因果は巡る
城内の沿道には多くの人々が詰め掛けていた。
その人々の視線の先には、牛車があった。
牛車の先頭には、曹操軍に捕まった沮授がおり、車の周りには多くの者達が居た。
その者達全員、白い粗末な衣装を纏っていた。
牛が引いている板には棺が乗せられていた。
棺が乗せられている板にはのぼりが立て掛けられていた。
のぼりには『冀州州牧』や『大将軍邟郷侯』と書かれていた。
詰め掛けた者達も字が読める者達ばかりではなく、のぼりに何と書かれているのか分からず首を傾げていたが、棺を運んでいるのを見て、偉い人の遺体を運んでいるのだと分かった。
「おい、もしかして」
「ああ、多分そうだろう。あの棺の中には袁冀州牧の遺体が入っているんだろうな」
字を読める者達がそう呟くのが聞こえたのか、沿道に詰め掛けている者達は驚いていた。
棺に入っているという事は、袁紹が死んだと言う事だからだ。
負けはしたが、てっきり生きていると思っていたので、死んだと分かり沿道に詰め掛けていた者達は悲しんだ。
だが、全ての人々が袁紹の死を悲しんだという訳でもなく、中には憤怒に燃えた目で棺を見ている者達も居た。
その者達は先の官渡の戦いで家族を失った者達であった。
袁紹の死を悲しんでいる者達の中にも、官渡の戦いで家族を失った者達も居たが、彼等からしたら家族を失った悲しみよりも日頃から仁政を行ってくれた良き統治者である袁紹の死の方が悲しかったという事であった。
沿道に居る者達は袁紹の死に嘆き悲しむ者と怒りと恨む者達の二通りに別れていた。
此処で一石でも投じるような事が起これば、暴動が起こりそうであった。
そして、その恐れていた事が起こった。文字通りの意味で。
沮授を先頭に進む牛車の一団に棺に向かって石が投じられた。
棺に石が当たり、音を立てて弾いた。
沿道に居る者達は誰が石を投げたと思い、投げたと思われる所に目を向けると、其処には青年がいた。
青年は目を見開かせながら、荒く息をついていた。
「この漢王室に逆らった逆賊めっ、死んで許されると思っているのか‼ 俺の弟を返せ!」
青年は石を拾い投げだした。
周りに居る者達は青年の行動に驚いて何も出来ないか、青年に同調して石を投げるか、棺に向かって罵詈雑言をぶつけていた。
石は狙い着けていないのか適当に投げられており、棺に当たるのもあれば沮授達にも当たるのもあった。
牛にも当たったので、牛が石をぶつけられた痛みと当たった衝撃で暴れ出しかけた。
「お前達、何をしている‼」
「この不届き物が‼ 石を投げている者達を全員捕らえよ!」
石を投げられても沮授達が抵抗しないでいる中、袁譚と袁尚が百騎ほど連れて来た。
ちなみに、何故袁譚達が共に来たのかと言うと、兵の報告で沮授が棺を運んで来たと聞いて、袁譚と袁尚の二人が沮授を迎えに行くと言って譲らなかったので仕方が無く二人一緒に向かう事になったのだ。
向かう最中もいがみ合う二人であったが、沮授達に石が投げられているのを見るなり激怒して声をあげた。
兵達にも石を投げている者達を捕まえる様に命じた。
命じられた兵達は石を投げた者達を捕まえようと駆けるが、向かって来る兵達を見て沿道に詰め掛けている者達が蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
兵達は逃げ出した者達を追い駆けて行った。
「大丈夫か? 沮授」
「大事ないか? 全く、戦に負けたとは言え、何と言う不届きな事をするのだっ」
袁譚と袁尚が沮授に怪我が無いか訊ねて来たので、沮授は一礼した後応えた。
「若君方。心配して頂き感謝いたします。ですが、怪我らしい怪我はしていませんでので、ご安心を」
「そうであるか」
「ところで、沮授よ。この棺には何が入っているのだ?」
袁尚は棺を見ながらそう訊ねてきた。
「…………此処では人目がありますので、ひとまず内城の庭でお見せします」
沮授は少し言葉を詰まらせた後、そう告げた。
それを聞いた袁譚達はそれ以上、何も訊かず頷いて沮授達を護衛しつつ目的の場所へと向かった。
暫く歩いた後、内城の庭の一角。
既に家臣達にも話が通っているのか、城内に居た家臣全員集められていた。
「此処でならば良いでしょう」
沮授はそう言って棺の蓋に手を掛けて、そっと横にずらした。
蓋が横に動いた事で、光が入り徐々に棺の中に入っている物が分かった。
「……父上っ⁉」
「ああ、何という事だ・・・」
「「「殿っ!」」」
棺の中には袁紹の遺体が入っていた。
首元には布が巻かれており、顔には化粧が施されていた。
頭には兜は被っていないが、幅の広い絹の頭巾が被さっていた。甲冑は纏ったままで、鞘に収まった剣が胸に置かれ両手で柄を握られていた。
袁紹の遺体を見て、袁譚と袁尚を含めた家臣達はその場で涙を流し悲しんだ。
「父上・・・、さぞ無念であったでしょう。逆賊曹操に敗れるなど・・・」
「父上を助ける事が出来なかった、不出来な息子をお許しを・・・」
袁譚と袁尚の二人は袁紹の遺体を見て、悔しそうに嘆いた。
一頻り嘆いた後、袁譚は袖で涙を拭った後、まだ目の周りを赤くしながら、沮授に訊ねた。
「沮授よ。一つ聞きたい」
「何なりとお聞き下され」
「父上の死は悲しいが、遺体は戻って来てくれた事は嬉しい。だが、どうして、其方が父上の遺体を持って帰って来る事が出来たのだ? それと、どうして父上は兜を被っていないのだ?」
「それにつきましては、恥ずかしい事ですがお話いたします。私は先の官渡の戦いで、運悪く曹操軍の捕虜となりました」
沮授が説明しだすと、話を聞いていた郭図が内心で牢の中にいたのだから逃げられる訳が無いと思いながら聞いていた。
「そして、私は曹操の前に突き出されたのです。曹操は私を見るなり、部下になれと言って来たのですが、私は袁紹様に仕えている事を申し断りましたが、それでも曹操は勧誘し続けました。私が頑として頷かないので、曹操は私を処刑する事なく捕虜のままにしましたが、隙を見て逃げ出したのです。そして、逃げている最中に、袁紹様の御身体を見つけたのです・・・」
其処まで話した沮授の目に涙が流れた。
「では、その時から父上は兜を被っていなかったのか?」
「はい。私が見つけた時には既に、このままにしては、駄目だと思いお身体だけは若君方の元に返そうと、身体を奪いこうして運んで参りました」
「そうか。ご苦労であった。沮授。それにしても、曹操め・・・」
「父上の友人であったと言うのに、父上を此処まで嬲るとはっ」
二人は袁紹が兜を被っていない事情が分かり、曹操への怒りを滾らせた。
戦場で兜を奪われるという事は、首を取られるのと同じという事と意味していた。
袁譚達からしたら、身体は戻って来ても首を奪われたままという感覚なのであった。
曹操へ怒りを新たにした袁譚達であった。
このまま、打倒曹操という一念で団結するかと思われた。
だが、袁紹の葬儀が執り行われると、今度は袁譚と袁尚の二人はどちらが喪主を務めるかで揉めた。
家臣達も袁譚が務めるべきと言う者もいれば、袁尚が務めるべきだと言う者の二通りに別れた。
袁煕も葬儀の場に居たが、誰も喪主を務める様に勧めなかった。
仕方がないので、袁紹の妻の劉夫人が喪主を務める事となった。
嘗て、袁紹の父が亡くなった際も袁紹は異母弟の袁術と喪主を務めるかどうかで揉めた。
それが、袁紹の子でも同じように揉めたのは、因果とも言える事であった。
数日後。
許昌に居る曹操の下にもその報告が届いた。
その報告を訊くなり「父親と同じ愚を犯すとは、袁紹はどうやら父親としては失格であったようだな」と呟くのであった。