栄華の陰り
霊帝の死により洛陽の街は一時騒然となったが少帝が即位した事で街は静かになった。
上辺だけ見れば平和そのものと言える光景であった。
だが、そんな街中である噂が流れていた。
病死した董太后は実は何進、何皇后兄妹が暗殺した。
実際は病死なのだが、本当に病死なのかどうか分からない。だが、街で暮らしてる者達からしたらそんな事はどうでも良かった。
そういう疑いがあるというだけで、嘘か真かどうでも良いのだ。
ただ、話のタネになるというだけで十分であった。
しかし、そんな噂を真に受ける人物が居た。
「何だとっ、儂と妹が董太后を暗殺しただと⁉」
噂を聞いた何進は激昂した。
「はっ。巷ではその様な噂が流れております」
「誰がそんな事を」
怒りながら何進は頭の中でそんな噂を流して得になる者を考えた。
「……そうか。十常侍か。あ奴らめ。儂のお蔭で殺されるところを助けられたというのに、それを感謝しないで街に噂を流して儂を貶めるつもりだっ」
本当のところ、十常侍達はそのような噂を流してはいない。
彼等からしたらそんな事をしても何の得など無いのだから。
何進と何苗により洛陽の軍権は握られている。
霊帝が創設した『西園軍』も今は解体されて、麾下の部将達も何進の軍に組み込まれている。
今では洛陽防衛の為に集められた兵と合わせても二十万近くの兵を動員する事が出来る。
二十万の兵相手では如何なる策をもってしても防ぐ事は不可能であった。
それが分かっているのもあり十常侍達は内心はどう思っているか分からないが、表向きには何進達に恭順していた。
「だから、言ったでしょう。十常侍共や宦官など皆殺しにすればいいと」
噂を報告に来た袁紹は自分の意見が正しかったとばかりに強く言う。
「うむ。君の言う通りであった。であるならば、どうするべきだと思う?」
「即刻兵を集めて宮中に乗り込んで、宦官共を皆殺しにするのです!」
「良し。分かった。直ぐに兵を集めろ!」
「ははぁっ」
何進が袁紹の意見に従って兵を集める様に指示した。
だが、兵を集めているのを制止する者が現れた。
「兄者。宦官は後宮には必要だから、皆殺しにしないと決めたのに。どうして、今になってその言葉を撤回するのだっ」
何苗が義兄である何進が兵を集めるという話を聞くなり、すぐさま何進の下に向かい詰問した。
「だがな、巷の噂では儂が董太后を殺したと言われているのだぞ。その様な話を流して得をするのは十常侍しかいないだろう」
「そんな噂を信じて兵を集めては世間の物笑いになるだろうがっ」
「しかしな」
「しかしも案山子も無い。一度、そうと決めたのなら最後まで貫くのが道理だろうっ」
「それは、そうだが……」
一度口に出した以上、引っ込めるにしても何かしらの言い訳が欲しかった何進。
見栄っ張りな義兄である事を知っている何苗は既に手は打っていた。
「申し上げます。宮中から何皇后様の使者が来ました」
「なに? 通せ」
使者が来たと言うので、何進は部屋に使者を通した。
部屋に通された使者は何進達に一礼し口を開いた。
「大将軍閣下が兵を集めているという話を聞きまして、何皇后様が何事なのか気になり話を聞きたいので宮中に参る様にとの事です」
「何皇后様が? 分かった」
何皇后に呼び出された事で何進は宮中へ向かった。
宮中に入ると何皇后が兵を集めている事を問い質した。
「兄さん。どうして、兵を集めているの?」
「いや、そのな。十常侍共が儂に対してあらぬ噂を流しているのでな。それで、腹が立ってな」
「噂なんて、別に気にしなくてもその内、誰からも気にされなくなるわ」
「それはそうかも知れないが。だが、部下の中には儂の威厳が損なわれると言う者も居てな。つい、その者の口車に乗ってな」
「まぁ、誰かしら。そんな事を言うのは?」
「袁紹だ」
「あの名門の。でも、兄さん。人の言葉を鵜呑みにして行動したら、それこそ兄さんの威厳が損なわれると思わない?」
「そういうものか?」
「そうよ。それに十常侍達は今の朝廷を纏めるのに必要な者達だから殺されたら困るわ」
「う~ん。お前がそう言うのなら、兵を集めるのは止めよう」
何皇后の頼みに従い兵を集めるのを止める事にした何進。
何進が宮殿を出て屋敷に戻ると、集まった将兵達に告げる。
「皆、集まって貰って悪いが。此度は儂の早とちりであった。解散してよいぞ」
何進が解散する様に告げると、皆、何とも言えない顔でその言葉に従ったが袁紹と一部の部下は残った。
「大将軍。何故、兵を挙げないのですかっ」
「今は平和になったのだから、宦官共を皆殺しにしなくても良いと弟と妹が言うからな」
「いけません! このままでは将軍が十常侍達の陰謀で将軍の名声と威厳を貶める事になります!」
「本初殿の言う通りです。大将軍。どうか、考え直しを」
袁紹の言葉に続いて部下達も考えを改める様に言う。
「だがな、一度撤回した事をまたやるというのはな……」
何進は及び腰になっているのを見た袁紹は内心で情けないと思いながら、前々から考えていた事を口に出した。
「では、此処は将軍の威光を十常侍達に見せつけるというのは如何ですか?」
「何をするのだ?」
「各州の将軍達を洛陽に呼び寄せて、大将軍の威厳を示すのです」
「将軍達を? どの様な口実で集めるのだ?」
「なに、口実はどうとでもなります。新帝即位を祝う為の閲兵を行うとか、新号記念しての演習という名目でも何でも」
「ふむ。それで儂の威光が各州にまで届いていると十常侍共に見せつけるのだな?」
「その通りです。これであれば問題は無いでしょう」
「うむ。そうだな。それでいこう」
「では、各州の将軍達に使者を送ります」
「うむ。頼んだぞ」
何進は後の細かい事は信頼する袁紹に任せる事にした。
何進に任された袁紹は部下達を集めた。
「各州の将軍達にこの手紙を渡すのだ」
「本初様。その手紙には何と書いてあるのですか?」
「『宮中に蔓延る宦官共を皆殺しにする。この文を受け取った者は直ちに洛陽へと来られたし』と書いてある」
「承知しました」
部下達は手紙を受け取ると、各州へと馬に乗って向かった。
「ふふふ、これで宦官共を皆殺しに出来るな。後は適当な名分をつけて宮中に攻め込む様にすれば良いな」
その名分はどの様なものにしようかと考えながら袁紹はその場を離れた。
今の話を聞いている者が居るとも知らずに。
場所を移して洛陽にある曹家の屋敷。
其処の一室に曹昂が居た。
「袁紹は何進の命令を偽って、各州の将軍達を洛陽に呼び寄せる様です」
「そうか。ありがとう。下がって良いよ」
曹昂は『三毒』の者の報告を聞くと働きを労い下がらせた。
父曹操は丁度、何進の命で兵士や兵糧を集めていたので代わりに報告を聞いたのだ。
「成程ね。本当は圧力を掛ける為に呼び寄せたのか」
何進が各州に散っている将軍達を呼び寄せて宦官達を皆殺しにすると前世の知識で知っていた。
だが、本当は圧力を掛ける為に呼び寄せるだけであったが、其処を袁紹が偽った事であんな面倒な事になると知った。
「……まぁ、これで父上も英雄として名を馳せるようになるのだから良いか」
もし、このまま何進が十常侍達と和解或いは洛陽に居る兵だけで宦官を皆殺しにすれば、曹操が魏の礎を築けたかどうか分からなかった。
その点で言えば、袁紹に感謝すべきかなと思う曹昂。
「董卓への貢ぎ物は届いたし。後は時期を待つだけか」
洛陽に来た時に渡す物は既に曹昂の下に届いている。
後は変が起こるのを待つだけであった。




