学者肌という事なので
陳留を出立した曹昂達は青州へと向かっていた。
それ程の大人数では無いのだが、兗州と青州とは少し距離がある為、目的の場所である朱虚県に着くまでに、それなりの時間が掛ってしまった。
陳留を発った数日後に辿り着いた。
「此処が青州か・・・」
馬上から曹昂は周囲を見回した。
青州で黄巾軍が発生した事により、治安が悪化し土地は荒れ果てた所に、袁紹の息子の袁譚が侵攻した事で、碌に統治もしなかった為、更に荒れ果てた。
其処から、袁紹からの支配を奪い取り新しく就任した州牧の統治により、治安がかなり改善された。
お蔭で土地も徐々にだが、復興されていった。
(思っていたよりも復興しているな。てっきり、まだ賊の討伐をしているかと思ったのだが)
予想以上に復興しているので、別の意味で驚く曹昂。
それを見て、以前荊州の武陵郡を通った時に見た光景を思い出した。
(もう劉表の統治に戻った筈だが、まだ荒れているのだろうか?)
無事に復興されているのか、少しだけ気になるのであった。
「殿、どうされました?」
物思いに耽っていた曹昂に、護衛として連れて来た孫礼が心配そうに声を掛けて来た。
「いや、何でもない。早く管寧殿の下に向かおうか」
「はっ」
「案内を任せた」
「はっ」
曹昂は管寧と共に青州に戻って来て報告に来た者に案内を任せた。
その者の案内に従い、進んでいくと、少し山に入った所に庵が建てられてた。
「あの庵に管寧殿が居るのか?」
「はい。その通りです」
案内した者が頷くのを見て、曹昂は馬から降りた。
供の者達にはその場で待つ様に声を掛けた。
そして、一人で庵の塀から声を掛けた。
「失礼。どなたかおられるかな?」
それなりに大きい声で訊ねた。
その曹昂の声が聞こえたのか、何処からか人が出て来た。
年齢は四十代後半で、身の丈八尺はあった。
鼻骨が大きい顔を持ち、眉毛も細く美しかった。知性を感じさせる大きい目を持っていた。
髭は顎から顔の形に沿うよう生やしていた。口髭も口の周りを蹄の様に生やしていた。
皁い帽子に、木綿の肌着と袴と、木綿の裠を身につけていた。
「どなたでしょうかな?」
その者は礼儀正しく、曹昂に問いかけて来た。
塀の外に居る曹昂の供は、その者を注意深く見ていたが、此処まで道案内してくれた者だけは、何か伝えようと思い口を開こうとしたが。
「これは失礼。わたしは曹昂。字を子脩と申す者です。管寧殿にお会いしたいと思い参りました」
「貴方が・・・・・・申し遅れました。わたしが管寧。字を幼安と申します」
曹昂が頭を下げて名乗ると、その者こと管寧が挨拶を返した。
会いに来た者が挨拶するのを見て、曹昂は少し面食らったが、直ぐに平静を取り戻した。
「これはっ、不躾にもお呼びし来て頂き感謝の言葉しかありません」
「いえいえ、そろそろ故郷に帰りたいと思っていた所でしたので、お気になさらずに」
曹昂が頭を下げると、管寧は特に何ともない顔で手を振るのであった。
「立ち話も何ですので、粗末なあばら家ですが。どうぞ中へ」
「失礼いたします」
管寧が庵の中に入る様に促してくれたので、曹昂は頭を下げて庵の中に入って行った。
庵の中に入り、座席に座っていると、管寧が茶器を持ってきた。
「丁度、今息子は外に出ておりまして、使用人も共に付いて行きおりません。わたしが淹れた粗茶ですが。どうぞ」
「いえいえ、有り難く頂戴します」
頭を下げて、置かれた茶器を手に取り啜る。
(何だ。普通に美味い茶を淹れるじゃないか)
一口味わうと美味しかったので、意外だと思う曹昂。
そして、茶で喉を潤した後、茶器を置いた。
「この度はわたしのお呼び出しに応じて頂き、誠に感謝の言葉しかありません」
「お気になさらずに。しかし、わたし如きに会う為に、御自ら訪ねられて来るとは驚きました」
管寧の顔には予想外と書かれていた。
その顔を見て驚きはしたが、特に不快には思っていない様であった。
「其処まで驚く事は無いでしょう。古より、君主が賢人を迎える時には自ら赴いた例は幾つもあるでしょう」
「賢人ですか。わたしの様な年寄りよりも、もっと若く知見に富んだ者を迎えた方が良いと思いますが」
管寧は建前なのか、それとも本心なのか分からないが、推挙を断る事を匂わせた。
それは困ると思った曹昂は話を進める事にした。
「いやいや、管寧殿は竜と称された御方です。この国をどれだけ探したとしても、その様に言われる者はそうそういません」
「ふふふ、それは過大な評価ですな。所詮わたしは学問を勉強する事しか知らない者です。その様な、わたしが政を論じる事など、とてもとても」
管寧がそう言うのを聞いた曹昂は目を光らせた。
其処が攻め所と見たからだ。
「そうですね。人には向き不向きというものがありますからね。ですので、博士祭酒の地位はどうでしょうか?」
曹昂が提示した官職を聞いて、管寧は目を見開かせた。
博士祭酒とは、官僚候補生を育成する高等教育機関である太学の教官を務めている博士の長を務める官職だ。
簡単に言えば、国立の官僚を育成する学校の学長の様なものだ。
宗廟と礼儀と祭祀を管轄する太常に属するが、特に政治に関わる事は無い官職だ。
人によっては、何の旨味も無い上になりたくない官職の一つと言えるのだが、管寧は違った。
「・・・・・・本当にその官職を就かせて頂けるので?」
唾を飲み込んだ後、管寧は確認の為に訊ねて来た。
「ええ、勿論です」
曹昂は確約するという意味で答えた。
管寧は遼東郡に居た頃から、学者として振る舞っており、郡内定住した後は住民に『詩経』『尚書』などを講釈していた。
その事から、管寧は政治家というよりも学者の方が向いていると言えた。
曹昂はそのような者を無理には政治に関わらせないで、官僚を育成する教育機関である太学の長である博士祭酒にする事にしたのだ。
その役職であれば、太学生に学問を教える事は出来る上に、好きなだけ学問の研究を出来る。
だから、管寧には魅力的な官職と言えた。
「・・・・・・少し考える時間を頂きたい」
「ええ、構いませんよ」
管寧が悩んでいるのを見て、曹昂は上手くいきそうだなと思っていた。