一通の文
漢寿にいる劉表の下に驚くべき報告が齎された。
「なに⁉ 蒼梧郡太守の呉巨と頼恭が争っているだと⁉」
大広間の上座に座る劉表は驚きの表情で、そう報告してきた者に問い質した。
「は、はい。城内にその様な噂が流れているそうです」
「有り得ん。あやつは長く仕える忠臣ぞ。あやつがその様な事をする訳がないっ」
劉表は出鱈目だろうと、聞き流す事にした。
その数日後。
頼恭から文が届けられた。
呉巨が兵を集めて、わたしを攻撃するつもりの様です。何卒、御助けをという内容の文が届けられた。
「まさか、あやつは儂に叛くつもりか?」
文を読み終えるなり、呟く劉表。
其処に蒯越が口を挟む。
「殿、もしやあやつ劉備に唆されたのでは?」
「むう、有り得ぬとは言い切れぬな。劉備は口が上手いからな」
蒯越の言葉に、劉表は唸りながら頷いた。
呉巨は劉表に仕える前は、各地を流浪していた。
その際、幽州にも訪れていた。其処である人物と知り合った。
それは劉備であった。その時は琢郡の太守をしていた。
馬が合ったからか、劉備の食客になっていたが、劉備が徐州救援に向かう際には、その下を離れた。
そして、流浪を続けた後、劉表に仕えた。
「呉巨は劉備と親しくいていたと聞いております。劉備がその縁を使い、調略し殿に叛くつもりなのかも知れませんぞ」
「むぅ、有り得ないとは言えんな」
「此処は二人を呼び出して、話を聞くのが良いと思います」
「そうよな。二人をこの地に来る様に文を送れ」
「直ちに」
蒯越は一礼し、部屋を出て行った。
「全く、曹操と孫権の対処で手一杯であると言うのに、無用な争いを起こすでない」
劉表は頭を抑えながら、溜め息を零した。
同じ頃。
交州交阯郡龍編県。
城内にある一室で、ある男が文を読んでいた。
「ふむ。蒼梧郡太守の呉巨と頼恭が仲違いしているか」
男は文を読みながら、顎髭を撫でた。
年齢は六十代後半で、髪だけではなく口髭も顎髭も殆どが白くなっていた。
肌ツヤ良く温和な顔立ちをしており、腹周りにかなりの肉がついていた。
「噂で、蒼梧郡の統治について意見が合わず衝突いていると聞いていたが、これは何かに使えるかも知れんな」
顎鬚を撫でて思案に耽る男。
そのまま、暫く考えていたが、男は何か思い至った様で突然、頷きだした。
「これは使えるな。誰かあるか」
「はっ」
男が声を掛けると、部屋の外に控えていた別の男が返事をいて、部屋に入って来た。
「今から書く文を、蒼梧都督の区景に渡すのだ」
「承知しました」
男がそう言うなり、直ぐに文を認めた。
文を渡された男は一礼し、部屋から出て行った。
「上手くいけば奪われた蒼梧郡を奪還する事が出来るかも知れんな。まぁ、失敗したとしても、儂には何の害は及ばんであろうな」
男は椅子に座りながら、ひとりごちる。
そうひとりごちる男こそ交州の実質的支配者である士燮。字を威彦という者であった。