傍若無人
二十五万の大軍を有した董卓は最早自分に敵は居ないと断じて、自分に前将軍の地位を与え親族や部下を武官の要職に就けた。
それが終わると気分良さそうに酒を飲んでいた。
飲み終わると、董卓は傍らに控えている男に声を掛ける。
「李儒。儂が思っている事が分かるか?」
そう董卓に声を掛けられた男は名前を李儒。字を文優という男であった。
董卓が涼州に居た時に洛陽の十常侍の張譲の繋ぎ役をしていた者で董卓の懐刀でもあり娘婿でもある。
今は光禄勲という宮殿における門の守衛を管轄している官職に就いている。
懐刀と言われるだけはあって、刃の様な鋭い目には知性が宿っていた。平均的な体格で整った口髭を生やして居た。
「はい。ずばり、今の皇帝を廃位させる事ですね」
「そうだ。流石だ。だが、まずは百官共がどう思うか分からんな」
「では、宴を催して其処で皇帝を廃位させる事を話すのです。そうすれば、反応が分かります」
「うむ。では、早速行おう」
善は急げとばかりに董卓は自分の屋敷にて饗宴を催すと言って百官を招いた。
夜。
董卓の屋敷に招かれた百官達は用意された酒と料理に舌鼓を打ちながら舞楽を楽しんでいた。
曹操もその中に居た。
(酒も料理も不味いな。これでは、我が家の料理の方が遥かに美味い)
出された酒と料理を心の中で不味いと思う曹操。
日頃から数年前に知人から教わった九醞春酒こと名称が長く他の酒と違う事で『諸白』と名付けたこの宴に出されている酒よりも上手い酒を長い事飲み、曹昂が考案した見た事もない料理を食べている所為か舌が豊かになった曹操。
(帰ったら口直しに膾でも食べるか)
そう思いながら早く宴が終われと思う曹操。
「……ええいっ。本来であればこの宴をしていたのは私だったと言うのにっ」
曹操の隣の席に居る袁紹は既に酔っているのか、董卓が訊いたら殺されてもおかしくない事を口走った。
幸い周りの者達は舞楽の音色と踊り子達に夢中なので誰も聞いては居なかった。
「本初殿。気持ちは分かるが落ち着け。この様な場でそんな事を言ったら、これだぞ」
曹操は首を斬られるぞと手でジェスチャーした。
「分かっているわっ」
袁紹は怒りの声を上げるが直ぐに盃を傾けて酒を飲みだした。
そんな袁紹の態度を見て曹操は溜め息を付いた。
其処に董卓が姿を見せた。
「諸卿よ。宴は楽しんでおられるかな?」
董卓が百官達にそう訊ねると、百官の者達が酒が入った容器を持って董卓の傍に行く。
「董将軍。注がさせて下さい」
「私も」
「では、次は私も」
「いやぁ、董将軍は素晴らしい御方ですな」
「我等とは貫禄も御威光も違います」
「全くです」
殆どの百官達は董卓の威勢に恐れをなして媚び諂い出した。
それを見た袁紹は鼻で笑いながら酒を飲んでいた。曹操は黙々と酒を飲んでいるフリをしながら、董卓を観察していた。
(前に会った時から得体の知れない奴だと思っていたが、まさか此処までの大勢力を築くとは思いもよらなかった)
自分の人を見る目もまだまだだなと思った。
「さて、諸君。宴の最中ではあるが、私は諸君に一つ提案したい事がある」
董卓の提案と聞いて、皆耳を傾けた。
「諸君は今の少帝陛下をどう思われる?」
董卓が何を言いたいのか分からず殆どの百官達は首を傾げた。
「少帝陛下に優れた才は無く人徳も無し。民の信望も集まっていない。そんな者が漢室の皇帝に相応しいだろうか?」
まだ帝位に就いて数ヶ月しか経っていない者に才能と人徳を示せという方が難しいと言えるだろう。
それが分かっているのに董卓は敢えて提言した。
「故に儂は此処に陛下の弟君であられる陳留王を新しい皇帝にすべきだと思うが、皆はどうお考えか?」
董卓が提言した内容を聞いて百官達は言葉を失った。
「誰か異論はあるか?」
董卓が周りを見ながら訊ねる。
口調こそ優しいが、もし異論があったら殺すと目で言っていた。
二十五万の兵を有し朝廷を仕切っている董卓に百官達は何も言えずただ董卓の言葉に従うと思われたが。
「否、否である‼」
「私も同じくっ」
大声で董卓の提案に反対する者が二人いた。
一人は袁紹。もう一人は盧植であった。
「袁紹に盧植か。何か不服か?」
「おうとも。天子の位は天子の御意が決めるものだ。臣下である我等が口を挟む事ではない」
「その通りです。臣下の分際で天子を変える事を提議するなど言語道断ですっ」
「ふふ、そち達は今の世を良くしようと思わないのか? 儂は良くしようと思い提議しただけだ」
「貴様の様な豺狼が国の命運を変えるような事を言うとは、なんたる不敬。なんたる不遜。董卓、貴様にそんな事をさせる権限など無かろう‼」
「儂に逆らうと言うのか? 面白い」
董卓は手を掲げた。
すると、宴席が行われている部屋に武装した兵士達が流れ込んできた。
そして、持っている槍を袁紹達に突き付ける。
「ほれ、先程の様に威勢がいい事を言わんのか? うん?」
董卓は嬲る様に袁紹達に問い掛ける。
「ぬぐうぅぅぅ、おのれ……」
兵達に囲まれては袁紹達は何も言えなかった。
「ふん‼ 槍を突き付けられて何も言えぬ小心者の意見など聞く価値も無いわ。お前達、この二人を牢に入れろ。処分は明日、決めるとしよう」
「はっ」
「放せ。放さんかっ」
「ええい、董卓。この屈辱は忘れんからなっ」
兵達に捕まれて袁紹達は牢へと連れて行かれた。
董卓はそんな二人を見て鼻で笑った。
良い見せしめが出来たと内心で思いながら。
「儂に逆らう者は居るか?」
董卓が再び周りの百官達に声を掛けた。
百官達は頭を垂れて「御意」とだけ述べた。
それを訊いた董卓は大笑いした。
宴が終わると李儒は董卓にこう進言した。
「袁紹は名門袁家の次期当主。盧植は当代の名士です。この者達を殺せば、後々不味い事になります。何卒寛大な処置を」
と言うので仕方が無く袁紹は勃海郡の太守に任命した。
盧植は官職を剥いで洛陽から追い出した。
それにより、盧植は世を見限り郷里に帰り隠棲した。
中平六年九月。
董卓は官服を着て百官達を引き連れて来た。
朝議が行われる嘉徳殿へと向かった。
玉座に座る少帝弁とその隣にいる何皇后は何事だという顔をしていた。
「陛下。我々は貴方様を帝として認める事は出来ず、新しき帝を奉る事を宣言に参りました」
「何ですって⁉」
驚きの声を上げる何皇后。
董卓は目で傍に居る李儒に合図する。
それを見て李儒は手に持っている宣言文を読み上げる。
「我ら文武百官は現皇帝を見るに天子の器ではないと見る。礼節も知らず、学問も出来ず王者としての素質を見る事は出来ない。そのような者が今日の乱れた世を立て直す事は不可能と見る。故に我らは礼節を重んじ学問も秀でて部下を愛する事も出来る王者の素質を持つ現帝の弟君であられる陳留王を新しき帝として推戴せん」
李儒が宣言文を読み終えると董卓は声をあげる。
「皆、異論があるか⁉」
周りの者達に問い掛けるが、誰も答えないと思われたが。
「董卓っ、この逆臣め‼ 貴様如きが皇帝を自分勝手に決めるとは無礼にも程があるわ‼ 成敗してくれる⁉」
帝の護衛役も兼ねている宮内官の一人が腰に佩いている剣を抜いて董卓に斬り掛かった。
董卓もまさか襲い掛かって来るとは思っていなかったので剣も佩いていなかった。
引き連れて来た者達の中には武官はいるが距離があった。宮内官を斬る前に董卓が斬られると思われた。
だが、天は董卓の死を望まなかった。
パキンっという音と共に宮内官が持っていた剣が折れた。
折れた刀身が回転して天井に突き刺さった。
斬られたと思った董卓であったが衣の下に曹昂が持って来た鎧を着用していた。
その鎧が剣を防いだ様だ。
「「…………」」
百官達からしたら何が起こったか分からなかったが、董卓はいち早く気を取り戻して斬り掛かって来た宮内官の顔面を殴った。
短い悲鳴を上げて倒れる宮内官。
「何をしている。この狼藉者を殺せ‼」
李儒の声を聞いて武官達が剣を抜いて宮内官を刺し殺した。
「ぎゃああっ……むねん……」
宮内官が悲鳴を挙げた後、一言呟いて事切れた。
「ふん。剣を寄越せ」
董卓は武官から血で濡れた剣を受け取る。
その血塗られた剣を持って董卓は玉座へと上がる。
「こ、こここ、このぎゃくしんめ。なんとぶれいなっ」
「黙れ。この毒婦が。霊帝陛下の母君である董太后を暗殺した貴様が何を言うかっ」
「なにをいって」
「孝に背いた罪で成敗してくれる‼」
董卓は剣を振り何皇后を斬った。
袈裟切りにされた何皇后は傷口から血を噴出させながら倒れた。
「へ、へいか……たすけ……て……」
何皇后は白い顔で自分の息子である少帝に助けを求めたが。
「ひいい、ひいいいいいっ」
血と死にかけている母親の顔を見て悲鳴を上げて後退る少帝。
それを見て手を伸ばす何皇后であったが、途中で力尽きて倒れた。
「ふん。自分の母親が助けを求めているのに何もしないとは。とんだ腰抜けよ」
董卓は剣に着いている血を振り落として剣を持っていた武官に渡す。
そして、少帝に背を向けて百官達に宣言する。
「皆の者。何皇后とその兄である何進、何苗は自分達の欲望の為に霊帝陛下の母君であられる董太后様を暗殺した。故に誅したのだ。何進、何苗の死体も墓から引きずり出して八つ裂きにせよ‼」
「はっ」
「其処に居る者は引きずり下ろせ」
「はっ」
少帝は武官達に引きずられて何処かに行った。
泣き叫ぶ少帝であったが、誰も助けようとしなかった。
少帝の声が聞こえなくなると董卓は次の命令を出した。
「誰か陳留王様をここへ」
董卓がそう命じると部下が後宮から陳留王を連れて来た。
「劉協様、いや陛下。今日より貴方様が帝であらせられます」
董卓は平伏する。
それに倣い百官達も平伏した。
この瞬間、献帝が誕生した。
そして、少帝は廃位されて弘農王へ降格された。
それからすぐに董卓は太尉・領前将軍事となり郿侯に封じられた。
董卓は最早、天下を手中に収め我が世の春が来たとばかりに好き勝手な行動を取りだした。
後宮に入り女官を凌辱し洛陽の富豪を襲って金品を奪ったりと暴虐の限りを尽くした。
董卓が凌辱した者達の中には少帝の妻である唐姫と霊帝の娘である万年公主も含まれていた。
唐姫は十五歳。万年公主は二十歳になったばかりであった。




