気持ちは分かるが
馬超が蜂起した報は、まだ許昌に居た曹操の下にも届いた。
「しぶといのう。馬家の小僧は、河に流されて、そのまま魚の餌になっていればよかったものを」
曹操は忌々しいと言いたげな顔で吐き捨てた。
部屋には、曹操の他に荀彧、程昱、郭嘉、荀攸、賈詡の五人が居た。
「辺境に暮らしていたからか、頑丈だったのでしょうな」
「羌族の血を引いているそうじゃからな。そうなのだろう」
荀彧と程昱は、馬超の頑健さは蛮族の血を引いているからと蔑んでいた。
「その羌族の血を引いているからでしょうな。氐族も協力しているとの事です」
賈詡が事前に聞いていた情報を話すと、郭嘉は困った顔をしていた。
「これは困りましたな。まだ、武威郡の張猛が勢力拡大しております。其処に漢陽郡で馬超が暴れているとなると、長安の夏侯淵殿は対処に困るでしょうな」
「其処に冀州の河間郡にて、蘇伯と田銀が反乱を起こしたそうです。これは対処を間違えると、我らの窮地になるかもしれません」
郭嘉の言葉に続く様に、荀攸が現状の分析を述べた。
「ふぅ、これでは南征どころでは無いな」
曹操はどうしたものかと、息を吐いた。
「さて、我が子房よ。この状況をどうするべきか、お主の意見を聞かせてくれい」
曹操は真っ直ぐな目で、荀彧を見ながら訊ねた。
どう対処すべきか分からない状況で、意見を求められるという事は、信頼されているという事であった。
それが分かっている荀彧は暫し考えた。
「・・・・・・此処はまずは反乱が他に飛び火しないようにすべきです。丞相は兵と共に鄴に帰還し、そして蘇伯と田銀を討ち、冀州と幽州の動揺を抑えて下さい。涼州で起きる反乱は夏侯淵殿に任せましょう。無論、ただ見ているだけではなく、援軍を送り援護いたしましょう」
「それが一番良いか。他の者はどうだ?」
曹操は四人にも、意見はあるか訊ねた。
「いえ、荀彧殿の策が良いと思います」
「冀州は今や我らの本拠。この反乱に動揺し、反乱が他の郡や幽州に飛び火する様な事になれば、大惨事にございます」
「涼州には夏侯淵殿がおりますので、そうそう敗れる事はないでしょう」
「此処は河間郡の反乱を鎮圧し、冀州と幽州の動揺を鎮めた後、情勢を見て対処いたしましょう」
皆、荀彧の意見に賛成の様なので、曹操はその意見を入れた。
そして、今度は誰を援軍に送るか話そうとしていると、部屋の外に控えている典韋が部屋に入って来た。
「申し上げます。曹車騎将軍の使者が参っております」
「子脩が。通せ」
曹操は使者を部屋に通すように命じると、典韋は一礼し部屋を出て行くと、その使者を連れて戻って来た。
「子脩よりの使者と聞いたが、何用か?」
「はっ。詳しくは、これに」
使者はそう言って、懐に手を入れてゆっくりと出すと、封に入った文を握っていた。
典韋はその文を受け取ると、曹操に恭しく捧げた。
「・・・・・・ほぅ、あやつも動くか」
封を破き、中の文を広げて読む曹操は愉快そうに笑った。
「丞相。曹昂殿は何と?」
「夏侯淵に援軍を送るので、兵を出す許可が欲しいそうだ」
曹操は手に持つ文を、荀彧に渡した。
「・・・ふむ。二万の兵を長安にですか。これだけの兵数であれば、こちらから援軍を送らなくてもいいでしょうな」
「そうだな。しかし、あいつめ。儂が援軍を送る事を読んだのか?」
だから、この様な文を送って来たのではないかと考える曹操。
「丞相。それは考え過ぎです。曹昂殿は、夏侯淵殿の窮状を察して援軍を送ろうと思っただけだと思います」
程昱が何処か誇らしげに思いながら、そう述べた。
「確かにそう言えるでしょうな。しかし、曹昂殿は何をどう行動するべきか分かっておりますな。これぞ正に訥言敏行ですな」
賈詡が称えだした。
ちなみに、この訥言敏行とは、立派な人物は口数は少ないが、行動は敏速であるものという意味だ。
この言葉は論語の一節が四字熟語になったもので、本来は『君子は言に訥にして行いに敏ならんと欲す』である。
「あいつは確かに。軽々しい事は言わんな」
「昔、呂布に沛県を奪われた時、計略を巡らして素早く奪還しましたな」
「少々問題は起こしますが、軽率な方ではありませんな」
曹操達は曹昂の事を思い出しながら、その言葉に合っているか考えていた。
其処に部屋の外に控えていた護衛の兵が入って来た。
「申し上げます。関将軍がお会いしたいと参っております」
「ほぅ、関羽が?」
曹操は兵に部屋に通すように命じた。
少しすると、兵と共に関羽を部屋に入って来た。
「丞相。皆様方、お話し中に失礼いたします」
「如何した。関羽よ」
一礼する関羽に曹操は訊ねた。
「はっ。先程、馬超が蜂起したと聞きました。これは、わたしが取り逃がした事で起きた事です。どうか、わたしめに兵を貸して下され。そして、今度こそ、馬超の首をあげてご覧にいれます」
関羽が頭を上げて頼みだした。
「関羽よ。お主の気持ちは分かる。だが、既に別の者を送る事が決まっている。済まぬが、諦めてくれ」
曹操は関羽の忠義に答えたいと思うが、既に曹昂が援軍を送る事を決めているので、これ以上の援軍は無用と思い、その頼みを断った。
「・・・・・・そうでしたか。では、馬超を討ち取る事が出来なかった事への処罰を」
関羽は処罰を与えて欲しいと、頭を下げて頼みだした。
「罰か。・・・そうだ。南陽郡の太守が儂の一族の者が務めている事は知っているか?」
「はっ。確か、曹休という者と聞いております」
「そうだ。暫く曹休の下に行き、あやつは、まだ若いので至らぬ所があるだろう。其処を言い聞かせて欲しい」
「承知しました」
暫くの間、曹休の下に付くよう命じられた関羽はすんなりと命を聞き入れた。
関羽が部屋を辞すると、荀攸が話しかけて来た。
「良いのですか。丞相、関羽を涼州に向かわせれば、武威郡の張猛も討ち取れるかも知れませんぞ」
「そうかも知れんな。だが、曹昂も兵を動かすのだ。大丈夫であろう」
「・・・丞相がそう言うのであれば」
曹操が問題ないと言うので、荀彧はそれ以上何も言わなかった。