曹昂の弱点
冀州の出来事が曹操の下に届いた頃。
同じ報告は曹昂の下にも届いていた。
「・・・・・・喪主で兄弟で揉めるとか、袁家の慣習なのかな?」
報告書を読んだ曹昂は思わず呟いた。
と同時に、自分の弟達の事を想像した。
「・・・・・・此処の所、顔を見せてないし、明日にでも顔を出すか」
袁譚と袁尚が揉めていると聞いて、同じ轍は踏まない様にしたいと思った曹昂は曹操の私邸の方に顔を出す事にした。
「弟達に会うのだから土産に何か持っていくか。まだ、子供だし・・・・・・丁度良いのがあるな」
曹昂は年齢的に問題ないと思い、直ぐに材料の準備をした。
翌日。
曹昂は護衛と共に曹操の私邸へと向かった。手には包みに入っている箱を持っていた。
先触れを出していたので、屋敷に着き門が開けられると母である丁薔がいた。
「これは母上。出迎えをしてくれるとは、嬉しく思います」
「子が来ると言うのに、親が出迎えない道理はないでしょう。今日はゆっくりできるのかしら?」
「はい。久しぶりに弟妹達の顔を見たいと思いまして」
「そう。今日は久しぶりに家族皆で団欒ね」
その後、丁薔と話をしてから、曹昂は弟達が居る部屋へと向かった。
廊下を歩き、その部屋の前に着くと姦しい声が聞こえて来た。
曹昂は何事だと思いながら、そっと部屋を覗き込んだ。
「あにうえがうごくから~」
「しかたがないだろう。ひまだったんだからっ」
「彰。今日は字を書く勉強だろう。ジッとしてないと駄目だろう」
三人の弟達は顔や着ている服を黒くしていた。
曹彰の前に置かれている机が倒れており、机の上に置かれていた筆やら字の練習に使う竹簡やら墨が床に散らばっていた。
曹植は着ている服に墨が掛かったので目に涙を浮かべて、べそをかいていた。
曹丕は曹彰を窘めようとしているが、肝心の曹彰は聞いている様子はなかった。
(…………一目見ただけで、どうしてこうなったのか分かるというのが面白いな)
恐らくは、曹丕達は最初真面目に勉強していた様だが、曹彰が飽きたのか勉強を止めて立ち上がろうとしたら、足に机が当たり倒れて机の上に置かれていた物が床にばら撒かれ、飛んだ墨が曹丕と曹彰と曹植に掛かったのだろうと推察する曹昂。
(このまま見ていても仕方がないから、部屋に入るか)
曹昂は部屋に入る事にした。
「騒々しいから何事かと思って来てみたら、これは一体どうなっているんだ?」
曹昂はさも今来たばかりの様に言う。
「「「あっ、兄上」」」
曹昂を見るなり、曹丕達は言い争いをピタリと止めた。
「丕、彰、植、これは一体どういう事だ?」
曹昂が訊ねると、曹丕と曹植が曹彰を指差した。
「彰(あにうえ)が暴れて」
「い、いや、べつにあばれてないし。ただ、ひまだったから、からだをうごかしたら、つくえが」
曹丕と曹植の証言に曹彰はあたふたしながら、言い訳をしようとしだした。
その言い訳する姿が面白いのか曹昂は笑いながら、曹彰の頭を撫でた。
「分かった分かった。ようは、勉強に飽きて、身体を動かしたら机に当たって倒れて床にばら撒いたという事か」
曹昂がそう言うと曹彰はその通りとばかりに頭を振った。
「まぁ、人は誰しも得意不得意があるのだから仕方が無い。とりあえず、今は」
曹昂は曹丕達を見て、身体を洗った方が良いなと思った。
「部屋の片付けは侍女に任せておくとして、三人は着替えて来なさい」
「「「はぁい」」」
曹昂がそう言うと、曹丕達は素直に従った。
暫くすると、着替え終わった曹丕達が来ると、曹昂は部屋の片付けを侍女に任せてその場を後にした。
そして、曹昂は手に持っている物の包みを開けた。
箱の蓋を取ると、中に入っていたのは竹で作られたTの形をした物が三つ入っていた。
「兄上、これは?」
「これはね。竹トンボと言う物だ」
「「「たけとんぼ?」」」
曹昂の名称を聞いても、曹丕達は初耳なのか首を傾げていた。
曹昂は竹トンボの一つを手に取り、棒の部分を両手の掌で挟むと擦り合わせるように動かすと、横の板が回転して空へと飛んだ。
「「「うわあああああっっっ⁉」」」
よく分からない物が回転しながら、空へと飛ぶのを見て感嘆の声をあげる曹丕達。
回転しながら青い空を飛び上がり続ける竹トンボ。
少しすると、回転しながら地面へと落下していった。
中庭に落ちると、曹彰がいの一番に駆け出してその竹トンボを掴んだ。
「あにうえ、これであそんでいいですか⁉」
「ああ、良いよ」
曹彰が曹昂の許可を得ると、先程曹昂がしたように両手の掌で挟み擦り合わせるように動かしたが、回転が足りないのか、曹昂が飛ばした様に空へと飛び上がらず、少しだけ飛んで直ぐに地面へと落ちて行った。
曹彰は飛ばそうと懸命に頑張っていた。
「あにうえ、わたしも」
「はいはい。良いよ」
曹植が目を輝かせながら欲しいという顔をしていたので、曹昂は箱に入っている竹トンボを渡した。
曹植は曹昂に礼を述べた後、曹彰と一緒に竹トンボを飛ばそうと頑張っていた。
二人が遊んでいるを見た曹昂は内心上手く出来て良かったと思った。
作り方は何となくで覚えていただけなので、完成品が出来るまで何度も失敗していた。
何とか出来て良かったと思う曹昂。
「丕もやらないか?」
曹昂は手に竹トンボを持ちながら訊ねると、曹丕は何も言わず曹昂を見ていた。
「良いのでしょうか? この時間は勉強する様に母上に言われていたのに」
「卞夫人が。それで」
普段勉強よりも身体を動かす事が好きな曹彰が机に座って勉強しているので、不思議に思っていた事が分かり納得した。
「なに、遊んだ後にでもすれば良い。夫人が何か言っていたら、私が遊びに来たから、勉強が出来なかったと言えば良いよ」
だから、遊んでいいぞとばかりに笑う曹昂。
「・・・・・・兄上は凄いですね」
「うん?」
曹丕がポツリと零したので、曹昂は曹丕の言葉に耳を傾けた。
「父上や母上達の信頼も厚く、家中でも称賛されていて、何度も戦場に出て武功を立てて私が知らない物を色々と作る事が出来るのですから・・・・・・・」
「ははは、別に本で読んだ事を活かしているだけだよ」
「私が同じ本を読んだとしても出来るかどうか・・・」
曹丕がそう言うのを聞いた曹昂は顎を撫でた。
「さっきも言ったが、人は誰しも得意不得意があるのだから仕方が無い事だ。それに、私だって出来ない事があるよ」
「兄上がですか?」
文武に秀でて色々な物を発明してきた自慢の兄が出来ない事があると聞いて、曹丕は目を丸くした。
曹昂は手で顔を抑えながら呟いた。
「・・・・・・詩が書けないんだ」
曹昂はポツリとそう零した。
幼い頃より色々と出来た曹昂であったが、詩文を書く才能が無かった。
一度、曹操に書いた詩文を見せたのだが。
『こんな物、詩でも何でもないわ‼』
大激怒した。
その上、曹昂の詩が書かれた竹簡を叩き折り、踏んで炉に入れて焼却した。
その後も、曹操が詩についてみっちりと教え込んだのだが、曹操の目には詩と言える物は出来なかった。
しまいには、匙を投げたのかもう教える事を止めていた。
後年、曹操は「子脩は出来た子である。これで、詩を書く才能があればな」と曹昂の詩を書く才能が無い事を嘆いた。
この時代、詩を書けるという事は知識人の必須の教養であった。
詩が書けないという事は教養が足りないと取られてもおかしくなかった。
詩人である曹操としては長男で、跡継ぎの最有力候補である曹昂にそれが許す事が出来なかったのだが、どれだけ教えても駄目なので、曹操はもう諦める事にした。
「そう言えば、何時だったか父上が私の詩を読むなり『丕の詩の才能が万分の一でも子脩にあればな』とポツリと零していました」
「・・・・・・・・なんか申し訳ないな」
曹昂として頑張ったのだが、詩と言える物が書けなかった。
よく教えて貰ったというのに、申し訳ないと思う曹昂。
曹昂が溜め息を吐くと、曹丕は苦笑いしていた。