誼を通じておけば何かと役立つ
曹操が宮中の消火作業が終わった頃に、董卓が見計らった様に現れた。
騎乗している馬に少帝弁を乗せて、側には劉協と袁紹も居た。
「消火作業ご苦労である。陛下もお喜びである」
少帝弁の代わりに董卓が大きな声で曹操達を労った。
曹操達はその言葉に応える前に袁紹を見た。
袁紹は苦々しい顔で答えろという意味を込めて頷いた。
本来であれば、董卓ではなく自分が少帝弁と共に宮殿に戻って来る予定が、横から董卓にかっ攫われるとは予想すら出来なかった。
人目が無ければ地団駄を踏みながら董卓に対してあらん限りの罵倒をぶつけていただろう。
「……はっ。有り難き幸せ」
曹操達が一礼して答えると、董卓は満足そうに笑う。
そして、馬をそのまま進ませて後宮へと向かう。
後宮には何皇后が居た。
人伝に兄である何進と何苗が殺された事を知ってなお毅然としていたが、自分の腹を痛めて産んだ子が無事だった事には喜びのあまり涙を流して抱き締めた。
少帝弁も色々な事があったが、母親に抱き締められた事でようやく安堵の表情を浮かべた。
何皇后が涙を拭いて少帝弁を連れて来た董卓の方に顔を向けて「後日、重き恩賞を渡す」とだけ言って少帝弁の手を取って後宮の奥へと向かった。
二人が居なくなると劉協は董卓に一礼して自分の部屋へと戻って行った。
董卓はその背を見送ると洛陽の外にある陣営へと戻った。
翌日。
朝廷が開かれた。
その席で此度の乱で亡くなった何進大将軍の後任として董卓が担う事となった。
本来であれば弟の何苗がその後を担う筈であったが、何者かにより暗殺された。
それに加えて少帝弁を助けた功績という事で選ばれた。
何進と何苗の配下の兵約二十万を麾下に加え、司空の位に就いた。
そして、自分の部下達を軍事の要職に就けたが政治に関係する文官系の官職には誰も就けはしなかった。
その代わりに宦官により官職を剥奪又は地方に飛ばされた者達を朝廷に呼び寄せて文官の要職に就けた。
その中には王允、蔡邕の名前があった。
更にはかつて党錮の禁という弾圧事件で宦官と敵対して殺害された陳蕃らの名誉を回復するなどの措置もとった。
皆、董卓は何を考えているのか分からないのでとりあえず、今は素直に従った。
着々と足場を固めていく董卓。
今日も政務が終わり、董卓は自分の屋敷に戻り一息ついていると、
「申し上げます。将軍にお会いしたいという者がおります」
「誰だ?」
「曹操の息子の曹昂と申しております」
その名前を聞いて董卓は眉を上げる。
曹操と曹昂の事は黄巾の乱を平定する時に会った事があるのでそれなりに知っている。
曹操は文武両道で頭も切れる。その内、直属の部将にして取り立てようと思っている人物だ。
その息子の曹昂はまだ十四歳でありながら小城で籠城の指揮を取り黄巾党の大軍を退けたという噂もある上に、一部では曹操の懐刀とも言われている程の者であった。
少しだけ話した事があるが、歳の割りにしっかりした子だと董卓は思った。
何の用で来たのか分からないが、とりあえず会っても良いと思い董卓は使用人に客間に通す様に命じた。
董卓が客間に着くと、曹昂と護衛の者達が既に客間に居た。
曹昂の足元には大きな箱が置かれていた。
「待たせたな」
董卓が部屋に入って声を掛けると曹昂は一礼する。
「本日はお忙しい中でお時間を作って頂きありがとうございます」
「なに、お主の父とは同じ朝廷に仕える者同士だ。何の気兼ねする事があろう」
「そう言って貰えると助かります。本日、お伺いしたのはお渡ししたい物がありまして献上に参りました」
「ほぅ、その箱に入っている物をか?」
わざわざ来て持って来たという事だから、それなりの物なのだろうと推察する董卓。
「司空の位に就いたお祝いと言う事で。どうぞ、お受け取りを」
曹昂は手で護衛に箱を開ける様に指示した。
護衛の者達は箱を開けて中に入っている物を出して、董卓に見せた。
「これは……」
箱の中から出て来た物を見て董卓は言葉を失う。
出て来たのは鎧なのだが、董卓が知っている鎧と形が違っていた。
その鎧は飾りつけも肩当ても大腿部を守る前垂れの部分も無かった。ただ、胴体だけを守る鉄の鎧であった。
「西域にある大秦の技術で作られた鎧です。試しに着心地をお確かめ下さい」
「ほう、西域の鎧とな。初めて見る鎧なので着方を教えてくれるか」
「分かりました。では、失礼します」
曹昂が鎧を持って董卓の前まで来て掛け金を外して、鎧を開いて董卓の腕を通して着せると鎧を閉じて掛け金で閉じる。
「これで良いと思います。きつくないですか?」
「うむ。問題ない。西域の鎧はこのように着るのか」
董卓は貰った鎧を叩き頑丈な作りだと確認する。
ちなみに、問題なく鎧を着る事は出来るのは事前に董卓の周りに居る『三毒』の者達に服の大きさなどを調べさせたためである。
「鉄で出来ていますので。余程切れ味が良い武器でなければ貫く事は出来ません」
「ほぅ、それは素晴らしい」
「そうでしょう。この鎧の良いところは飾りつけも肩当ても無いので、衣の下に着てもこの鎧を着ている事がバレないという事です」
それを訊いた董卓はビクっと身体を震わせた。
曹昂が何を言いたいのか察したようだ。
「それは素晴らしいな。これ程の鎧をくれるとはな。褒美をやろう。何か欲しい物はないか?」
「私は父の言いつけで鎧を届けただけですので、褒美など」
「気にする事はない。これほど素晴らしい物をくれたのだ。何かしらの礼をするのが普通であろう。何でもよい。言ってみるが良い」
曹昂からしたら褒美を貰う予定はなかったので、何が欲しいと言われても困っていた。
「……では、司空様の名馬を見たいのですが」
「儂の馬を? 別に構わんが」
そんなの見て面白いのかと思いつつ、董卓は曹昂を厩舎へ案内した。
董卓に案内されながら曹昂は内心ワクワクしていた。
(後に色々な人に行き渡る名馬赤兎がどんな馬なのか分かるのか~)
アニメや漫画では赤い馬体で描かれていたが、実際にはどんな毛色なのか前世から興味があった曹昂。
それをこの目で見れるのだから嬉しくてたまらないのだろう。
(おお、大きいな)
厩舎に案内されて繋がれている赤兎を見て曹昂は大きい事に驚いた。
馬体は赤くなく栗毛でたてがみは黒かった。
流石にアニメや漫画みたいに赤くはないかと思った曹昂。
その代わりにかなり大きい身体をしていた。
曹昂の目にはどれくらいの大きさなのか分からないが、とりあえず大きいとだけ思った。
「はは、どうだ。儂の自慢の名馬の赤兎を見た感想は?」
「とても大きいですね」
「そうだろう。それにこの馬は汗血馬だからな」
「あの伝説のっ」
曹昂は驚いていた。
中国の歴史上で名馬と言われた馬の種類で「血のような汗を流して走る馬」という意味で汗血馬。
汗が血に見えるのは、馬の毛色によってそう見えるとか馬の汗の成分には赤くなる色素があるとか色々と言われているが、本当のところは分かっていない。
「それは凄い馬ですねっ」
「であろう。機会があれば乗せてやろう」
「ありがとうございます」
その後、曹昂は少し話した後、董卓の屋敷を後にした。
屋敷を出て自分の屋敷まで馬に乗って移動する曹昂達。
まだ、曹昂は馬には上手く乗れないので護衛の一人に手綱を取ってもらい歩いている。
「御曹司。聞いても良いですか?」
「どうかした?」
「何故、董卓にあの鉄の鎧を献上したのですか? てっきり、あの鎧は旦那様が着ると思ったのですが」
「あの鎧は司空様に作った鎧だから、父上が着たらブカブカになっちゃうよ」
あの鎧を着る曹操を想像してか噴き出す曹昂。
「何故、董卓に渡したのですか?」
「今は媚を売る時だからさ」
「はぁ?」
曹昂の返事を聞いても護衛の二人は意味を図りかねていた。
「……その内、分かるよ」
「御曹司がそう言うのであれば。ですが、良いのですか。旦那様の許可を得ないで渡して」
「そこら辺は大丈夫だと思うよ。多分」
父曹操は今、忙しいので鎧を渡す事を事前に言わないで渡したが大丈夫だろうと予想する曹昂。
それから数日後。執金吾の丁原が洛陽に帰還した。




