これはこれで困る
孫権が柴桑へ撤退するという報は、直ぐに劉磐と文聘が知る事となった。
その報告を聞くなり、二人はすぐに追撃を行った。
劉磐は黄忠に、文聘は魏延にそれぞれ三千の兵を預けて、追撃を命じた。
命じられた二人は程なく、殿を務めている呂蒙率いる三千の一団を発見し、そのまま攻撃を仕掛けた。
「一歩たりとも退くなっ。死んでも、殿を守るのだ!」
呂蒙は兵達を鼓舞しつつ、懸命に防戦した。
数は黄忠達の方が多かったが、呂蒙の奮戦と武勇により、何とか部隊を瓦解する事無く殿の任を全うしていた。
激しく戦う両軍は日ごとに死傷者を増やしていった。
同じ頃。
豫洲潁川郡許昌。
城内にある荀彧の屋敷。
政務を終えて、屋敷に帰ってきた所の様で、廊下を歩きながら私室へと向かっていた。
部屋に入ると、室内に置かれている書机の上に、何か置かれているのが見えた。
「・・・・・・またか」
その何かを見た荀彧は困った様な嬉しいような複雑そうな顔をしていた。
机の上に置かれているのは、小鳥の死骸であった。
首に何かに嚙みつかれた跡があった。
荀彧は無言で、あたりを見ると、部屋の隅に何かいるのを見つけた。
それは、灰色というよりも白い毛皮に覆われ、黒い縞模様が見えた。
爛々と輝く金色の瞳を持ち、ピンっと立った三角の耳を持っていた。
「雪炭。また獲ってきたのか」
「ニャア」
荀彧の問いに、それは鳴き声をあげた。
まるで、その通りと言っている様であった。
そう鳴き声をあげたのは、狸猫だった。
曹昂から「鼠の被害が多いと言っておりましたので、この狸猫を使ってください」という文と共に送られてきた物であった。
毛皮を見て、まるで雪の中を走っている炭の様だと思い、名前を雪炭と名付けた。
一応飼う時の注意が書かれており、それを見つつ飼ってみると、数日ほどすると鼠のよる書物の被害が劇的に減った。
最初は喜んでいたものの、今度は別の問題が起こった。
それは、今の様に狩った鼠や小鳥を私室の目立つ所に置くようになったのだ。
書机、座席など、絶対に目を置く所に置く。
最初、これは何かの嫌がらせかと荀彧は思ったが、直ぐに違うと分かった。
(獣は自分で狩った獲物を誰かにあげる事は無い。あげるとしたら、それは自分の家族のみだ)
そう悟った荀彧は、この狸猫は自分の事を家族の様に思っていると分かり、愛おしくなった。
余談だが、猫が鼠や小鳥を捕ってきて飼い主の元に持ってくるのは、飼い主が狩りをしていないので代わりに取ってくるとも、親愛の証しとも言われている。
そう思うと、獲ってきた物を無下にする事は出来なかったが、小鳥はまだしも鼠は流石に嫌であった。
食べるのに困っているのであれば、別だが好き好んで鼠を食べる事はしなかった。
鼠の処分は使用人に任せて、小鳥の方は料理人の命じて調理してもらった。
ちなみに、鼠は使用人達の腹の中に処分された。
荀彧は使用人に命じて、小鳥を調理する様に命じた。
使用人が下がると、荀彧は座席に座った。
曹昂に狸猫をくれたお礼の文を書こうと思い、筆を取り竹簡に書いていく。
そうして、書いていると、雪炭が竹簡の上を歩きだした。
歩いた所に、黒い足跡がついていた。
足跡を辿ると、硯の上を歩いた様で、足に墨がついていた。
「これは人に送る文なのだぞ。邪魔するでない」
荀彧はそう窘めるが、雪炭は知らないとばかりに横切っていく。
足に墨がついているので、部屋の床に足跡がついていく。
それを見て、後で使用人に部屋の掃除を命じようと思いつつ、これ以上部屋を汚されては敵わないとばかりに、荀彧は筆を置き、雪炭を抱いて、足のついている墨を拭い取っていく。
すると、雪炭はゴロゴロと喉を鳴らしていた。
まるで、こうなる事を狙っていたかのように。




