進撃が止まる
無人の野を行くかの様に、何の妨害も受ける事無く進む孫権軍。
このまま射陽県も落とす事が出来ると思われたが、偵察に出した兵が孫権達の下に戻ってくるなり、驚くべき報告を齎した。
「射陽県の近くに城だと?」
「はっ。数十里ほど離れた所に、城を発見しました。城の城壁には陳の字が書かれた旗が掲げられ、少なくても数千の兵が城に詰めております」
軍議を行っている天幕の中にある上座に座る孫権が報告する兵の話を聞きながら唸っていた。
「城か。これはもしや陳登が建てたのか?」
孫権は誰にも答えを求めてはおらず、独白に近い呟きであった。
それでも、その呟きを訊いた周瑜が答えた。
「恐らくはそうでしょう。射陽県は嘗て広陵郡太守を務めていた陳登が郡治所にしていた県にございます。県を守る為に城を建てたとしてもおかしくはありません」
周瑜がそう答えるのを聞いて、孫権は考えた。
(城には数千の兵と共に陳登が居ると見た方が良いかも知れんな)
少し考えた孫権は周瑜に訊ねた。
「周瑜よ。どうしたらよい?」
「そうですな。我等が取れる策は二つ。一つはその城を落としてから射陽県を攻める。もう一つは城を無視して射陽県を攻める。この二つが我等に取れる策にございます」
「どの策が良策なのだ?」
「城を落としてから射陽県を攻める。こちらは城を攻める事で、射陽県を攻める足場になります。ですが、城攻めしている間に曹操軍の援軍が来るかも知れません。もう一つの城を無視して射陽県を攻めるですと、こちらは賭けになります」
「賭けとは?」
「城には射陽県の兵も詰めている筈です。そうであれば射陽県には兵が居ないという事となります。そうであれば射陽県は難なく落とせます。ですが、敵もそれを考慮して兵を残しているかも知れません。もし、そうなれば射陽県は守りを固めて我等の攻撃を防いでいる間に、城に詰めている兵は我等の背後を突く事となります」
周瑜の策を聞いて孫権はどちらの策を取るか考えた。
(被害が出る事に加えて、城を落とす前に曹操軍の援軍が来るかも知れないが城を取る事で後背を襲われる事無く安全に射陽県を落とす事が出来る。もう一つは射陽県に兵がいなければ落とせるが、もし居た場合は城の兵が我等の背後を突く可能性もあるか・・・)
暫し考えた孫権は重々しく口を開いた。
「・・・良し。周瑜よ。城を攻めるとしよう。準備せよ」
「はっ。承知しました」
熟慮した孫権は射陽県に兵が居た場合の事も考えて、取り敢えず城を落としてから射陽県に攻め込む事に決めた。
周瑜も異論無いのかその命令に従った。
孫権の命令に従い軍議に参加している将達は直ぐに行動を開始した。
報告した兵もその場を離れようと立ち上がった。
「ああ、そうだ。聞き忘れた事があった」
「はっ。何でしょうか?」
「その城には名はあったのか?」
「ああ、それでしたら城郭の扁額に匡奇と書かれておりました」
「匡奇城か。分かった。下がって良い」
孫権に一礼し兵は下がって行った。
数日後。
孫権軍は匡奇城に辿り着いた。
報告通り城の城壁には陳の字が旗が掛かっていた。
だが、城には兵の姿が一人も見えなかった。
「これはどういう事だ?」
「・・・・・・城に兵が居ないのは、我等がこの城に進軍すると知り逃げ出したのかもしれませんな」
孫権が困惑していると、周瑜は城壁に兵が居ない事を、こうなのではと思いながら述べた。
「う~む。どうする。周瑜?」
「そうですな。城門が閉まっているという事は、少ないが兵は居るという事でしょうな。此処は城を包囲して威圧して、降伏を促すのが良いかと思います」
「それが良いな」
周瑜の提案に孫権は聞き入れて、全軍に城の包囲を命じた後、城に降伏を促す使者を出した。
だが、使者が城壁に向かって開門を求める声をあげても、城からは返答も何の反応も無かった。
「敵は何を考えているのだ?」
「私には分かりません」
城壁で叫んでいる使者を見ながら、孫権は城内に居る敵の思惑が分からず首を傾げていた。
周瑜も敵の思惑が分からず首を捻っていた。
暫くしても、城から何の反応も無いので孫権は使者を下がらせて、城攻めを命じた。
北門、西門、南門に配備された兵達は喊声をあげながら城に突撃した。
梯子やら弓矢を持った兵達がある程度、城に近付くと。
胸壁に隠れていたのか、城の兵達が姿を見せて弓矢を放った。
弧を描きながら放たれた矢の雨は無防備な孫権軍の兵達に襲い掛かり、多くの死傷者を生み出した。
「くっ、まさか兵を忍ばせていたとはっ」
「ご安心を、殿。敵がどれだけいようと、この城に着くまでの間、それなりの数の兵を失いましたが、我が軍はまだ二万の兵を有しております。数日中にはこの城を攻め落とせます」
「そうか。では、周瑜。任せたぞ」
「はっ」
周瑜に励まされて孫権は周瑜に城攻めを任せた。
命に従った周瑜は城攻めの指揮に掛かった。
無理な攻めはせず、数日掛けて着実に攻撃する周瑜。
その攻めに城の兵達も疲弊していき、後もう少しで城が落ちると思われた。
其処に孫権達に取っては悪い知らせが届いた。
「申し上げます。北東より、臧覇率いる軍がこの城に向かってきておりますっ」
周囲の偵察をしていた孫権軍の兵の報告に孫権達は耳を疑った。
「なに、臧覇だと⁉」
「あやつは琅邪国の太守ではあるからな。そろそろ、来てもおかしくはないか」
臧覇が来た事に動揺する黄蓋達。
「して、兵の数は?」
そんな中でも程普は冷静に兵に訊ねた。
「先遣隊として騎兵を五千。また、数こそは分かりませんが後続にも兵がいる模様です」
報告を訊いた程普は唸った後、孫権を見た。
「殿。此処が退き時です。直ぐに全軍に撤退命令を」
「お待ちを」
程普の進言に孫権の代わりに周瑜が答えた。
「今、撤退すれば城に居る兵は、待っていたとばかりに我等の背後を突きます。此処は夜陰になってから撤退致しましょう」
「周瑜よ。お主の懸念も分かるが、だからと言って退くべき時に兵を退かぬのとあっては問題外だ。夜になった所で、敵の追撃は受ける事に変わりは無かろう」
「程公の言う事は尤もです。ですが、夜陰に乗じて逃げれば、敵の追撃からも逃げ切れると思います」
「今の内、撤退する方が敵の追撃も防ぎやすいであろうっ」
「今は防ぐよりも逃げる方が先です。夜の方が逃げやすいでしょう」
程普は自分の意見の方が良いと声高に叫ぶが、周瑜は夜に撤退しようと述べた。
二人の意見を聞いた孫権は暫し考えた後、夜に撤退する事に決めた。
孫権がそう決めたという事で、程普は渋々だが従った。
話に出た匡奇城はどれだけ調べても、場所が分からなかったので一番有力な射陽県の近くにあるという事とします。