周瑜の誤算
「な、何故、城壁があるのだ……?」
目に映る城壁を見て周瑜は信じられない思いで呟く。
長江に沿うように大きく長い壁が建てられていた。その長さは数百里はあった。
その壁により、本来見える筈の江都県が隠されていた。
壁の上の櫓まで作られており、近くには船着き場が作られており大小様々な船が浮かんでいた。
城壁には陳と徐の字が書かれた旗が掲げられていた。
「あの徐の字の旗だが、誰か分かるか?」
「分かりません。恐らくは陳登の部下だと思います」
「であろうな。という事は、陳登はわたしが此処に攻め込んでくると読んでいたという事か・・・」
周瑜は忌々しそうな顔をして呟くと、魯粛が訊ねた。
「周瑜様。どうされるのです? あれだけの長大な城壁です。攻め落とすとしたら、水軍だけでは困難だと思います」
「分かっておる。しかし、これだけの城壁を築くとは。河北を手に入れたばかりとは言え、曹操の財力侮れんな」
周瑜はこれだけの城壁を築く財力に驚いていた。
そして、攻撃するべきかそれとも退くべきか考えていた。
其処に魯粛が声を掛けて来た。
「周瑜殿。空をご覧ください」
そう言われて空を見上げると、雲の動きが早い事に気付いた周瑜は船縁から顔を出して、長江を見た。
「むっ、普段よりも水かさが増している。これは嵐が来るかも知れんな」
「それでは、攻撃どころではありません」
「であるな。口惜しいが、此処は退いて態勢を整えた後、殿の救援に向かうとしようかっ」
周瑜は心底腹立たしいと言わんばかりな声を荒げながらそう命じた。
その命に従い、水軍は撤退を始めた。
少しすると、長江が荒れ始めた。
大きな波が周瑜率いる水軍に襲い掛かった。
揚州で育ち水上での生活に慣れている水軍の兵達とは言え、激しい波がぶつかる事はつらいと言えた。
強い風と波にさらされた水軍は流されてしまった。
そんな中でも周瑜は懸命に指揮を執った為か、一隻の脱落も無かった。
だが、その代わりとばかりに水軍は揚州の呉郡の東の海岸まで流されるのであった。
海岸に着くと直ぐに水軍の全ての船を確認したが、半数の船は航行不能になっていた。
周瑜は仕方がないので、残った半数の船で孫権の救援に向かおうとしたが、海が荒れており船を出す事は出来なかった。
周瑜率いる水軍が離れて行くのを城壁に居る者達が見ていた。
その中の一人がジッと離れて行く船団を見送っていた。
年齢は三十代前半で顎髭を生やし、精悍な顔立ちに力強い眉を持っていた。
その眉に負けない程に強い意思を宿した瞳を持っていた。
大柄で鍛えられた肉体を持っていた。
男の名は徐盛。字を文嚮という者であった。
「太守。おめでとうございます。敵が撤退しましたっ」
「うむ。わたしの見立て通りだったな」
徐盛は部下と敵軍が撤退した事に喜んでいた。
「最初此処に城壁を建てると言った時は、意味があるのかと分かりませんでした」
「そうだろうな。何せ、陳州牧ですら、最初建てる意味が分からず反対していたからな」
徐盛はそう話しながら、今自分が居る城壁を裏側を見た。
海から見たら立派な城壁がある様に見えているが、実はこの城壁は木で骨組みして瓦を並べて作られた張り子であった。
船着き場にある船も乗っている者は一人も居ない上に、城壁に居る兵も数百ほどしか居なかった。
もし、これで周瑜が攻め込んできたら数刻も経たない内に陥落する事になった筈だ。
「太守がこの郡の太守になったおりに、長江に偽りの城壁を作り上げれば敵はたやすく攻め入ってこられないに違いないと進言しましたが、皆反対しておりましたね」
「そうだな。最終的には陳州牧が折れて建てる事を許可してくれましたね」
「そのお蔭で、孫権達を追い払う事が出来たのだ。喜ぶべき事だ」
徐盛は自分の判断に間違っていない事に喜び頷いていた。
「臧覇様の命でこの地に赴任したが、役目を果たせた事は嬉しい限りだ」
徐盛が拳を握り喜んでいた。
徐盛は徐州琅邪国莒県の出身で元は臧覇の部下であった。
曹昂が率いる軍勢が徐州に侵攻した際、徐盛が居る県まで侵攻しなかった事で、そのまま琅邪国に住んでいた。
やがて、成長すると度胸と義に厚い性格という事が周囲に知れ渡った。
その話を聞いた臧覇が声を掛けて部下に迎えられた。
臧覇は徐盛の優れた所をしばしば褒め称えた為、徐盛は心服する様になった。
そして、臧覇の部下として働き続けた結果、広陵郡の太守に抜擢されるのであった。
「後は国境を攻めている孫権軍を撃退できれば、我らの勝利ですね」
「うむ。まぁ、守ってる城には十分な兵が居るから、援軍が来るまで耐える事は出来るだろう」
「出来なければどうします?」
「その時は近くの城に入り守りを固めるだけだ」
もう、それ以外の策はないと断言する徐盛。