牽制にはなるか
十数日後。
許昌の丞相府。謁見の間。
上座に座る曹操は自分の前で跪いている陳珪と会っていた。
「久しいな。陳珪、元気そうだな」
「はっ。丞相もご壮健で何よりです」
久しぶりに会う陳珪を見ながら挨拶を交わす曹操。
頭を上げた陳珪は曹操を見ながら口を開いた。
「この度はどの様な御用で私めをお呼びで?」
「うむ。お主を呼んだのは、頼みたい事があってだな」
「頼みたい事ですか?」
陳珪は何を頼みたいのか分からず首を傾げていた。
そんな陳珪を曹操はジッと見た。
「頼みたい事と言うのは他でもない。劉備の事だ」
「っ⁉」
曹操の口から劉備の名前が出て、目が飛び出しそうな程に驚く陳珪。
「劉備が穣県に居る事は知っているか?」
「はい。風の噂でそう訊いております」
「ならば、話が早い。お主、劉備の下に赴いてある人物の返還をする様に交渉してくれ」
「私がですか⁉」
呼ばれた理由が分かり陳珪は驚いていた。
「うむ。今、劉備の下には私の親戚の夏侯淵の姪である夏侯淑姫という者が居てな。あの者は何を思ったのか、都を抜けだして劉備の下に身を寄せているのだ。何時までも親戚を腹黒い男の下に置く事はできん。お主の舌先三寸を持って取り返してくるが良い」
「・・・・・・これも風の噂で聞いたのですが。その御方は確か、張飛殿の妻になったと聞いておりますが?」
「そうだ。とは言え、張飛は劉備の下に居る以上は、私に敵対する意思があるという事だ。であれば、離縁したとしても文句はあるまい」
「・・・・・・」
曹操の言葉を聞いても陳珪は難しい顔をしていた。
(都を出てまで張飛殿の下に来た以上、戻って来る見込みは無いと思うのだが。丞相はどういうつもりで、儂にこの様な仕事をさせるつもりなのだ?)
曹操の腹が分からない陳珪はどう返事するべきか迷っていた。
「お主しか適任者がいないのでな。どうだ?」
「・・・・・・承知しました。出来る限り、任を全う致します」
「では、頼む」
曹操は陳珪と話す事は終わったので、席を立とうとした所で。
「お待ち下さい、丞相。私からも一つお渡ししたい物があるのです」
「渡したい物?」
「はい。手前の愚息が私が都に赴くという話を聞くなり、私にこの文を渡したのです」
陳珪はそう言って懐から封に入った文を取り出した。
曹操は傍にいる使用人に取りに行かせ、使用人が陳珪から文を受け取ると曹操に手渡した。
「後で読ませて貰う。準備ができ次第、穣県へ向かうように」
「はっ。承知しました」
これで話は終わったので、曹操はその場を後にした。
部屋を出た曹操は一息つこうと私室に入った。
使用人に茶の用意をする様に命じた後、茶が来るまでの間、曹操は陳珪から渡された文を読む事にした。
封を開けて、文を広げ中身を見た。
「・・・・・・これは私一人で決める事では無いな」
そう呟いた後、直ぐに使用人達に参謀の荀彧達を呼ぶ様に命じた。
少しすると、部屋に荀彧、程昱、郭嘉、荀攸、賈詡、曹昂の六人が集まった。
「丞相。お呼びとの事ですが?」
「うむ。これを読んでくれ」
荀彧が訊ねて来ると、曹操は手に持っている文を渡した。
渡された文を一読する荀彧。
そして、隣にいる郭嘉に渡して読み終えると、程昱に渡した。
程昱は一読した後、残りの三人に見せる様に横に避けて見せた。
「ふ~む。これはまた」
文を読んだ賈詡は顎を撫でた。
文に書かれている内容が即答できる内容では無かったからだ。
文には孫策亡き後、江南の地は荒れているので今が併合すべき時です。私に兵を出す許可を下されば、必ずや併合いたしますと書かれていた。
「今、江南の大半の地は孫権が治めてる。その孫権は私に臣従している。別に攻めなくても良いと思うが、お主等はどう思う?」
あくまでも曹操の一存なので、荀彧達はどう思っているのか訊ねてどうするか正式に決める事にした。
荀彧達も孫権をこれといった脅威とは思っていない様で、臣従しているのだから討伐しなくても良いのではと思ったが。
「父上。此処は陳登殿の策に乗るべきだと思います」
其処に曹昂が陳登の提案に乗るべきだと申し出た。
「ほぅ、何故だ?」
曹操は孫策とは親しくしていたのでその弟の事は庇うか何もしないだろうと思っていた息子がそう言うので訊ねてみた。
「簡単な事です。虎の子は虎です。放っておけば、後々面倒な事になるかもしれません。ですので、此処は陳登殿の策に乗るが良いかと」
「別に臣従している者を討伐しなくても良いと思うがな」
「父上。張繍もそう言って侮ってましたが、二度も負けたではないですか」
その時は賈詡が配下にいたとは言え、二度も曹操を撃退した事には変わりなかった。
其処を指摘された曹操はムッとした顔をしていた。
「つまり、お前は今の内に孫権を叩いた方が良いと言うのだな?」
「はい。その通りにございます」
曹昂がそう提案するので、曹操は暫し考え込んだ。
考えている曹操に曹昂は言葉を重ねた。
「陳登は長江と淮水流域で非常に人望が高いと言われております。その陳登殿に揚州を預ければ、荊州攻略も容易にできます」
「・・・・・・悪くない手だ。良し、陳登に江南に進出しても良いと文を出すとしよう」
「お聞き入れ頂きありがとうございます」
曹操が陳登の提案に乗ると聞いて曹昂は頭を下げた。
(まぁ、陳登が揚州を取れるとは思えないけど、孫権の勢力を削るぐらいは出来るだろう)
そうすれば、後々が楽になるなと思う曹昂。