試したい気持ちはある
司馬防の屋敷を後にした曹昂達。
その連れの中には司馬懿の姿があった。
これは曹昂が司馬防に提案したからだ。
『幾ら仕官の話を蹴ったとは言え、ご子息を殺したとなれば、建公殿の名に傷が付きます。其処で、どうでしょう。本人が働く気になるまで、私の下で食客になると言うのは?』
曹昂の提案に司馬防は暫し考え込んだ。
司馬防としてはこのまま叩き殺しても良かったのだが、曹昂が食客に迎えたいと言うので、それも良いかも知れないなと考えた。
『今の話を聞いたな。仲達。お前が選ぶが良い。棒叩きを受けるか、それとも曹子脩様の食客になるかを』
『是非とも、子脩様の食客にっ』
司馬防の問い掛けに、司馬懿はそう即答した。
その返事を聞いた司馬防は直ぐに出立の準備をさせて、家から叩きだすように屋敷から出した。
「いやぁ、危ない所でしたね」
「はい。父上の頑固さにも困ったものです」
曹昂が司馬懿に訊ねると、司馬懿は溜め息を吐いて答えた。
「長年暮らしていた家から出るので寂しいかも知れませんが、私の屋敷でも不自由が無い暮らしをさせますのでご安心を」
「お気遣い感謝します」
曹昂が不自由が無い暮らしをさせると約束すると言うと、司馬懿は頭を下げた。
その後、曹昂は司馬懿と少し雑談に興じた。
司馬防の屋敷を出て、少し離れた所で曹昂達は小休止を取った。
木陰で身を休ませながら曹昂は司馬懿を見ていた。
(許昌に司馬懿を連れて行くのは出来たけど、これからどうするべきか)
このまま許昌に連れて行けば、その内曹操が何か名目を付けて召し出す可能性があった。
(召し出すのは良いけど、せめて大権を握っても対処できる様にしないとな)
そうしなければ、史実通り簒奪されかねないと思う曹昂。
そうならない為に曹昂が出来る対処と言えば、今の所三つあった。
一。司馬懿を殺す。
二。このまま、官職に就けさせないで一生食客にする。
三。司馬師、司馬昭を生ませない。
(一は却下だな。諸葛亮がこちらの味方になってない以上、敵になるかそれとも世に出ないか分からない。諸葛亮に対抗できる人物としては司馬懿は適任だからな)
曹昂は流石にその考えは無いなと思いながら、次の案を考えた。
(一生食客にするというのは無理があるだろうな。多分、荀彧殿辺りが推挙するだろうから。こちらは無理、だとしたら、考えられるのは三の案か)
三の司馬師、司馬昭兄弟を生ませないという案。
これについては、曹昂の中で考えがあった。
それは司馬師、司馬昭兄弟の母親である張春華を別の者の夫妻にさせれば良いという考えであった。
司馬懿と張春華は年齢は十歳離れており、まだ婚姻すら結んでいない。
この時代の女性の結婚の適齢年齢は十五から十八ぐらいであった。
例外もあるので、司馬防に確認したが、まだ司馬懿は結婚していないと聞いていた。
其処で曹昂は張春華を司馬懿以外の人物と結婚させたら、どうなるのだろうと思った。
(そうだな。父上に丕か彰の妻に良いのではと相談してみるか)
曹昂はまだ行動するのは早いと思い、そう考えるのは止めた。
考えるのを止めた曹昂はまた司馬懿を見た。
司馬懿は曹昂に背を向けて、空を旋回している重明を見ていた。
飛んでいる重明を見て、何か面白いのかと見ながら曹昂は思った。
(ここで声を掛けたら、首だけ後ろを向くのかな?)
司馬懿の中で有名な逸話。
それは狼顧の相と言って、司馬懿は首が百八十度後ろに捻転させることができたという話であった。
これについては、諸説あると言われている。
中国晋朝(西晋・東晋)について書かれた歴史書である『晋書』には曹操が司馬懿を呼び出し前方を歩かせて後ろを振り向くように命じた。すると司馬懿は体はそのままに顔だけが後ろを向いたので、曹操は驚いたという話が記されている。
しかし、人間の首が百八十度後ろに捻転させるのは身体の構造的に無理だと言われている。
加えて、狼という動物も首を百八十度回転できる訳ではない。
その為この狼顧の相とは狼が用心深く背後を振り返るように、警戒心が強く老獪な人物を指す言葉と言われている。
(・・・・・・実際の所、どうなのだろうな?)
確かめたいとは思う気持ちはあるが、本当にそんな事が出来ればビックリ人間だなと思う曹昂。
声を掛けるべきかどうしようかと悩んでいる曹昂の下に、趙雲が近付いて来た。
「殿。もう馬の疲れも取れましたし、そろそろ出立いたしましょう」
「ああ、うん。そうだな」
趙雲に出立しようと言われたので、曹昂は声を掛けるのを止めて、出立の準備に取り掛かった。
そして、出立すると曹昂は司馬懿とまた雑談に興じた。
少しでも司馬懿の事を知ろうと思い話し掛けていた曹昂。
そう話に興じていると、司馬懿は曹昂と意外な共通点がある事を知った。
それは、司馬懿も詩を書くのが下手だという事に。
司馬懿の口からその話を聞いた曹昂は司馬懿に対して親近感が増すのであった。