すっかり忘れていた
十二月某日。
曹昂の屋敷。
屋敷内にある部屋で曹昂は一人居た。
「ふふふ、今日は来客の予定も無いから、ゆっくりと出来る」
曹昂の卓上にある皿の上には黄色く四角い物体が盛られていた。
「この国は栗の木があるから、栗だけで作った羊羹が作れるから良いよな」
曹昂は四角い物体を見ながら呟く。
この国では栗は薬用とされている。薬用に使われる部位は種仁、葉、総苞の三つだ。
それぞれ種仁は栗子、葉は栗葉、総苞は栗毛毬と称している。
本来であれば、なるべく緑色が残るように日干し乾燥して薬用に用いるのだが、曹昂は栗だけの羊羹を作った。
作った事を皆に知らせると、また余計な問題が起こると思い、曹昂は一人で食べる事にしていた。
(未だに、軍用糧食には粒餡か漉し餡か塩で揉めているからな。此処で栗なんて出したら、また面倒な事になりそうだしな)
ただでさえ揉めている所に、栗羊羹の存在を知れば、新しい派閥が出来る気がする曹昂。
なので、一人で美味しく食べる事にした。
「さて、茶でも持って来るか」
一人で味わおうと思い、部屋には使用人は一人も居なかった。
曹昂は厨房に向かい、茶の準備をして部屋へと向かった。
お盆に茶器を乗せたまま、嬉しそうな顔をしながら廊下を歩く曹昂。
そして、部屋に入ると。
「おお、丁度良い所に来たな。茶が飲みたいと思っていた所であったのだぞ」
室内には曹操がおり、皿に盛られていた栗羊羹を食べていた。
食べれる事を楽しみにして作った栗羊羹が食われた曹昂は言葉を失っていた。
「むぅ、これは美味いな。形から見て羊羹の様だな。しかも、栗だけで作れるとはな。栗の味と食感。この香りは美味だな」
「…………そうですか」
曹操が栗羊羹の味を述べているのを聞いた曹昂はそうとしか答えられなかった。
折角、一人で楽しめると思っていた所に、思わぬ客が来た事に思う所はあるものの、来た以上は応対しなければと思い曹昂は使用人を呼んで茶の用意を貰った。
栗羊羹の殆どが曹操の腹の中に収まった。
「ふぅ、美味かったな。栗だけで作る羊羹か、漉し餡には一歩及ばないが悪くないな」
「左様で」
殆ど食べておいて、そう言うかと思いながら曹昂は残った栗羊羹を食べていた。
「して、父上。今日は何用で参ったのですか?」
今日は来客の予定は無かったので、曹昂は何の用で来たのか気になり訊ねた。
「ああ、お前に伝え忘れていた事があったのを思い出してな。それで来た訳だ。そうしたら、密かにこんな美味い物を作っていたとは。全く、油断も隙も無い奴だ」
「はぁ、それで、私に伝え忘れていた事とは?」
「陛下の元側室であった董凛の事は覚えているか?」
「はい。・・・・・・ああ、そうだ。そろそろ、出産する時期ですね」
袁紹との戦やら、関羽と劉備の関係と色々な事があったのですっかり忘れていた曹昂。
「お前が言い出した事であろうに。忘れるとは」
曹昂の反応から、忘れていたと分かり呆れる曹操。
「申し訳ありません。それで、董凛はどうなりました?」
「三日ほど前に産気づいて、子供を出産した。だが、子供の出産で力尽くしたのか、それとも一族の血を残す者を生んだ事で気が緩んだのか、昨日亡くなったぞ」
「そうですか。まぁ、子供を産んでも処刑する事は決まっていましたので、仕方が無いですね」
「うむ。問題はその生まれた子供だが。知り合いに預けている」
「男の子ですか?」
「いや、女だ」
「そうですか・・・・・・」
其処まで話していた曹昂はふと思い出して曹操に訊ねた。
「陛下には何と伝えたのですか?」
「母親は死んだが、子供は女の子だと伝えた。公式には董凛は子供を産んだが、その子は死産であった事に落胆して命を落としたという事にしている」
「それが妥当ですね」
「その話をした時、陛下に娘の名は母親と同じ名前にしてくれと頼まれたが、どうする?」
「別に良いのでは。預ける寺は何処なのか教えなければ、特に問題ないでしょうし」
「では、そうするとしよう」
曹操は話は終わりなのか、席を立った。
もう帰るのだなと思い、曹昂は見送る為に席を立った。
「それと、この栗羊羹だが。まだ、有るのか? あるのであれば、屋敷に居る丁薔達に土産として持って帰りたいのだが?」
「・・・・・・もうありませんよ」
本当は氷室にまだあるのだが、有ると言えば根こそぎ奪われそうなので、無いと答える曹昂。
「そうか。無いならば、仕方がないか。・・・・・・とでも言うと思ったか? 今の反応から見るに、まだありそうだな」
「えっ⁉ な、何の事ですかぁ?」
指摘されて声がうわずらせてしまった曹昂。
「渡すのであれば、父に隠れて食べるという不届きな行為を許してやろう」
「・・・・・・分かりました」
もう何を言っても駄目だと思い曹昂は曹操に厨房に案内させて、好きなだけ栗羊羹を持って帰らせた。
氷室にあった栗羊羹の半分が曹操の土産となった。
余談だが、曹操が土産として奪ったこの栗羊羹を食べたある者が、入っていた羊羹の派閥から抜けて新たに栗羊羹の派閥を結成した。
後日。
母親の名前を貰った董凛は寺に預けられた。
その寺が何処にあるのかを知ってるのは、極一部の者達だけであった。