暗闘
曹昂は曹操の屋敷を訪ねたその夜。
曹昂は曹操の部屋にいた。
「今日は丕達と遊んだそうだな?」
「はい。此処の所、弟妹達と顔を合わせていなかったので、たっぷりと相手をする事ができました」
曹昂は弟達と遊ぶ事が出来て喜ばしいのか笑顔を浮かべていた。
その眩しい笑顔を見た曹操も顔を綻ばせた。
「兄弟仲良くなのは良き事だ。袁紹の子供達を見ていると、余計にそう思うぞ」
曹操は困ったものだとばかりに、首を振る。
曹昂もその言葉を訊くと、何とも言えない顔をしていた。
「そうですね。報告によりますと、かなり揉めているそうですね」
袁尚と袁譚の跡目争いは燎原の火の様に河北四州に広がった。
并州を治める高幹と幽州を治める袁煕の二人は中立を宣言して、袁尚達に与する事はしなかった。
と言うよりも、今は自分達が治めている州の反乱の鎮圧が忙しく手助けする余裕が無いと言うのが正しかった。
その代わりとばかりに、家臣達の暗闘が始まった。
最初に、戦死した淳于瓊の代わりに監軍の職に審配が就いた。
審配の家は冀州でもそれなりに名の通った家であった為、誰も反対する者は居なかった。
職務により青州に戻る事となった郭図は、その報告を青州で聞き、まずいと思った。
これでは袁尚派の勢力が増すと思い、郭図は同じ袁譚派に属する同僚達と謀議して、審配を陥れる事にした。
ある会議の時に、許攸が裏切ったので、許攸の家族を捕らえるべきだと審配が意見を述べると、孟岱と郭図と辛評が許攸を裏切る原因を作ったのは、審配が許攸の家族に無実の罪を着せて捕らえたからだと言い出した。
審配は弁明するが、郭図は既に他の家臣達に手を回していたので、審配の言は聞き入れられなかった。
そして、敗戦の責任の一端にあるとして、監軍の職を解かれ鄴の守備から外された。
郭図としては、敗戦の責任という名目で審配を処刑させて袁尚派閥の勢力を削ぎたかったのだが、逢紀が審配を懸命に弁護したため、審配は窮地を逃れることができた。
この件により、逢紀と審配は親しくなりかけたが、性格の不一致により直ぐに破綻した。
その後、審配の後に監軍の職に就いた孟岱であったが、ある夜に何者かに暗殺された。
目撃者はおらず、懸命に捜査したが犯人は誰なのか分からなかった。
一部では曹操が刺客を送る筈がないので、逢紀か審配のどちらかが暗殺したという噂が流れていた。
その後、後任として審配が鄴の守備を任された。
「密偵の報告によると、武力衝突も時間の問題だそうだ」
「父上は袁家をどうされるのですか?」
「このまま放置しても良いが、家中が乱れているのであれば、攻め込んで混乱させるというのも手だと思う」
曹操は来年の内に攻め込むつもりであったが、曹昂は首を振った。
「今攻め込めば、逆に家中が団結してこちらが負ける事になりましょう。此処は袁尚と袁譚の争いを更に激しくさせれば良いかと」
「具体的に何をするのだ?」
「朝廷の命で、袁譚には冀州州牧の地位を与えますが、袁尚には何の地位も与えません。さすれば、袁譚は朝廷の命令という事で冀州を支配しようと行動します。何も与えられなかった袁尚は自分だけ何も与えられなかったので、袁譚は曹操と手を組んだのではと思いこむでしょう。さすれば」
「袁兄弟は兵を出して内乱となるか」
「左様にございます。その隙に青州を手に入れても良いと思います」
「悪くない手だな。袁家はそれでいくとして、問題は南陽郡だな」
曹操が南陽郡と言うのを聞いて曹昂は首を傾げたが、直ぐに分かった。
「劉備の事ですか?」
「そうだ。南陽郡の穣県には劉備が居るからな。来年にでも攻め込みたいのだが」
「その場合ですと、荊州の劉表を刺激する可能性がありますね」
曹昂がそう言うと、曹操は頷いた。
「その通りだ。荊州南部の四郡の方はどうなっている?」
「桓階からの報告によりますと、先月の末に張羨は病死したそうです。後を継いだ張懌は頑張っているそうですが、持って来年までだそうです」
「遠からず反乱は平定されるか。だとすれば、劉備を攻撃すれば、劉表は警戒して兵を出すかもしれんな」
「断言は出来ません。今年、孫策が江夏郡に攻め込んだ事で多大な被害を齎したので、こちらと争うだけの兵を用意できないかも知れませんので」
曹昂の報告を訊いた曹操は唸りだした。
「…………よし、決めたぞ。劉表とは同盟を結ぶ事とする」
「ど、同盟ですか。しかし、それは以前断られた筈ですが」
「あの時とは状況が違う。今回は応じるであろう」
「だと良いですね」
そう上手くいくかなと思いつつ返事をする曹昂。
曹昂の顔を見て、笑う曹操。
「なに、南陽郡の半分をやると言えば乗って来るだろう」
「それは思い切った手ですね」
それならば、流石に乗るだろうと思う曹昂。
「しかし、そうなると問題は劉備だな。あやつがいれば、南陽郡を半分にする事が出来ん。あやつを討った後で、劉表にこの話をするとしよう」
「それが良いと思います」
来年は春になれば、軍を動かすのだなと察した曹昂。
「ああ、そうだ。言い忘れる所であった」
曹操は何か思い出したのか、手を叩いた。
「何か有りましたか?」
「前にお前に話したであろう。私と沮授が約束を結んだと」
「はい。袁紹の遺体を渡すので、それを土産に冀州に戻り、その後で一族と共に許昌へ来るようと約束したとか」
曹昂は曹操が袁紹の兜をどのようにして得たのか経緯を聞いた所、沮授と約束して首を取る代わりに兜を取ったと聞いていた。
その話を聞いて、そう上手くいくかなと思っていた曹昂。
「その沮授から連絡が来た。袁家には暇を貰ったので、来年にでも一族と共に許昌に来るそうだ」
「ほぅ、それは上手くいきましたね」
沮授が一族と共に許昌に来ると聞いた曹昂は、沮授は信義に厚いのかそれとも袁家の未来を見限ったのか分からなかったが喜ばしい事だと思った。
「しかも、田豊も連れて来るそうだ」
「はぁ、良く連れてこれましたね」
田豊とは一度会った事がある曹昂は良くあんな頑固な人を説得したなと感心していた。
「何でも、沮授が鄴に戻って来るまで、ずっと牢屋に居たそうだ。そして、沮授が牢に行き田豊を説得したそうだ」
「それで、田豊は説得に応じたと?」
「許昌に来るという事はそうなのだろう。会うのが楽しみだ」
曹操は嬉しそうに笑っていた。