月日が経ち
建安十年一月。
冀州魏郡鄴県。
正月を迎え、屋敷にいる曹操は丁薔に酌をしてもらいながら、和やかに過ごしていた。
「こうして、お前に酌をして貰うのは久しぶりだな」
「そうですね」
曹操は感慨深く語るが、丁薔は同意するだけで特に感慨深そうではなかった。
まるで、自分と接する時間よりも、愛妾達と接する時間を非難している様に聞こえた。
其処まで考えるのは、流石に邪推しすぎかと思い直し、曹操は盃を傾ける。
「儂もそろそろ良い歳だな。そろそろ、引退する事も考えなばならない歳だな」
今年で五十歳になる曹操は、良い機会と思い自分の事を儂と呼ぶ事にした。
「まぁ、御冗談を」
曹操の一言を聞いて、丁薔は面白い事言うとばかりに笑みを浮かべた。
「冗談ではない。儂も良い歳だからな。後の事は全て子脩に任せて、儂は故郷に帰り隠居生活をしても良いと思うぞ」
「そういう事は子供を作る気力がなくなってから申して下さい。去年で側室や妾達の間に、何人子が出来ました?」
「・・・・・・三、いや四人だ」
「五人です。それと、秦夫人が今年辺り子が産まれるそうです」
「ほぅ、そうか。それは良い事だ」
曹操は喜ぶが丁薔は目を細めた。
「子を作る元気があるのに隠居など、まだまだ早いですよ」
「そうか?」
「ええ、子を作る元気が無くなった時に隠居すればよいですよ。その時は、わたしも一緒に故郷に帰りますね」
「お前も帰るのか。そうか・・・・・・」
丁薔と一緒に居れば、女子を口説く事は出来ぬなと思う曹操。
そんな、曹操の腹など読んでいるとばかりに、丁薔はジッと見て来た。
「何か、問題でも?」
「い、いや、無い。無いぞ! お前が一緒に居れば、何処であろうと楽しいであろうな。ははは」
曹操が笑って誤魔化した。
丁薔は溜め息を吐いた後、酌を続けた。
同じ頃。
兗州陳留郡陳留県。
城内にある一室で曹昂は報告書を読んでいた。
「ふむ。軍用鳩の訓練も順調か」
報告書には鳩の生還してくる数が増えて来たと書かれていた。
それと同時に、軍用犬についての報告も書かれていた。
其処に書かれているのは、犬の絵姿であった。
犬の首には刃付きの首輪が付けられていた。
「襲われても、この刃付きの首輪で抵抗させるか。役に立つのか?」
対して、役に立たないのではと思えた。
「・・・・・・いっその事、目立たせるか。もし、肉を食べる為に殺せば呪われるとか、犬が黄泉に行くのを妨害するという噂を流せば、襲われる可能性は無くなるかも知れないな」
この時代は信心深い者達が多いので、いけるのではと思う曹昂。
「お前はどう思う?」
曹昂は部屋の隅に伏せている者に声を掛けた。
その者は 幅の広いがっしりとした頭部に骨太の身体を持ってた。
深みがある黒毛で、毛量も多く長かった。首周りの毛がまるで獅子の様な鬣の様に生やしていた。
よく見ると、曹昂が声を掛けたのは犬であった。
一頭ぐらい飼っても良いかと思い、曹昂はこの西藏獒犬(チベタン・マスティフの異名)を法正から貰い受けた。
名前はまだ思いつかないので、付けていなかった。
だが、この西藏獒犬は頭が良いようで、曹昂が声を掛けると反応しくれた。
その上、忠誠心が厚いのか、曹昂が何処かに行こうとすると、その後にピタリと付いて来るのであった。
「・・・・・・」
「ふむ。わたしの好きにしても良いという事か?」
曹昂が訊ねると、西藏獒犬は頷くのであった。
「そうか。では、劉巴達と相談してから決めるか」
曹昂は報告書を卓の上に置くと、西藏獒犬を手招きした。
西藏獒犬は立ち上がると近付いた。
「良し良し。良い子だ」
曹昂が西藏獒犬の頭を撫でると、嬉しそうに尻尾を振るのであった。




