便乗する
孫権は孫輔は毒殺ではなく、病死したと布告するが、家臣達は半信半疑であったが、揚州に暮らしている者達は信じた。
というよりも、孫輔が毒殺だろうと病死だろうと、どちらだろうと気にしていないというのが正しかった。
特に役職に就いている訳でもなく、曹操と通じようとして失敗して幽閉された者なので、そんな男が居たなとしか思っていなかった。
だから、病死だろうと毒殺だろうと気にならないと言えた。
当然、その布告は曹昂の耳にも入った。
「・・・・・・・気になるな」
毒殺なのか、それとも病死なのか気になった曹昂は揚州に居る間者達に事の次第を調べる様に命じた。
命じてから、数日後。
曹昂の元に、命じた件の報告書が届いた。
「ふ~ん。暗殺されたのか。しかも、命じたのは蒯越か」
劉表の謀臣と知っていたが、まさか孫輔を暗殺した事で揚州に大混乱を起こす智謀に、曹昂は舌を巻いた。
「伊達に楚漢戦争期の説客だった蒯通の血はひいていないか。しかし、この混乱使えるな」
そう思った曹昂は前々から考えていた事を行動に移す事にした。
(この混乱状態に加えて、周瑜達は会稽郡の山越の討伐中。今なら、簡単に内乱を引き起こす事が出来る)
そう思った曹昂は、直ぐに鄴の曹操と許昌の荀彧に文を送った。
十数日後。
揚州呉郡富春県。
県内にある大きな屋敷。
其処に朝廷からの使者が来ていた。
「勅命である。心して聞くがよい」
使者がそう言うと、屋敷に住んでいる主人を見た。
年齢は三十代半ばで、岩のようなごつい顔をしていた。
乱雑に生やした口髭を生やし、鍛えられた体躯をもっていたが、白い粗末な衣装を着ていた。
この者の名は孫暠と言い、孫権の親族であった。
そして、孫暠と子供達は膝を曲げて、平伏する。
平伏する者達を見て、使者は巻物を広げた。
「天子からの詔である。孫静の息子孫暠。汝は父孫静の喪に服す事四年。正に孝の道に沿っている。天子は、その孝行を称えて、汝に定武中郎将の位を与える。今後とも、忠勤に励むがよい」
「は、ははぁっ」
使者から印綬を受け取る孫暠。
と同時に、使者が「丞相からの文です。お一人でお読みください」と言い、封に入った文を渡した。
それが終わると、使者は一礼しその場を後にした。
使者を見送ると、孫暠は印綬と渡された文を持って、私室へと向かった。
部屋に入ると、書机に印綬を置いた後、渡された封を破きを入っている文を取り出し広げた。
「・・・・・・これは」
文には、孫権に反旗を翻すというのであれば、武具を提供する上に孫権打倒の際には、揚州刺史に就けると書かれていた。
「・・・わたしにも運が巡ってきたようだな」
文を握りしめつつ、笑う孫暠。
数年前、孫策が暗殺された際、揚州を手に入れようと画策していた。
孫権では家中は纏められないと思ったからだ。
手始めに会稽郡を支配しようとしたのだが、その時会稽郡に居た虞翻に諭されて、反乱を止めた。
もし反乱を起こし会稽郡を手に入れるつもりならば、命を懸けて抵抗すると説得されたからだ。
未遂とは言え、反乱を起こしたので処罰されるだろうと思い、職を辞して故郷である富春県にて沙汰を待った。
孫権は被害らしい被害もなかったので、処罰を与えなかった。
その代わり、暫く監視が付いた。
一年後、父である孫静が病死したので、喪に服した。
既に孫権に睨まれているので、出世する事も出来ないと思ったのか、孫暠は今日まで喪に服していた。
幸い貯えが十分にあった為、問題は無かった上に、喪に服しているという事で監視が解かれた。
喪に服している間、孫権に何が起こっているのか知っていた。
「ふん、虞翻の説得で身を引いたが、これではわたしが揚州を治めた方が良かったであろうに」
そう呟いた孫暠は印綬を見て笑った。
文には、連絡手段が書かれていたので、その連絡手段を使い、間者に連絡を取った。
数十日後。
会稽郡では、周瑜達の山越の討伐が進んでいた。
後数日ほどすれば、討伐が完了すると思われた。
周瑜達もこれで暫く静かになるなと安堵していた時に、兵が駆け込んできた。
「失礼しますっ。柴桑より急報です!」
「何事だ?」
「呉郡に居る孫暠が反乱を起こしました。富春県を中心に各県も同調し、他の県を侵攻中との事です!」
「なにっ⁉」
「孫暠殿が反乱⁉ 孫静殿の喪に服してたのでは無かったのか⁉」
「分かりませんっ。呉郡は大混乱しておりますっ」
兵の報告を聞いて、魯粛は周瑜に訊ねた。
「周瑜殿。どうなされますか?」
「反乱をそのままにしては、兵の士気に関わる。山越も打撃を与える事は出来た。此処は一度柴桑に退いて、態勢を整えるとしよう」
周瑜が撤退すると言うと、将兵達は直ぐに撤退の準備を整えた。
そして、疾風の様に柴桑へと撤退した。




