落ち込んでいる時こそ説得の好機
数日後。
関羽は曹昂がいる魯陽県に辿り着いた。
城内の大広間で、関羽は曹昂と謁見していた。
「お借りした秦琪の首です。お返しいたす」
膝をつく関羽の前には布が解かれた秦琪の首が置かれていた。
「確かに」
上座に座る曹昂は趙儼を見て顎でしゃくった。
趙儼は曹昂に一礼した後、家臣の列から離れて関羽の前まで行き秦琪の首を再び包み直して両手で持ち、部屋を後にした。
「首を返して来たという事は、説得は・・・」
曹昂がそう訊ねると、関羽は首を振った。
と言いつつも、既に関羽を後を追い駆けていた騎兵達が関羽がこの城に来る二日前に戻ってきており、報告は聞いていたので、既にどうなったのかは知っていた。
知っていても、これからの事を話す為に敢えて話を振ったのであった。
「と言う事は、もう劉備殿の元に戻れないという事か、これから如何なさるので?」
「……お借りした物を返しに来た場で、失礼と思いましたが、お願いしたき事があります」
「ふむ。何かな?」
曹昂は関羽が何を言うのだろうと思いながら訊ねた。
「この城の庭の一角をお借りさせて頂きたい」
「……ほぅ」
関羽の頼みを訊いた曹昂は直ぐに何をするのか分かった。
(自害するつもりか。まぁ、関羽を劉備から切り離しただけでも十分なんだけど、説得して部下に迎えるのも悪くないか)
応じるかどうかは分からないがと思いつつ口を開く曹昂。
「関羽殿。貴方がどんな気持ちなのかは分かりませんが、どうかそう死に急がなくても良いではありませんか」
曹昂の言葉を聞いた関羽は眉を動かした。
これから、自分がする事を悟られたと思いながら、関羽は答えた。
「……義兄弟の誓いを破ったつもりはござらんが、然れど、兄者があの様に言うという事は、私の知らぬ所で誓いを破る事をしたということ。信義に叛いてまで生きようとは思いませぬ」
「信義に叛いてまで生きるつもりはない。成程、父が一目置くだけの御方だ。素晴らしい考え方ですな」
曹昂は関羽の考え方を素晴らしいと称えた後、話を続けた。
「乱世である以上信義を示すという生き方も悪くは無いと思いますが、乱世に生まれいずれたのですから、男としてするべき事は他にもあるでしょう」
「他ですか? ……申し訳ござらんが、寡聞にして存じません」
関羽は曹昂が言いたい事が分からず頭を捻っていた。
「乱世に生まれたのだから、後世に名が残る程の功を立てる。それが武人の本懐では?」
「むっ」
曹昂の言葉に関羽は反論する事が出来なかった。
乱世の時代に生まれ、戦場に出てきた関羽にもそういう思いはあった。
「貴方が此処で自害した所で、名誉ある討ち死にでもなく後世にまで謳われる程の自害でもない。義兄弟に裏切りを疑われたまま死ぬという不名誉な死しか残りませんぞ」
「…………しかし、義兄弟の誓いを破った以上は……」
曹昂の話を聞いて気持ちが揺れているのか、関羽は眉間に皺を寄せて悩んでいた。
(劉備に裏切り者と言われて、気持ちが滅入っているから、こちらの説得を聞いている様だ)
関羽の様子からそう思う曹昂は口元に笑みを浮かべつつ言葉を続けた。
「義兄弟の誓いと言いますが、その誓いを破ってでも行動し後世に名を残した者はおります。関羽殿はその者に倣えば良いだけでは?」
「その様な者が居るのですか?」
「漢の高祖劉邦ですよ。嘗て漢の高祖劉邦は西楚の覇王項羽と義兄弟の契りを結んでいたが、劉邦は項羽を討ち、漢王朝を打ち建てた。これで、もし劉邦が項羽と義兄弟のままでいれば、漢王朝は存在しなかったでしょうね」
「む、むぅぅぅ…………」
関羽はどうしたらいいのか分からなくなり頭を抱えていた。
「まぁ、そう焦らずにじっくりと考えてから、身の処し方を考えても良いと思いますよ」
曹昂がそう声を掛けると、関羽は取り敢えず頷いた。
「さて、首も返って来た事なので、我等は許昌へ帰還します」
「そうですな。もう季節は冬ですからな」
「ええ、もう冬になるので、何処かを攻め込むというのは色々と無理があります。ですので、陽安県に寄って賊を鎮圧していた部下達と合流した後、許昌へ帰還しますが関羽殿もどうでしょうか?」
曹昂が一緒に許昌に来ないかと誘うが、関羽は迷っていた。
「それは流石に。曹操殿と別れてまだそれほど時は経っていませんのに、会うのは」
「父はそんな事を気にしませんよ。寧ろ、小躍りしながら喜ぶでしょう」
曹昂がそう言っても、関羽は悩んでいた。
「まぁ、行く宛てが有るのであれば、無理にとは言いませんが・・・」
その場合は、直属の間者である三毒に見張らせようと思う曹昂。
「……もはやこの身は何処にも行く宛てなどござらん。お言葉に甘えさせて頂きたい」
少し考えた関羽は曹昂と共に許昌に行く事に決めた。