これは想定外だ
数日後。
劉備率いる軍勢は偵察を出して、曹操軍が布陣している地を探しだし見つけた。
その報告を訊くなり、劉備は剣を掲げた。
「これより曹操軍の陣地を攻撃する‼ 全軍、攻撃準備せよ‼」
劉備の号令に従い、兵達は準備した。
その準備が終わると、時刻は夜になっていた。
しかも、丸い月が夜空に浮かび月明りで道がはっきりと見えていた。
「今宵は満月か。運が無いな」
「いや、満月だからこそ、敵の警戒が緩むかもしれないぞ」
糜芳が空を見上げながら、ついていないという顔をすると、龔都は敵も満月の時には攻撃してこないだろうと考えて警戒が緩むかもしれないと言った。
それを聞いた糜芳は有り得るなと思い頷いていた。
二人の話が聞こえたのか、張飛は我が策なれりとばかりに笑っていた。
出来るだけ音を立てずに進む劉備軍。
曹操軍の陣地が見える所まで来た。
門を守る兵は眠たいのか欠伸を掻いていた。
「よし、敵も我等が襲撃してくると思っていなかった様だ」
門を守る兵の無警戒な姿を見た劉備は好機と見て、手を振り上げた。
その合図に従い劉備に付き従った兵達は矢を番えた。
そして、劉備が手を振り下ろすと同時に、矢が放たれた。
放たれた矢は弧を描きながら、曹操軍の陣地に降り注いだ。
「ぐわあああっ」
「敵襲! 敵襲!」
降り注いだ矢を受けて兵達は倒れるが、矢に当たる事がなかった兵は敵襲を告げながら、何処かに向かっていた。
「攻撃せよ‼」
「「「おおおおおっっっ⁉」」」
劉備の号令に従い、兵達は陣地に突撃を開始した。
門を叩き壊し、陣地の中に突入した劉備軍の兵達。
兵達は喊声を上げて陣内に突入した後、劉備達も陣内に入った。
其処で、倒れている曹操軍の兵達の数が少ない事に気付いた。
「これは、どうした事だ?」
「おいっ、其処の天幕の中を調べろ‼」
劉備が不審がっていると、張飛が近くの兵に声を掛けて天幕の中を調べさせた。
兵は天幕の中に入ったが、直ぐに戻って来た。
「誰もおりません‼」
「なにっ、どういう事だ⁉」
報告を訊いた張飛は訳が分からないという顔をしていたが、劉備は直ぐに分かった。
「っ⁉ これは罠だ‼」
劉備がそう叫ぶのと同時に、陣地の外から矢が降り注いだ・・・・・・・・・・・・・。
「ぎゃああああっっっ」
「どうして、矢が?」
突然、自分達に降り注ぐ矢に混乱する劉備軍の兵達。
その混乱する劉備軍に陣地に入って来た曹操軍が攻撃を仕掛けた。
「掛かれ‼」
「一人たりとも逃すな‼」
「雑兵は他の者達に任せ、劉備を討ち取れ‼」
「劉備を討ち取った者は褒美は思うがままぞ‼」
「者共! 思う存分功を立てよ⁉」
そう攻撃を命じるのは高覧、張郃、曹昂、夏候惇、夏侯淵の部隊であった。
「おのれっ」
「殿。此処は城に撤退をっ」
奇襲が見破られていた事に劉備は歯噛みする。其処に簡雍が撤退を進言した。
「そうだな。撤退するぞ‼」
劉備が大きな声で撤退を告げると、馬首を翻して来た道を取って返していった。
劉備の命が聞こえたのか、張飛と糜芳は撤退を開始した。
だが、運が悪いのか龔都が撤退の時機を逃して、配下の兵と共に陣地に取り残された。
夏候惇と夏侯淵と曹昂の部隊は半包囲しつつ龔都と共に残った者達を攻撃していった。
三部隊の攻撃により劉備軍の兵達は倒れて行く。
龔都はこのままでは討たれると思ったのか、逃げようとしたが其処に高覧が現れた。
「其処に居るのは敵将だなっ。降るか討たれるか選べっ」
「面白いっ。取れるものなら取ってみよ‼」
高覧の問い掛けに龔都は返答代わりとばかりに得物を振るう。
それを見た高覧は龔都と刃を交えた。
数合交えたが嘗て袁紹軍を代表する勇将であった高覧を相手するには龔都は弱かった。
高覧の一撃を受けて血を噴き出しながら落馬した。
高覧が龔都を討ち取った事を告げると、まだ抵抗していた劉備軍の兵達の戦意は無くなったのか、兵達は膝を曲げた。
龔都が討たれた頃。
劉備は曹操軍の追撃を受けていた。
劉備が陣地を出ると、陣地付近に潜んでいた曹洪、楽進、曹仁、曹純、徐晃の部隊が出て来て、劉備軍に攻撃を仕掛けた。
部隊の多さを見て劉備は直ぐに逃げた。
張飛と糜芳は防ごうとしたが、数の前には無力であった。
部隊が壊滅すると、張飛達は逃亡した。
曹操軍が劉備の追撃に掛かった。
群狼の様に猛追してくる曹操軍。
劉備の周りを固める兵達は曹操軍の兵に襲われて一人、また一人と失っていった。
「くっ、張飛の策に乗ったばかりにこうなるとは」
「殿。過ぎた事を言っても仕方がありません。今は城に逃げるのが先です」
あまりの負けっぷりに、劉備は愚痴を零すが簡雍が励ました。
励まされた劉備は頷いた。
そのまま逃げていたが、簡雍は提案を述べた。
「殿。此処は二手に別れて、敵の追撃を分散させましょうっ」
「そうだな。簡雍、城で会おうぞっ」
簡雍の提案に即乗った劉備は手綱を操り、簡雍から離れて行った。
簡雍も劉備から離れて行った。
「二手に別れたぞ!」
「どっちが劉備だ?」
「ええい、両方追い駆けろ‼」
追い駆けている劉備達が二手に別れたので、曹洪達はどっちを追い駆けるべきか一瞬迷ったが、直ぐにこちらも二手に別れて追撃を続けるという事になった。
追手が二手に別れた事で、劉備は追撃を逃れる事が出来た。
だが、簡雍の方は追手に追いつかれてしまった。
「最早此処までか。我こそは中山靖王の末裔の劉備玄徳なり‼ この首を取れるのであれば取ってみよ‼」
簡雍はもう逃げるのは無理と判断したのか、自分が劉備だと偽った。
「劉備だ‼」
「討って手柄にするぞっ」
簡雍の嘘を聞いた曹操軍の兵士達は簡雍に殺到した。
簡雍は部下と共に懸命に防戦したが、数の前には無力であった。
曹操軍の兵士達が突き出す幾つもの槍が簡雍の身体を貫いた。
「ぶふっ・・・・・・殿、御無事で・・・・・・」
簡雍は口から血を吐き出しながら呟いた後、馬上で事切れた。
劉備が何とか城に戻った後、曹操軍の追撃から逃れた兵達が続々と城に戻って来た。
その中には張飛と糜芳の姿があった。
だが、どれだけ待っても龔都と簡雍が戻って来なかった。
「龔都様は敵将高覧に討たれました。簡雍様は・・・殿と別れた後、敵の追撃に追いつかれ奮戦しましたが・・・あえない最期を」
追撃から逃れた兵が劉備にそう報告すると、劉備の目から涙が流れた。
義勇軍の頃から従っていた股肱が討たれた事に対する衝撃が大きかった様だ。
「・・・・・・殿。先程城に残っている兵を数えましたが、三千を切りました。この程度の兵力では籠城しても、曹操の攻撃は防げません」
「では、どうするのだ?」
孫乾が劉備の心情を重んじつつも、状況が状況なので言わないと駄目だと思い口を開いた。
劉備は袖で涙を拭い、孫乾を見た。
「此処はこの城を放棄し、劉表を頼りましょう。劉表は殿と同族。頼れば無碍な扱いはしないでしょう」
「だが、私と劉表殿は特に交流などしていないぞ。それでも、頼れるのか?」
「私が劉表殿の下に赴き、殿を迎える様に説得いたします」
「・・・頼むぞ。孫乾」
少し考えた劉備は孫乾の提案に乗った。
孫乾が城を出ると同時に、劉備達も城を出て南へと逃亡した。
曹操は追撃を終え、穣県に来ると城の門が開け放たれており、城に劉備達が居ない事を確認した後、城内に入った。
城内に入った曹操は大広間に家臣達を集めた。
「奇襲を防がれるなり逃げるとは、相も変わらず逃げ足だけは早い事だな」
曹操が、劉備が籠城しない事を嘲笑すると、家臣達も同じように嗤っていた。
「それで、劉備は何処に居るのだ?」
「偵察に送った者の報告では劉表が治める南郡の州境に生き残った者達と居るとの事です」
「ふむ。どうやら、劉表に庇護を求めるようだな。そうなる前に、劉備を討つとしようか」
曹操が進軍を命じようとした所で、外を見張っていた兵が大広間に入って来た。
「申し上げます。都より使者が参りました」
「都から?」
曹操は何の使者なのか分からなかったが、取り敢えず通すように命じた。
少しすると、兵は使者を連れて戻って来た。
兵が下がると使者は頭を下げた。
「都からの使者と聞いたが。何用か?」
「はっ。荀尚書令様より文を届ける様に命じられました」
そう言って使者は袖の中に入れていた文を取り出して掲げた。
曹操は典韋に目をやり取りに行かせた。
典韋は頷いた後、使者の下に赴き文を取り、曹操に渡した。
曹操は受け取った文を広げ中を見た。すると、顔が一瞬で顰めていた。
「なにっ、孫権が徐州侵攻っ。広陵郡の多くの県が落とされ占領されただとっ⁉」
文に書かれている内容を読むなり曹操は驚きと怒りに満ちた声をあげた。
曹操の叫び声を聞いて家臣達も驚いていた。
(あれ? 孫権って徐州に攻め込んだ事があったっけ?)
曹昂は前世の記憶でそんな話があったかなと首を傾げていた。
曹昂が思い返している間も、曹操と使者の話は続いていた。
「はい。急ぎ徐州を何とかしなければと尚書令様が申しておりました」
「これは捨て置けんな。急ぎ、徐州に向かわねばならんな」
「父上。それでは劉備はどうしますか?」
曹操は徐州に向かうつもりだと察した曹昂は劉備はどうするのかと訊ねた。
「捨て置けっ。今は孫権の方が大事だっ」
「分かりました。では、劉表と同盟を結ぶ件は私めにお任せを」
「うむ。任せた」
曹操はそう言って席から立ち上がった。
「これより、徐州に向かうぞっ。夏候惇と楽進と徐晃はこの場に残り、曹昂の補佐をせよ。程昱。お主もだ」
「「「はっ」」」
「劉表の同盟の件はお前に一任する。任せたぞ」
「はっ。それについてもう一つ。同盟を結ぶ際、南陽郡の領地を割譲すると思います。何処までを我等の領地とするのですか?」
「そうよな。・・・・・・・安衆から北は我等の領地。其処から南は劉表の領地とせよ」
「承知しました」
曹操が何処からを境にするのか決めると、曹昂は承諾した。
曹昂の返事を聞いた後、曹操は三万の兵と共に徐州へと向かった。