上策に見えて愚策ってよくある事だ
曹昂軍が鄴を包囲して、数日が経った。
包囲する曹昂軍は包囲したものの、攻撃する事は無く時折喊声をあげるだけであった。
一向に攻撃しない曹昂軍に対して、袁尚は苛立っていた。
「ええいっ、敵は案山子か木偶の坊の集まりかっ。一向に攻める様子を見せぬではないかっ」
評議の場で上座に座る袁尚は怒り混じりの声であげていた。
「恐らく、この鄴の攻め辛さに手を焼いているのでしょう」
「そうであれば、何かしらの策を練るか、援軍を乞うたりするであろう。奴らはそれすらしないのだぞっ」
家臣の一人が推察を述べると、袁尚は怒声交じりで否定した。
「殿。敵の不可解な動きに怒るのは分かりますが、堪えて下さい。怒れば、敵の思う壺です」
審配にそう宥められてようやく、袁尚は怒りを収めた。
其処に主簿の李孚が口を挟んで来た。
「申し上げます。敵が何を考えているのか分からないのであれば、相手の動きを誘うのに良き策があります」
「李孚よ。それはどの様な策だ?」
「以前申し上げました通り、城内に居る兵では無い老若男女が数万とおります。その者達を解き放ち、敵軍に降伏させるのです。その後、城門を開け放っておけば、敵は内乱が起こって城門が開け放たれたのだと察して攻め込んでくるでしょう。我らは要所に兵を伏し、敵が攻め込んで来た時、攻撃すれば敵は大打撃を受けるでしょう」
「おお、それは良策だ。良し、兵の家族以外の城内の民達に白い布か何か持たせて、城から追い出せ」
「承知しました」
袁尚の命令に従い、審配は直ぐに行動した。
城内の兵の家族ではない者達を選び出すのに時間が掛ったが選び終えた。
数日後。
北門を除いた各門の前に老若男女が集められていた。
城壁には兵は居なかったが、胸壁に隠れていた。
城内にあらゆる所に兵が隠れていた。
敵が攻め込んで来るのを、今か今かと待ち構えていた。
やがて、城門が音と立てて開かれた。
「ほら、さっさと出て行けっ」
「さもないと」
兵達は槍の穂先をちらつかせると、其処に居た者達は顔を引き攣らせながら慌てて城を出て行った。
皆、白い布を持つか渡された白い旗を持っていた。
「どうか、御助けをっ」
「助けて下さいっ」
城を出された者達は城を包囲している部隊に駆け込んで来た。
部隊を指揮する者達は白い旗を掲げているので、とりあえず降伏したいのだと察して収容する事にした。
と同時に城から敵が攻め込んで来るかも知れないと備えたが、敵は城から出る様子を見せなかった。
「将軍。城門は未だ開かれたままです。今の内に城内に雪崩れ込みましょうっ」
鮑信の部下の一人がそう進言して来た。
だが、鮑信は首を振った。
「本隊からの指示が来ていない。此処は待機すべきだ」
「そんなっ、絶好の機会ですよっ」
「分かっている。だが、本陣の命無くして」
鮑信は部下と話していると、違う部下が鮑信に近付き何事か伝えた。
それを聞いた鮑信は此処に連れて来るように命じた。
その兵は一礼し離れると、一人の兵を連れて戻ってきた。
「本陣からの使者だそうだな。それで、本陣は何と?」
「はっ。城門が開かれているが、これは敵が我らを城内に誘い込み撃滅する策だ。決して、攻め込まず包囲を維持しつつ、民を収容せよとの事です」
「成程。了解したと本陣に伝えよ」
使者は一礼しその場を離れると、鮑信は直ぐに部隊に動くなと命を伝えた。
暫くすると、城から出された民達は本陣の一画に集められていた。
其処に幾つかの大釜があり、中には白いドロドロとした粥が煮られていた。
グツグツと煮立つ粥を匙で掬い民達は一心不乱に食事していた。
その食べる光景を見て曹昂はホッとしていた。
(粥を食べて死ぬ者は居なそうだな。飢えていても、其処まで飢えてはいなかったようだな)
曹昂はリフィーディング症候群を心配していたが、食べている者達の中で死んだ者が居るという報告は来ていないので安堵していた。
このリフィーディング症候群とは、慢性的な栄養障害がある状態に対して、急激に栄養補給を行うと発症する、代謝性の合併症で、 飢餓状態が長く続いたあとに急に栄養補給されると、心不全や呼吸不全、腎不全、肝機能障害ほか多彩な症状を出す。
鄴内に居る密偵の報告によると、袁尚は食糧が上手く手に入らず、民から無理矢理徴発していると聞いていたので、リフィーディング症候群になっている者が居るのではと思っていたが、杞憂であった。
(これなら、問題なく使えるよな)
そう思い曹昂はその場を離れ、劉巴と趙儼にとある命を与えた。
翌日。
鄴から追い出された民達は陣の一画に居たが、其処に数百人の兵達がやって来た。
箱を持った兵達が箱を地面に置いた。
箱の中には、剣、槍、鍬、鋤、鎌などが大量に入っていた。
民達は何をさせるのかと見ていると、兵の一人が手に持っている紙を広げると、息を吸った。
「聞けっ。鄴で暮らしていた民達よっ。我が軍の総大将よりの言葉を伝える。我らはこれより、鄴に籠る逆賊袁尚を討つ。それに当たり、汝らには二つの選択肢を与える!」
兵がそう大声でそう宣言すると、民達は何を言うのだろうと怯えていた。
「一つ。我が軍に加わり、逆賊袁尚を討つ。
もう一つは数日分の兵糧を与える故、何処へなりと好きな所に行く事。この二つの内、どちらかを選ぶが良い!」
兵が持っていた紙を丸めて、民達を見た。
言われた民達は近くに居る者達はいきなり、そんな事を言われても困るとばかりに話していると、民の一人が手を挙げた。
「あの、軍に加わると食い物の心配は無くなるので?」
「無論だ。手柄を立てれば、恩賞も渡すぞ」
兵にそう言うのを聞いて、民の一人が立ち上がった。
「俺は加わるぞ。袁紹様の子供という事で、何をしても我慢して来たが、故郷を追い出されてまで従う道理はねぇ。あんな奴、この地を治める資格はねぇ」
そう言って箱の所に行き、剣を掴んで腰に下げた。
「俺もだっ」
「儂もじゃ。これでも若い頃は力自慢で有名じゃったんじゃあ」
「そうだ。あの悪逆の支配者から、俺達の故郷を取り戻すんだ!」
「「「おおおおおおっっっ‼」」」
民の一人がそう叫ぶと他の者達も歓声をあげた。
多くの民が軍に加わる中で、一部の者達は軍に加わる事はしなかった。
だからと言って無碍な扱いはしなかった。
事前に言っていた通り、数日分の食糧を与えて解放させた。
軍に加わった民達に簡単な調練を施している中、曹昂はその調練を見ていた。
その側には先程民の中でいの一番に軍に加わると宣言した者であった。
この者は曹昂の命令で鄴に潜入していた三毒の者であった。
「上手く扇動してくれて助かったぞ」
「はっ、勿体なきお言葉」
「長く鄴に潜入し、わたしに多くの情報を齎し、城から追い出された民達を上手く扇動した功は素晴らしい。先に褒美を渡しておく」
曹昂はそう言って懐に手を入れると、其処から皮袋が出て来た。
曹昂はその袋を手ずから渡した。
「有り難き幸せにございます」
手ずから渡された褒美に三毒の者は頭を下げて礼を述べてその場を離れた。
一人になった曹昂は独白していた。
「これで、城攻めの戦力を手に入れる事が出来た。兵糧はまだ余裕があるからな」
曹昂は最初から城に出される民を攻城戦力に組み込む事を前提に策を練っていた。
(前世の記憶で、審配が民を追い出す事を覚えていて良かった。まぁ、上手く扇動したのもあるけどな)
曹昂は上手く言ったとばかりに笑っていた。