こういう話があったとか
曹昂が司馬懿の下に行っていた頃。
許昌の丞相府の大広間にて曹操はある者の報告を訊いていた。
「申し上げます。李整殿は無事州治所が置かれている斉国臨菑県に到着しました。袁譚殿は引継ぎが終わり次第、冀州に向かうとの事です」
「くくく、こうも簡単に行くとはな」
李整が送って来た部下の報告を訊きながら曹操は喉の奥で笑っていた。
袁譚に冀州州牧の印綬を届ける使者に、青州刺史の地位は辞退して返上する様にと伝える様に命じていた。
その使者の言伝を訊いた袁譚は暫し考えたが、信頼する郭図に相談すると。
『殿。青州など何時でも取る事が出来ます。その様な土地に固執する事はございません』
と言うので、袁譚はその進言を聞き入れて、青州刺史の地位は辞退して返上する事にした。
そして、その後任として李乾の息子の李整が選ばれた。
報告を終えた部下が一礼し部屋を出て行くのを見送った曹操は頬を撫でつつ考えていた。
(袁譚が刺史の地位の返上をごねた時は、冀州州牧の話は無かったことにするつもりであったが、杞憂であったな)
これで青州の支配を確立させるだけだと思う曹操。
と同時に、人材も必要だなと思い、部屋に居る家臣達に声を掛けた。
「これで青州は我等の地となった。しかし、領地が増えたと言う事は、それだけ守る物が増えたという事となる。誰か、これはという者を私に推挙する者はおらんか?」
曹操がそう告げるのを聞いた家臣達はざわついた後、誰か居たかなと話していた。
ざわつく中で、家臣の一人が前に出た。
「丞相。私に一人心当たりがございます」
「・・・孔融か」
家臣達の前に出た孔融を見るなり、曹操は内心でげんなりしていた。
(また禰衡みたいな奴を推挙するつもりだろうか?)
孔融であれば、そういう人物を推薦するかも知れないなと思いながら、一応どんな人物を推薦するのか聞く事にした。
「どの様な者だ。お主が推挙する者は?」
「はっ。私よりも年下ですが。友人で太史慈。字を子義と言う剛の者にございます」
「ほぅ」
てっきり、文人だと思っていたのだが、武人だと分かり曹操は興味が湧いたのか耳を傾けた。
「生まれは青州東萊郡黄県の者にございます。身の丈は七尺七寸で武勇に優れ、美鬚美髯で、弓を扱えば百発百中の名手にございます」
「ふむ。お主とはどういう経緯で知り合ったのだ?」
「太史慈の父親とは旧知の仲でした。その父親が死んで太史慈が官吏になったのですが、役人と揉めて逃げる際に太史慈の母親を私めに面倒を見る様に頼まれました。私はその話を受けて母親の面倒を見ました。その後、私が青州刺史をしていた頃に黄巾賊の残党に攻められていたのですが、太史慈は私を助けてくれたのです」
「成程。正に勇士と言っても良い働きを。是非とも我が家臣に迎えたい者だ。それで今、太史慈は何処に居るのだ?」
禰衡ではなくこういう人物を推挙しろと思いながら曹操は太史慈の所在を訊ねた。
「今は孫策の後を継いだ孫権に仕えているそうです」
「孫権だと? ふん。孫策の地盤を引き継いだだけの者に、素晴らしい勇者を置いては勿体ない。孔融、直ぐに太史慈に文を書け。それと、そうだな」
曹操は少し考えた後、側にいる使用人に声を掛けて何かを囁いた。
すると、使用人は一礼し部屋を出て行った。
暫くすると、使用人は木箱を持って戻って来た。
「文と共にこれを届けるのだ」
曹操がそう言って使用人に持って来た木箱を孔融に渡すように指示した。
使用人は孔融の前に木箱を置いた。
「中を見ても宜しいですか?」
「構わんぞ」
孔融は箱に何が入っているのか気になり訊ねると、曹操は見ても良いと述べた。
孔融は箱の蓋を開けると、箱の中に入っていたのは何かの木の根の様であった。
「これは?」
「ふふふ、これは薬草の当帰だ」
「当帰ですかっ、あの伝説の」
孔融は驚きながら、箱に入っている当帰を見た。
当帰とはその昔、妻が婦人病を患った時に、夫が家に寄りつかず、思いあまった妻は人から教えられた薬草を煎じて飲み、病気は回復した。その妻が「恋しい夫よ、当に家へ帰るべし」という伝説がある薬草であった。
「・・・・・・成程。当帰ですか」
孔融はこの薬草の名前と太史慈に渡すように言うのを聞いて、直ぐに何を意味するのか分かった。
青州が曹操の支配下に入ったので「私の元に来い」という暗示だと分かった。
丞相の意図が分かった孔融は一礼し部屋をあとにした。
孔融が部屋を出て行くと、入れ替わるように別の者が前に出た。
「丞相。私めにも一人推薦したい者がおります」
「ほぅ、お主もか。子瑜」
前に出た人物を見た曹操は珍しい物を見たという顔をしていた。
子瑜と言われた者は年齢は二十代後半であった。
面長な顔立ちで立派で気品な容貌をしており、雅量のある人物であった。
この者の名は姓は諸葛。名を瑾という者であった。
曹昂が推薦した人物の一人であった。
曹操も一目見るなり、非凡な人物だと見抜き家臣に加えていた。
奥ゆかしい性格なのか、発言はあまりしないが意見を求めると、優れた見識に富んだ意見を答えるので、曹操は何かと使っていた。
「お主が推薦した者とは何者か?」
「はい。我が弟にございます」
「弟とな?」
諸葛瑾の家は徐州琅邪郡では名門の諸葛家であった。
加えて、諸葛瑾の弟なので優れた人物なのだろうと思う曹操。
「その者の名は?」
「はっ。名は亮。字は孔明にございます」
「年は?」
「今年で二十になりました」
年齢を聞いて曹操は若いなと思った。
「ふむ。何かその者について、何か話はあるか?」
「はっ。それでしたら龐徳公が弟に一目会うなり『この者は臥龍だ』と言っていたと聞いております。また、襄陽にある司馬徽の私塾の門下生でその才は司馬徽も一目置いていると聞いております」
「龐徳公か。聞いた事があるぞ。確か襄陽の名士で人物鑑定の大家と聞いている。私の事を乱世の奸雄と評した許劭と勝るとも劣らない人物評価に優れていると。それと司馬徽か。其奴も知っているぞ。嘗て豫州潁川郡にて司馬徽ありとまで言われた人物鑑定家であったな」
有名な人物鑑定家が一目置くと言われている諸葛亮に興味が湧いた曹操。
「良し。諸葛瑾。直ぐに弟に文を出し、私に仕える様に言うのだ。それと」
曹操はまた使用人を呼んで何かを囁いた。
すると、使用人は一礼し部屋を出て行った。
暫くすると、使用人は木箱を持って戻って来た。
「これを文と一緒に届けるのだ」
曹操はそう言って、使用人に木箱を諸葛瑾の前に置くように指示した。
「この箱の中に何が入っているので?」
「箱の中には鶏舌香が入っている」
この鶏舌香とは丁子の一種で、この時代では口臭を消すのに用いられていた。
「・・・・・承知しました。文と一緒にこれを渡せばよいのですね」
「うむ。頼んだぞ」
「はっ」
この鶏舌香を渡すのは「何時でも朝廷に迎える準備は出来ている」という意味だと分かった諸葛瑾はその鶏舌香が大量に入った箱を持って一礼し部屋を後にした。
孔融と諸葛瑾は屋敷に戻ると文を認めて渡された箱と一緒に文を、それぞれ太史慈と諸葛亮の下に送った。
数日後。太史慈からの文が孔融の下に届いた。
その文と一緒に届けた筈の箱と一緒に。
箱の中には当帰が入っていた。
文には「孫権殿の恩義に叛く事はできない」という事が書かれていた。
諸葛瑾の方も送られた木箱と共に文が届き「私の様な田夫野人が朝廷に仕えるなど、恐れ多くて出来ません」と書かれていた。