思わぬ余波
孫権軍が撤退した後、曹昂軍は広陵県に駐屯していた。
此度の戦の被害状況を知る為と周瑜の水軍が攻め込んで来た時の事を知る為に。
曹昂が被害報告を記された報告書を読んでいると、司馬懿が入って来た。
「殿。孫家に潜り込ませている密偵から報告です」
「どうなった?」
「はっ。今、孫家は文官と武官に分かれて、韓当の処分について揉めているとの事です」
「そうか。お主の策が上手くいったな」
「はい。殿であるのに、無傷で帰還してきたのです。知恵者でなければ、敵に内通しているのでは? と思うでしょう」
「正直な話、そう上手くいくのかと疑っていたがな」
司馬懿から韓当を謀で陥れて、孫家の混乱状態にすると言うので、こちらの損はないので実行を許可した。
結果、孫家の武官と文官は険悪となっていた。
「韓当は自分の屋敷に謹慎しているそうです。まぁ、父親の代から仕えているという忠臣ですので、その内長年の忠義に免じてと言って許されるでしょうな」
「まぁ、そうだろうな」
父の代から仕えている忠臣を敗戦の責を取らせて処刑などすれば、家臣達の信頼が落ちる。
孫権の君主基盤は強くなく、揚州の豪族の勢力が強い為、韓当を処刑などすれば余計に豪族の影響力が増すといえた。
「それよりも、周瑜の水軍を撤退させた張子の城壁を作った者は誰なのか分かったか?」
「はい。此処の郡の太守で徐盛という者だそうです」
「・・・・・・ほぅ、そうか」
名前を聞くなり、曹昂は内心驚いていた。
以前揚州に勧誘の使者を派遣したが、見つける事が出来なかったという報告を訊いたので、時期が合わなかったのだと思い諦めていた。
「何でも、臧覇の元部下で陳登に推挙したと聞いております。しかし、張子の城で撤退するとは周瑜とは存外大した事が無い者かも知れませんな」
無名と言っても良い徐盛に撃退される周瑜を司馬懿は嗤っていた。
「まぁ、思わぬ所に伏兵が居て焦ったのかも知れないな」
徐盛が広陵郡に居ると知った曹昂は部下に加えるべきかどうか考えた。
(劉馥の叔父上がその内、合肥に入るだろう。であれば、徐州の守りが薄くなったとしても問題ないか。まぁ、陳登の様子を見てから決めるか)
まずは、徐盛と会い本人の意見を聞いてから決める事にした。
その数日後。
韓当が自分の屋敷で自害したという報告が届けられた。
韓当が自害したその日。
孫権は文官と武官達の韓当をどう処分するべきかの評議を聞きながら、どうしようか考えていた。
其処に周瑜の代わりに水軍を率いて来た魯粛が城に着いた。
直ぐに魯粛を通すように命じた。
評議の場に通された魯粛は話を聞くなり、呆れた顔をしていた。
「殿。これは敵の謀にございます。程公の軍にだけ損害を与えて、韓当殿が率いる軍に被害を与えなかったのは、家中を混乱させて分裂させる為にわざと攻撃しなかったのです」
話を聞いた魯粛は直ぐに敵の策を看破した。
話を聞いてその場に居た孫権他百官達は衝撃を受けていた。
「何と言う事だ・・・・・・まさか、敵の謀略に嵌められるとは・・・・・・」
孫権は韓当に対して申し訳ない気持ちで胸を一杯にしていた。
直ぐに韓当を呼び謝罪しようと人を遣ろうとしたが。
「も、申し上げます! か、韓当様が、韓当様が・・・御屋敷にして自害されました」
兵が評議の場に駆け込みながら、悲しそうな顔をしながら報告した。
葬儀は直ぐに行われた。
韓当が自害した部屋には一枚の紙が置かれていた。
紙には「主に不信を抱かれるのは臣の不徳。不徳を抱かせた罪を死してお詫びする」と書かれていた。
首筋に白い布が巻かれた韓当の死体が入った棺の側には韓当の親族が居た。
皆涙を流し韓当の死を悼んでいた。
その中で喪主を務めている韓当の息子の韓綜は一番嘆いていた。
「父上、何故、このような最期を・・・」
戦で失態を犯したとはいえ、率いて来た兵を一人も失う事なく帰還して来たので、功罪相殺で許されるだろうと思っていた。
それなのに自害するので韓綜は嘆きながら、不審を抱いていた。
葬儀の場に重臣達が次々に訪れていく。
そんな中で兵の一人が韓綜にある事を告げた。
「実は韓当様が自害される前に、殿に呼び出されたそうです」
「なにっ、何を話されているか分かるか?」
「人払いされましたので、話の内容は分かりませんが。部屋を出た韓当様は何かを決めた顔をしているのを見ました」
「そうか・・・・・・」
兵の話を聞いた韓綜は何か思いつめた顔をしていた。
夜。
棺が置かれている部屋に韓綜は灯された蝋燭を見ながらある事を考えていた。
(殿に呼ばれて話をしに行ったという事は、殿に何か言われたのか?)
その後に屋敷に戻って自害したのだと予想できた。
(という事は、殿に酷く侮辱されたのか? あるいは忠義を疑われる事を言われたのか?)
一度そう考えだすと、韓綜は悪い方へと考えてしまっていた。
そして、ある考えに思い至った。
「父上が死んだのは殿が父上の忠義を疑ったからか・・・・・・」
確信に満ちた独り言を零した韓綜。
そして、目から涙を流した。
「これが、三代にわたって仕えた忠臣にする仕打ちだというのか? うおおおおおっっっ」
韓綜は声をあげて泣いた。
(最早、孫権は我が主に非ず。我が忠義を捧げるに値しない‼)
泣きながら心の中でそう誓うのであった。