それぞれの生き方
袁譚が袁尚を下し、鄴を手に入れたという報は直ぐに黎陽に居る曹操の下に伝わった。
「これは思ってもいなかった事が起こったな。まさか、袁譚が袁尚を下すとは」
曹操は驚きを禁じ得ないという顔で顎髭を撫でていた。
「ですが、丞相。鄴にいる主だった者達には内応の文を送りました。後は返事を待つだけでも良いと思います」
袁尚の勢力を取り込みつつある袁譚は大した問題ではないと言わんばかりの顔をしている郭嘉。
曹操と一緒に報告を訊いても特に驚いた様子を見せていなかった。
「だが、今袁譚の軍勢は元々率いていた軍勢に加え、袁尚の軍勢を加えたのだ。その数は八万はいるであろう」
「数が多ければ戦に勝てる訳ではありません。まして、敵は一枚岩ではないのです。其処を突けば敵軍は容易に瓦解します」
「成程な。では、どうする?」
「袁譚を鄴に籠城させると攻略に時間が掛かります。ですので、此処は城から誘き出し野外にて戦いましょう」
「具体的にどうするのだ?」
「袁譚は朝廷に冀州牧に任じられた者です。其処を使って、袁尚から冀州を奪い返したので、朝廷に貢物を捧げよと文を送るのです。さすれば、袁譚は怒って兵を挙げます」
「城を出た袁譚を野戦で打ち破るか。しかし、袁譚を討ち取る事が出来ず、鄴に籠もったらどうする?」
「その時は城にいる者達に寝返りの文を送れば良いのです。そうすれば、城は容易に落ちましょう」
「見事な策だ。では、直ぐに行え」
「はっ」
曹操の命令に従い、郭嘉は直ぐに文を認めて使者を送った。
数日後。
使者は袁譚の下に来た。
使者は渡された文を袁譚に渡すと、袁譚は文を読むなり激怒した。
曹操に与したのは袁尚を倒す為であった。
だが、今は袁尚を下した以上、最早曹操に従う義理は無かった。
使者に曹操に従わないと告げてその場から追い出した。
そして、怒りのまま袁譚は配下の者達に黎陽に居る曹操を討ち父の仇を取ると宣言し、進軍の準備をした。
袁譚の軍勢が進軍の準備をしている頃。
兵達が忙しく働いている中、呂曠と呂翔の二人は城内の一室で密談していた。
「殿は曹操と戦うつもりのようだが、どうする?」
「どうもこうも何も無い。曹操に寝返るに決まっているだろうっ」
聞くなとばかりに声をあげる呂曠。
「辛毗の説得で袁譚に降ったが、約束した金千両は貰っておらん。その上、これを見ろっ」
呂曠はそう言って首から吊り下げている印綬の紐を千切り、印綬を呂翔に見せた。
その印綬は銅で作られた物で、偏将軍ノ印と記されていた。
だが、印綬の作りも彫り方も職人が作ったというよりも、素人が作った物であった。
呂曠が調べた所、この印綬は袁譚の手で作ったのだと分かった。
「偽物の印綬を授けられ、約束された恩賞も渡さない主に仕える義理など無いわ。お前もそう思うだろうっ」
「うむ。その通りだ」
呂曠の叫びに同意する呂翔。
印綬は天子が臣下に対して印章を授けることによって官職の証とする物であった。
その為、朝廷の専用鋳造所で造られなければならない。
その場所以外で作られた場合は密造という事となり、もし行えば死罪は確実。無論、印綬を貰った者も同じであった。
袁譚が何故、印綬を密造したのか言うと、郭図にこう進言されたからであった。
『呂曠と呂翔は功を立てましたが、今二人に報いる為の恩賞を渡す程の余裕は我等にはありません』
それを聞いた袁譚はでは、どうしたら良いかと訊ねると。
『二人に与える将軍の印綬を殿自ら作り与えれば、二人は喜ぶでしょう。二人は将軍の印綬など見た事が無いのですから。そして、余裕が出来た時に二人に約束した恩賞を与えれば良いと思います』
『成程。しかし、良いのか? 印綬の密造などして?』
『なんの、殿はいずれ曹操を討ち破り、この国を手にする御方です。印綬を密造したとしても、殿が天子になった時には特に問題がありません』
『そうか。良し、そうしよう』
郭図の耳触りが良い言葉を聞いて、袁譚は直ぐに印綬に使う材質を取り寄せて自ら削り彫った。
だが、造った袁譚は自分の事しか考えていない様で、渡された者の気持ちなど考えていなかった。
ちなみに、渡す予定になっていた恩賞は郭図が横領していた。
「それに、既に内応すれば悪いようにしないという文は貰っている。此処は曹操いや丞相に降るぞ」
「分かった。では、他の者達も誘おうぞっ」
呂曠の決断に従うと共に他の者達も声を掛けようと誘う呂翔。
「他の奴等と言うと、張顗と馬延と梁岐と言ったところか?」
呂曠が名を挙げた者達は袁尚の配下の将であったが、袁尚が捕縛された事で袁譚の麾下に加えられたが、あまり良い扱いをされていなかった。
袁譚は名士を尊重するが、武官は重く用いていない。
その為、青州に居た頃からよりも武将が少なかった。
「あやつらにも声を掛ければ、此度の戦はまず負けないだろう」
「良し。では直ぐにやるぞっ」
呂翔の進言を聞いて呂曠は頷いて、直ぐに行動した。
同じ頃。
辛評と辛毗の二人も一室で話し合っていた。
「兄者。このままでは」
「言うな」
辛毗が袁譚が戦をすると聞いて、籠城して敵の疲れを待ち、敵が撤退すれば追撃するべきと告げたが、袁譚は退けた。
「殿の頭の中には自分が袁家を継ぐという事を知らしめる為に行うと決まっているのだ。最早覆すのは無理だ」
「しかし、野戦で曹操と戦うなど、明らかに無謀ですっ」
「そうだな。しかし、殿にどれだけその理を説いても聞き入れんだろう」
「そんな、それでは我等は」
「一族皆殺しは避けられんだろうな。それだけは避けたい」
「では、どうするのです?」
「辛毗。お主に頼みがある」
「何でしょうか?」
「お主は此度に戦で殿が負けた時は、頃合い見計らって曹操に寝返れ」
「何とっ⁉」
辛評の口から出た言葉に、辛毗は目を丸くした。
「私は殿に従う。お主は曹操に従え。さすれば、どちらかが敗れても、どちらかの家は残るであろう。そうなれば、家名は残る」
「確かにそうですが、それでは兄者が」
「家名が残るのであれば、私と私の家族の命で済むのであれば安いものだ」
「兄者・・・・・・」
辛毗は膝をつき、目から涙を流しながら平伏した。
「兄者、兄者の思いは分かりました。ですが、流石に家族まで巻き込むのは、流石に酷すぎます。私がお助けしますっ」
「もし、出来るのであればしてくれ」
「はいっ」
辛評は辛毗の手を取り固く握りながらそう誓った。
そして、辛評達は盃を交わした後、行動した。