侵攻のきっかけ
時を遡り、曹操が南陽郡に侵攻し、陳登が喪に服している頃。
揚州呉郡曲阿県。
孫策の後を継いだ孫権が本拠地にしている県であった。
兄孫策の死後、反乱に次ぐ反乱が起こった揚州もようやく落ち着きを取り戻し始めていた。
このまま内政に力を注ぎつつ、孫権に従わない者達を討伐すれば揚州を統一出来ると思われた。
その後は父孫堅の仇を取るという名目で荊州を攻め込むか。
それとも、山越に攻め込んで国内を安定させるかもしくは交州に攻め込むかと考える孫権。
物思いにふけっている孫権に部屋の外にいる取次ぎをしている兵が周瑜が来た事を告げた。
「おお、丁度良い所に。話を聞こうと思っていた所であったのだ」
直ぐに部屋に通すように命じた孫権。
兵は一礼した後、直ぐに周瑜を連れて戻って来た。
「では、これで」
兵が一礼した後、孫権は親し気に声を掛けた。
「公瑾。丁度其方と話したいと思っていた所であったぞ。呼ぶ手間が省けた」
「それは幸い。私も丁度、殿に申し上げたき事が出来ましたので」
周瑜はそう言って袖に手を入れると、其処から数枚の文を取り出した。
「どうぞ、ご確認を」
周瑜は文を持ちながら、孫権の前まで来ると膝を曲げて文を掲げた。
周瑜の手にある文を受け取った孫権は文を広げて中を読んだ。
読んでいく内に、段々と顔が強張っていく孫権。
一枚目を読み終えると、次の文を広げて読んで行った。
全ての文を読み終えると孫権は眉間に皺を寄せていた。
「……陳登が長江と淮水流域一帯にいる江賊(水賊とも言うが、本作では江賊とする)や豪族に調略を仕掛けて来たぞ。公瑾」
「はい。揚州は河川が多い地。故に、どの郡を攻めるにしても、船が必要です。陳登は江賊達が使う船を持って揚州に攻め込むつもりなのでしょう」
「むぅ、ようやく揚州も安定して来たというのに、陳登は何故、この地に攻め込むのだ?」
「恐らくですが。亡き兄君であられる孫策様が揚州を平定する際に打ち破った者の中に陳登の一族の者も居たそうなので、それを恨みに思っているのだと思います」
「ふぅ・・・・・・兄上の行いが、此処まで尾を引くとはな」
此処に来て孫策が起こした問題だと分かり溜め息を吐く孫権。
「このまま放っておけば揚州が攻め込まれるのは時間の問題でしたが。丁度、陳登は今喪に服しております。此処は其処につけ込んで、こちらから攻め込むというのは如何でしょうか?」
周瑜の提案に孫権は少し考えた。
「むぅ、今は州内の安定を図るのが先だと思うが」
「州内の反乱分子はほぼ鎮圧いたしました。此処は遠征を行い、殿の勇武を見せつける好機にございます‼」
「しかし、喪に服している者の領地を攻め込むのはどうなのだ?」
孫権の疑問に周瑜は大した事では無いとばかりに答えた。
「今は乱世。生き馬の目を抜く事を求められる時代にございますっ。道義も大切ですが、何よりも生き抜く為に必要なのは、何と言われようと利益を得る事にございます! 曹操など見て見なされ。あやつは父親と一族の者が殺されるなり、喪に服する事なく仇を討つという名目で兵を挙げて徐州に侵攻したのです! もし、呂布が兗州に攻め込む事が無ければ、徐州は曹操の手に治まった筈です。これも道義に縛られていては出来なかった事にございますっ。それに、今攻めねば喪が明けた陳登がこの地に攻め込む事も考えられます。此処は我等が先に攻め込むのが良いと思いますっ」
周瑜は例を挙げながら、徐州に侵攻する事への理解を求めた。
周瑜の力強い言葉に例を訊いた孫権は少し考えた。
「……良し。周瑜。軍議を開く。重臣達を呼び集めよ」
「はっ」
孫権が軍議を開くと聞いて、周瑜は頭を下げながら、殿は攻め込むつもりだなと思った。
少しすると、城の大広間に主だった重臣達が集まった。
その重臣達に孫権は徐州に攻め込むという事を宣言した。
孫権の宣言を訊いた文官達は今は国内の安定を図るべきだと進言したが、周瑜が陳登が長江と淮水流域一帯の豪族を調略している事を告げて、今が攻め込むべきだという理由も述べた。
今の孫家では周瑜の発言力が絶大で、誰も反対する事が出来なかった。
数日後。
魯粛に留守を任せた孫権は自分を総大将とし周瑜、韓当、黄蓋、程普、徐琨、凌操、董襲、蔣欽、周泰と言った勇将名将と共に三万の兵を率いて徐州に進軍した。
孫権軍が広陵郡に進軍すると、瞬く間に広陵県、江都県、東陽県、堂邑県、輿侯国が陥落した。
そして、平安県を落した後、次の目標を射陽県に定めた。
この県は嘗て陳登が広陵郡太守を務めていた時に郡治所にしていた県であった。