関羽、去る
劉備が関羽の事を思っている時と同じ頃。
許昌にある関羽邸。
その屋敷にある一室で関羽が一人席についていた。
曹操が居る丞相府に何度足を運んだが、避客牌が掛けられたままであった。
このままでは、どうにもならないと思った関羽は先程、信頼できる友人の張遼の元を訪ねたのだが。
「申し訳ありません。主は病に臥せっておりまして、医者以外は誰にもお会いできません」
屋敷の門を叩くと使用人がそう申し訳なさそうに告げた。
恐らく仮病だと思ったが、張遼の立場を考えると会いたくても会えないと察した関羽は使用人に何も告げずその場を離れた。
そして、自分が使っている屋敷に戻って来た。
「…………礼儀を通したかったが、これまでか」
関羽はそう呟いた後、屋敷に居る使用人達を呼んだ。
「皆、良く聞くが良い。明日の朝にこの屋敷をくまなく掃除せよ。それと、曹操殿から賜った物は全てこの部屋に運ぶのだ。全て、曹操殿にお返しする。一つでも、懐に入れようとした者は斬り捨てる故、肝に命じておくよう」
関羽は目をキラリと光らせながら使用人達を見た。
その目を見た使用人達は本気だと察した。
そんな中で、使用人の一人が手を挙げた。
「あの、賜った馬は如何なさいます?」
この屋敷の厩舎には曹操から貰った赤兎の血を引く馬が繋がれていた。
その馬もこの屋敷に置いて行くのかと訊ねて来るので、関羽は即答した。
「無論、それも返す」
関羽は惜しいとは思うが、馬の成長を待つ程悠長にしていられなかった。
なので、この屋敷に置いて行く事にした。
「では、明日は頼んだぞ」
関羽はそう言って自室へと戻って行った。
部屋に戻ると関羽は何かを認めだした。
翌朝。
日が昇り、朝食を取り終えた関羽は直ぐに丞相府へと向かう事にした。
屋敷を出る際、使用人達が屋敷の至る所を綺麗に掃除をしていたので、問題ないと思い安心して丞相府へと向かった。
暫し駆けた後、関羽は丞相府の前に辿り着いた。
相変わらず門には避客牌が掛けられたままであった。
関羽はそのまま暫くの間、門前で避客牌が下ろされるかどうか待った。
朝が過ぎ、昼が過ぎ、時刻は夕方から夜になろうとしていた。
どれだけ待っても門には避客牌が掛けられたままであった。
「一言挨拶したかったが、それも敵わぬか」
関羽は馬から降りて、門に向かって深く頭を下げた。
「一時とは言え、世話になった事に感謝申し上げます。関羽雲長、約束に従いお暇いたす」
頭を下げながら関羽は曹操に礼を述べた。
そして、頭を上げると関羽は馬に乗り来た道を引き返して行った。
屋敷に戻ると、使用人達が出迎えてくれた。
「ご命令通り、屋敷の掃除は終わりました。曹操様から賜った物は全て言われた所に運びました」
「誰一人であろうと、取った者はおらんな?」
「はい」
使用人の一人がそう言うと、他の者達も同調する様に頷いた。
売れば一財産になりそうな物ばかりであったが、それを手に入れても斬り殺されてはたまった物ではないと思ったのか、誰も密かに盗もうとする物は居なかった。
「そうか。ご苦労であった。少ないが、今まで仕えてくれた礼だ」
そう言って関羽は懐から袋を取り出した。
袋の中には朝廷に仕えた事で貰った俸禄が入っていた。
関羽は袋の中から、使用人に一人ずつに銀を数枚渡していった。
「では、さらばだ」
使用人達にそう言うと、関羽はその場を後にした。
その足で南門に向かうと、門を守っている兵達を脅して門を開けさせた。
「済まぬが。曹操殿にこの文を届けて欲しい」
関羽はそう言って袖の中に入れていた文を取り出して兵士に渡した。
そして、門を潜り許昌を出て行った。
関羽が出て行ったという報は直ぐに曹操の下に齎された。
「関羽が出て行ったというのか⁉」
「は、はい。後、丞相にこの文を渡すようにと」
報告に来た兵は曹操に関羽から渡された文を渡した。
文を受け取った曹操は直ぐに中を見た。
「私に対する礼状か…………」
文には世話になった事への感謝と、賜った物は全て屋敷の部屋に置いてある事と赤兎の血を引く馬は厩舎に繋がれている事が書かれていた。
「律儀な男だ。これ程の義士がこの国にどれだけいるか、見事なものだ」
曹操は関羽の礼状を読み、その律義さを称えた。
逆に周りにいる家臣達が騒ぎ出した。
「丞相、このまま関羽を劉備の下に行かせても良いのですか⁉」
「関羽ほどの男を劉備の下に行かせれば、いずれ、丞相の災いとなりましょう」
「丞相。此処は関羽を討つ命令をっ」
家臣達は関羽を討つべしと声高に叫んでいた。
「ならん!」
騒ぐ家臣達に一喝する曹操。
「関羽は私の元に降る際、三つの約束をした。関羽はそれを守ったにすぎん。此処で、関羽を追い駆けて討とうものならば、この曹操は世間の笑い者になる」
曹操が関羽を討たない理由を述べるが、それでも程昱は述べた。
「ですが、一言挨拶して言っても良いと思いますが」
「それは関羽としても仕方が無かったのであろう。私の門に避客牌が掛けられたのだから、挨拶する事も出来なかったのであろう。これは私の落ち度と言えよう」
曹操は挨拶に来なかったのは仕方が無かったのだと告げた。
「しかし、このまま別れたのでは、ちと申し訳ないな。追い駆けて、きっちりと別れるとしよう。馬を引けっ」
曹操が馬を引けと命じると、何人かの者達も付いて行くと言い出した。
「好きにせよ。だが、鎧兜は纏うでないぞ。荀彧」
「はっ」
「関羽に餞別を送りたい。用意してくれ」
「承知しました」
「張遼。お主は先に向かい、関羽に別れの挨拶をしたいので、少しで良いので足を止めてくれと伝えて参れ」
「はっ。では、直ちに」
張遼は一礼すると、その場を後にした。