今回は唾をつけるだけにするか
趙雲と合流した曹操は軍勢と捕虜にした蹋頓らと共に柳城へと向かった。
城内に入り、曹操がまずした事は捕虜にした蹋頓らの処刑であった。
蹋頓らに容赦なく刀が振り下ろされ刑場の露と消えた。
斬られた首は袁煕と共に城門に掲げられた。
処刑が終わると、曹操は遼東を支配している太守の公孫康に朝廷に従うべしという旨を書いた文を送った。
返事が来るまでの間、曹操は遼西郡内の施政を行った。
その施政により、郡内の豪族達は曹操ひいては朝廷に恭順を示していった。
施政も順調に郡内に浸透していき、曹操も一息つく事が出来た。
政務の合間に休憩を取っていると、ふと思い出したかのように側にいる田豊と荀攸に話しかけた。
「田豊、荀攸。聞きたい事がある」
「はっ」
「何でしょうか?」
「趙雲の事だ」
曹操が趙雲の名を挙げるのを聞いて、田豊は何の話なのか分からなかったが、荀攸だけは何となくだが何の話をするのか分かり、若干呆れた顔をしていた。
「虎をも討ち取る程の武勇を持っているのだ。このまま息子の家臣にしておくのは惜しいと思う。其処でわたしの直臣になるように声を掛けようと思うが。どう思う?」
曹操がそう訊ねて来ると、二人は互いの顔を見た後、少し考えた後、まず田豊が口を開いた。
「丞相。お気持ちは分かりますが。若君の家臣を引き抜くというのは止めた方が良いと思います」
「ほぅ、何故だ?」
「その様な事をすれば、若君と丞相の関係に罅を入れる事になりかねますし、何より、この件により若君が丞相と敵対する事になりかねませんぞ」
田豊の指摘に曹操も一理あるなと思った。
実の息子と争うなど、袁紹以上の愚行と言えた。
流石の曹操もそれは無いなと思った。
其処に荀攸が口を挟んで来た。
「加えていえば、趙雲は虎を打ち倒す武勇を持っております。その武勇は呂布と比すると言っても良いでしょう。若君の性格であれば、丞相が欲しいと言えばくれるかもしれません。ですが、そうなりますと、若君の配下に呂布と対抗できる武勇を持った者が居なくなるという事になります」
「それが何か問題なのか?」
「呂布は二度も主君を殺した者です。また、主君を殺さないと断言出来ません。もし、丞相が趙雲を引き抜いて配下に居なくなった後、呂布が誰かに唆され反旗を翻した時、誰が若君を守るのです?」
荀攸の推察に曹操は何も言えなかった。
(そう言われればそうだな。最近、呂布が大人しく従っているから忘れていたな・・・)
もし、そんな事が起これば家中から非難され、妻の丁薔に至っては今度は本当に離縁すると言い出しかねないと思う曹操。
二人の話を聞き、どうしたものかと悩み始めた。
「・・・・・・しかし、人の心とは移ろう事もあります」
悩む曹操を見て田豊がそうポツリと零した。
「うん?」
「趙雲を直臣に欲しいと思うお気持ちは分かります。ですが、今は若君の家臣でもあります。主従関係も悪くありません。しかし、この後も良き関係を保つとは限りません。其処で、此度は恩賞を渡すだけにすれば良いのでは? もし、若君と趙雲の仲が悪くなれば引き抜ける様に唾をつけるようにするのです」
「息子が何かいわぬであろうか? あれは中々に聡いからな」
曹操の疑問に田豊は問題ないとばかりに手を振った。
「此度の戦で恩賞を渡したと言えば、若君も引き抜きと思っても何も言わぬでしょう」
「・・・・・・悪くは無いな。そうだな。仲が悪くなったら引き抜けば良いだけか」
田豊の提案を聞いて、曹操はとりあえず今回は唾をつけるだけに済ませる事にした。
数日後。
曹操は城内で趙雲と張燕を呼びだした。
呼び出された二人は曹操の前に来て跪いた。
「趙雲。虎を討ち取った武勇を称えて、お主にはこれをやろう」
曹操はそう言って鞘に収まった一本の剣を趙雲の前に突き出した。
「我が愛剣の倚天と共に作られた剣。銘を青釭という名剣だ」
曹操が鞘に収まった青釭を見て趙雲は驚きで身体を震わせていた。
手を震わせながら青釭を受け取ると深く頭を下げた。
「感謝申し上げます。丞相」
「うむ。張燕」
「はっ」
「此度の戦でお主の軍の差配は素晴らしかったぞ。まさに飛燕と言っても良い。その飛燕の如き俊敏な動きにより烏桓族の大人達を捕まえる事が出来たぞ。その功を称えて、平北将軍の職を与える」
「は、ははぁ、感謝いたします。丞相っ」
将軍職の与えられて張燕は感謝して頭をさげた。
そして、話はそれで終わりなのか二人を下がらせた。
部屋には曹操の他に荀攸が居た。
「・・・丞相。趙雲に剣を与えるのは分かります。ですが、何故張燕に平北将軍の職を与えたのです?」
「ふっ、ついでだ。まぁ、あやつの軍の采配により烏桓族の大人達を捕まえる事が出来たのも大きいのもあるからな」
「さようでしたか」
荀攸は内心で、張燕にも唾をつけるつもりなのかと思ったが口に出す事は無かった。
その数日後。
公孫康から文が届いた。
朝廷に従うという事が書かれた文が書かれた。
事実上、降伏したと分かり曹操は公孫康に襄平侯兼左将軍に上奏するという返書を送り、鄴に帰還すると家臣達に告げた。