ねると、劉琦の屋敷の場所を教えてほしい。後はこちらで全てやると言うので任せる事にした。
追い出されたとも、失敗したという話を聞いていないので、恐らく説得できたのだろうと予想できた。
後は家中を降伏する様に話を纏めるだけだと思っていたが、思っていたよりも抗戦を主張する者達が多く説得が難航していた。
このままでは、曹操率いる軍勢が荊州に来るのではと思っていた所に、兵が駆け込んできた。
「申し上げます。劉琦様が御供と共に参りました」
「劉琦様が?」
兵の報を聞き、その場に居た者達は皆、首を傾げた。
何用で来たのか分からなかったからだ。
「兎も角、お通しせよ」
「はっ」
蔡瑁が命じると、兵は一礼し離れた。
少しすると、劉琦ともう一人の男性を連れて来た。
蔡瑁は劉琦が連れて来たもう一人の男性を見ると、それが諸葛亮だと分かり怪訝な顔をしていた。
「・・・・・・劉琦様。その者は?」
既に知っているのだが、そうなるとどの様な関係で知り合ったかを言わないといけなくなるので、蔡瑁は知らないフリをした。
「この者は諸葛亮と言ってな。父の旧知の仲である諸葛玄の甥だ」
「お初にお目にかかります。諸葛亮。字を孔明と申します」
劉琦に紹介された諸葛亮が頭を下げて名乗り上げた。
「ふむ。諸葛亮とやら、此処に何用で来たのだ?」
文聘が胡乱な物を見る目で、諸葛亮を見つつ訊ねた。
「はい。此度、わたしがこの場に来たのは、劉琮殿にある事を申すために参りました」
「ある事?」
「はい。お家を保つ為に、曹操に降伏する様にと」
諸葛亮が降伏するべきと言うのを聞いて、劉琦と蔡瑁を除いた者達は全員衝撃を受けていた。
劉琦が驚いていない所を見ると、既に諸葛亮がどのような立場なのか聞かされている様だ。
「な、何を言うかっ。降伏など出来るわけがないっ。貴様、曹操の手の者か!」
文聘が顔を赤くしながら怒声をあげた後、劉琦を見た。
「劉琦様。何故、このような者をこの場に連れて来たのですっ」
「落ち着くのだ。文聘。お主の気持ちも分かるが、未だにどうするべきか方針を迷っているのだ。此処は孔明殿の話を聞いてから、これからどうするか判断しても良いであろう」
劉琦にそう言われると、文聘は何も言い返す事が出来なかった。
自分は別に能弁という訳でもない上に、未だに方針を決める事が出来ていないからだ。
とりあえず、話を聞いて周りの者達の反応を見ようと黙った。
「孔明殿。どうぞ」
「ありがとうございます。わたしの話をする前に、劉琮様にお聞きしたい」
諸葛亮が上座に座る劉琮を見る。
「何か?」
「荊州の軍馬がどれだけいるかお分かりで?」
そう訊ねられた劉琮は前に聞かされた事を思い出そうと、目を動かしていた。
「・・・・・・歩兵騎兵合わせて十万。水軍は十万はいるぞ」
「合わせて二十万ですか。曹丞相は騎兵歩兵に加えて水軍を合わせれば、その二倍の兵を集める事が出来ますぞ」
諸葛亮の口から、曹操軍がどれだけの大軍なのか改めて教えられて、その場にいる者達は全員息を飲んだ。
「・・・・・・兵の数だけで戦は決まる物ではないであろう」
文聘は息を吐いて気持ちを整えた後、口を挟んできた。
諸葛亮は気にした素振りもなく、文聘の問いに答えた。
「確かにその通りです。曹丞相が袁紹を破った官渡の戦いの様に、兵の多さだけで勝敗は決しません。ですが、曹丞相の麾下には名将猛将勇将が綺羅星の如くおり、名士謀士も数多くおります。名を挙げるだけでも、それこそ指で数えきれない程おります。対して、家中で名将は何人おられるのです? 名士謀士は曹丞相の麾下よりも多くおりますか?」
諸葛亮にそう問われ、劉琮達は口籠った。
将と名士の多さは、どう考えても曹操の方が多いからだ。
「荊州の兵も孫権との戦で鍛えられているでしょうが、曹丞相が率いる兵も強馬精兵揃いです。まして、数の多さで負けているのであれば、如何なる名将と言えど勝つ事は難しいでしょう」
勝つ事が難しいと言われても、誰も反論しなかった。
「それに加えて、曹丞相は此度の荊州征伐で朝廷より討伐の勅を受けるでしょう。もし、抗すれば、その者は逆賊の汚名を子々孫々まで受ける事になります」
諸葛亮が止めとばかりに、もし抗戦するのならば逆賊になるぞと述べた。
それを聞いて、文聘達は抵抗する気がそがれて行く。
劉琮に至っては、もう戦う気すら失っていた。
そんな中で、家臣の中に居た者が前に出た。
「この腐れ儒者がっ! その舌で我らの戦意を削ぐつもりだろうが。そうはいかん。いかに逆賊の汚名を被ろうと劉琮様と劉琦様が力を合わせれば、家中が纏まる。そうして、曹操と戦えば数の差はあろうと負ける事は無い!」
そう発言する者を諸葛亮は目を向けた。
「貴殿は?」
「我が名は李珪なり」
「李珪とやら。御身の言う通り、劉琮様と劉琦様が力を合わせれば、家中が纏まるであろう。そして、曹丞相と戦う事は出来るかもしれん。仮に勝つ事が出来たとしても、国が荒れるは必定。荒れ果てた土地を耕すのに、どれだけの年月が掛るかお分かりか? そうしている間に、揚州の混乱を収めた孫権が攻め込んでこないと言い切れるか? 又は交州の士燮が兵を挙げて攻め込んでこないと言い切れるか? それに、戦に負けた曹丞相は、敗北の屈辱を晴らそうと再び戦を仕掛けるであろう。その時、曹丞相率いる軍勢に対抗するだけの兵を集める事が出来るのか? 出来ると言うのであれば、その根拠を教えて頂きたい」
諸葛亮の一言に、李珪は何も言い返せないのか、わなわなと震えるだけであった。
そして、何も言えず自分が居た所に戻っていく。
それを見て、家臣の列から一人前に出て、劉琮に述べた。
「殿、孔明殿の申す通りです。此処は降伏するしかありませんっ」
「傅巽。お前もそう思うか?」
「はい。現に家中で降伏か抗戦のどちらかに纏める事が出来ないのです。このままでは、抗戦を選んだとしても家中は分裂し負けます。そうなるのであれば、降伏するべきです」
劉琮にそう云うのは、傅巽。字を公悌という者であった。
それを聞いて悩む劉琮に劉琦が述べた。
「弟よ。もし戦えば、父の骸を葬る事も出来ん。その様な不孝をしては、父上に申し訳ないであろう」
「・・・・・・・そうですな。此処は降伏しましょう」
劉琦の説得を聞いて、劉琮は降伏する事に決めた。
劉琮の言葉を聞き、家中の者達は異論を唱える者はいなかった。
先ほど、諸葛亮に論破された李珪は何も言えなかったが、悔しいのか顔を顰めていた。