起こるべくして起こった
帰還して早々に丞相府の大広間に集まる曹操と家臣達。
曹操が上座に座ると、自分の前で跪く者に声を掛ける。
「久しぶりだな。沮授」
「はっ。丞相もお変わりないようで」
「まぁ、それほど時は経っておらんしな。それで」
曹操は沮授の隣に居る者に目を向けた。
曹操の視線から、何を言いたいのか察した沮授は答えた。
「この者は友人の田豊。字を元皓と申します」
「お初にお目に掛かります。丞相」
沮授に紹介された田豊は顔を上げると、また頭を下げた。
「お主が田豊か。名は知っているが、会った事は無かったな」
「はい。私も会えるとしたら、私の首が落ちるか、丞相の首が鄴に届けられる時だと思っておりました」
田豊の言葉に場が凍った。
「はっはは、確かにそうだな。袁紹がお主の献策を用いておれば、私の首は今頃、鄴の地にあったであろうな」
田豊の言葉を聞いて笑いながらもそう認める曹操。
その曹操の言葉を聞いて、田豊は自嘲的な笑みを浮かべた。
「そうですな。しかし、殿いえ袁紹様は聞き入れて貰えませんでしたので、所詮は繰り言と同じです」
「確かにな。お主の才は並外れておるが、人を見る目は無かった様だ」
「その通りでしょうな・・・・・・」
曹操の言葉に頷く田豊。
「して、お主等がこうして、私の下に来たという事は、私に仕えるという事で良いか?」
「はい」
「その通りにございます」
沮授と田豊は揃って答えた。
「それは嬉しき事だな」
曹操は二人の名臣を手に入れて満足そうな顔をしていた。
「有り難きお言葉にございます。それと手土産という程ではありませんが、今冀州で何が起こっているのかお話します」
「ほぅ、そろそろ袁譚が冀州に入ってはいると思ったが、他に何かあったのか?」
曹操がそう訊ねると、田豊が答えた。
「袁譚は鄴に入ろうとしたのですが、袁尚が入城させなかったそうです」
「ふむ。そうであれば、袁譚は激怒したであろうな」
「はい。それはもう。顔を赤くしながら、袁尚をあらん限りの声で罵倒したそうですが、袁尚は門を開けなかったそうです」
「それで、袁譚は何処に居るのだ?」
「今、袁譚は勃海郡南皮県に籠もり、軍備を整えておりましたが、我等が河北を発つ少し前に鄴に兵を向けました」
「そうか。もう兵を挙げたか。さて、どうするべきか」
曹操は考えていると、程昱が口を開いた。
「丞相。袁譚と手を結び、援軍を送るようにするのはどうでしょうか?」
程昱の提案を聞いた曹操は考えていた。
「お待ちを!」
其処に張昭が口を挟んだ。
「我が軍は今、出兵が続いて兵が疲れております。今は人馬共に休ませるときです」
張昭が意見を述べると程昱が口を挟んだ。
「今の我が軍は劉備に勝利し、孫権をも撃退したのだ。士気は高く勢いがある。この勢いに乗るべきであろう」
「勢いだけで戦に勝てるのであれば、兵法など存在せぬわ‼ そんな事も分からぬ程に耄碌しておるのか⁉ クソ爺!」
「爺だと?」
張昭の言葉に程昱は顔を思いっきり顰めた。
「貴様は年長者を敬うという気持ちは無いのか⁉」
「耄碌した事しか言わんのが悪いのであろう!」
そして、張昭と程昱の罵倒混じりの激論が始まった。
ちなみ、張昭は156年生まれ。程昱は141年生まれなので、程昱の方が十五歳年上であった。
張昭は智謀に長け人徳はあるのだが、厳格な性格で恐れられていた。
程昱は強情な性格で他人と衝突することが多かった。
頑固な二人なので衝突するのも仕方がないと言えた。
「まぁ、御二方。此処は議論する場ではありませんので抑えましょう」
二人の口論が何時まで経っても終わらなかった。
曹操もそろそろ口を出そうかと思っている所に曹昂が口を開いた。
「丞相。私も張御史大夫と同意見です」
曹昂が口を出すと、二人の口論も止まった。
「しかし、若君。兵を送らねば袁譚が討たれるやもしれませんぞ」
「そうなる前に、こちらに援軍を送るように頼むだろう。その時は兵の代わりに兵糧と武具を送れば良い。兵の疲れが取れた頃に兵を送っても良いだろう。それに討たれるのであれば討たれれば良い。仮にも朝廷が冀州牧に任じた者を殺したとなれば、袁尚は朝廷に弓引く逆賊という事で、討つ大義名分となろう」
曹昂の献策に曹操達も悪い手では無いと思い感心していた。
「そうだな。では、子脩の策の通りにしよう」
曹操は曹昂の策を行うと言うと、家臣達は従った。
「今日は遠い所から来た沮授達の臣従を祝う宴を開く。皆も参加する様に」
曹操が宴を行うと言うと、家臣達は歓声をあげた。
その歓声が響く室内に兵が駆け込んで来た。
「申し上げます! 荊州より急報が参りました‼」
「何っ、荊州だと⁉」
兵の報告を訊いた曹操は一瞬で真顔になった。
「荊州で何があった?」
「詳しくはこちらに」
兵は持っている封に入った文を掲げた。
曹操は許褚に取りに行かせると、許褚は文を受け取ると曹操に渡した。
曹操は封を破き、文を取り出した。
その文を広げ中を読むなり、鼻で笑っていた。
「いかにも変人らしい最期だ」
「誰が文を送ったのですか?」
「蔡瑁だ。文には禰衡が黄祖の怒りを買って殺されたと書かれているぞ」
文を読んだ曹操に荀彧が訊ねると、文に書かれている内容を話した。
それを聞いて家臣達はいい気味だと言わんばかりな顔をしている者が多く居た。
(あれだけ罵倒されたら、好きになれというのが無理だよな)
曹昂は禰衡の死を聞いても仕方がない事だなとしか思えなかった。
「文によると、劉備のやつは私と劉表が同盟を結んだと言うのに、劉表の食客になったそうだぞ」
曹操が文の続きを言うと、場がざわついた。
「劉表は何を考えているのだ?」
「分からん。劉備を自分の陣営に取り込むつもりか?」
「いや、それ以前に劉表と我等は同盟を結んでいるというのに、どうしてその食客になったのだ?」
「行く宛てが無いからか? それとも何か考えがあるのか?」
家臣達は思い思いの事を言うが、どれも推察の域が出なかった。
ざわつく家臣達に曹操が手を掲げて静かにさせた。
「劉表と劉備の事は捨て置け。どうせ、警戒した所で、大した事は出来ん」
「では、丞相は今は河北に専念すると?」
「そうだ。河北四州を手に入れて、その後で私に敵対する者達を倒して行けばよい」
曹操はそう言って席を立った。
「宴の準備を。今宵は盛大に祝おうぞ」
曹操がそう言うと、使用人達は直ぐに準備に取り掛かった。
張昭は宴に参加しても、直ぐに席を立った。
教え子が死んだので祝いの席に参加する気にならなかった様であった。
余談だが、この一件により程昱と張昭は意見が衝突する様になった。
だが、性格は似ている為か、私的の場では険悪な関係にはならず、互いの屋敷に赴き酒を酌み交わす仲であった。
後年、張昭は程昱が死去したという報を聞くなり「喧嘩相手が居なくなった」と涙を流しながら零した。
張昭は程昱のために弔辞を記し、その功績を称えていた。