凱旋したい所だが
沮授との交渉を終えた曹操は広間に戻ると、追撃に出て来る将達が送って来る報告を訊きながら、ふと思い至った。
「敵軍の捕虜はどう考えても数万は居るであろうな」
曹操の呟きに、さもありなんという顔をする許攸。
「そうでしょうな。この度の袁紹軍は四十万の兵を出しました。追撃で討ち取られた者、逃げるのに成功した者も居るでしょうが、少なく見積もっても捕虜になる者は一万以上は居ると見た方が良いでしょう」
許攸の分析に荀攸も頷いた。
「でしょうな。しかし、それの何か問題でも?」
荀攸は曹操がそう呟いた理由が分からず訊ねると、賈詡が語りだした。
「兵糧の問題ですか?」
「その通りだ」
賈詡が言うと、曹操は正解とばかりに頷いた。
許攸と荀攸は直ぐにその言葉の意味を察した。
「確かに、今の我が軍の兵糧は袁紹軍より奪った物ですが、これ以上兵が増えると許昌に着くまでに尽きるかもしれませんな」
「今は何とか持っておりますが、これ以上増えますとどうなるでしょうな」
勝利したというのに、凱旋途中で飢えるなど笑い話にもしかならなかった。
「さて、どうするべきか」
曹操が考えていると、許攸が語りだした。
「此処は殺すしかないと思います」
「捕虜をか?」
曹操が尋ねると、許攸は頷いた。
「左様です。兵糧が欠乏すれば、反乱が起こるかも知れません。袁紹に勝利して凱旋している途中で反乱が起きてしまっては、天下の笑い者です。此処は捕まえた捕虜達を全員殺すしかありませんぞ」
許攸は強く進言した。
「・・・・・・分かった。兵達に穴を掘るように命じよ」
曹操が穴を掘れという命令を下したのを聞いて、直ぐに荀攸達は捕虜を生き埋めにすると悟った。
兵糧が問題ある以上、仕方が無いと思い荀攸達はその命令に従った。
数刻後。
追撃に出た曹操軍の将兵達はと多くの戦利品と捕虜を連れて、官渡城へと帰還した。
戦利品を手に入れる事が出来た兵達は城に入る途中の道の大きな穴を幾つも見つけた。
兵達は何をする為の穴なのか分からず首を傾げていた。
そして、城内に入ると袁紹軍の捕虜の数を数え出した。
暫くすると、数えていた者達の数を合せて、その合計を許攸に報告した。
「丞相。捕虜は全部で八万との事です」
「八万か。流石にそれだけの数を連れて許昌には戻れんな」
「承知しました」
許攸は直ぐに兵達に捕虜を城外に連れて来るように命じた。
兵達は命じられるがまま、八万の捕虜を城外へと連れて行った。
捕虜達は縄で縛られているので抵抗する事も出来ず連れていかれて行った。
城外に出ると、許攸の命令で兵達は城に入る前に見た穴の所まで来た。
「穴の前に捕虜を立たせよ」
許攸がそう命じるのを聞いて、兵達は何をするのか分かった。
捕虜達も自分達がどうなるのか分かり、叫び出した。
「助けてくれ!」
「俺には妻と子供がいるんだ‼」
「俺も家には病気の親が居るんだ!」
「どうか、御慈悲をっ⁉」
兵達の悲痛な叫びに一部の曹操軍の兵達は流石に落とすのを躊躇しだした。
「ならん! 捕虜は全員、生き埋めにせよ。それが丞相の命令だ‼ 埋めよ‼ 従わない者はっ」
許攸が手を掲げると、弓を番える兵達がおり矢を番えていた。
命令に従わねば射殺すと言わんばかりに。
「・・・・・・悪く思うなよっ」
躊躇していた曹操軍の兵達の一人が捕虜の背を蹴った。
蹴られた捕虜は悲鳴をあげて穴に落ちて行った。
一人行動すると、他の兵達も倣うように捕虜達の背を足で蹴飛ばすか、持っている槍の石突きで押していった。
押されて次々に穴に落ちていく捕虜達。
積み重なるように落ちていくので、下に居る者は重みで死んだ者も居れば、穴に落ちて打ち所が悪かったのか死ぬ者までいた。
だが、殆どの者達は穴に落ちても生きており助けを乞う声や悲鳴をあげていた。
「捕虜は全員、穴に落としました」
「良し、土を掛けよ」
許攸がそう命じると、兵達は鍬を使い土を掛けて行った。
土が掛かる度に、捕虜達は止めてくれ、助けてくれと叫んでいた。
その悲鳴を聞いて兵達は嫌そうな顔をしつつ手を止めなかった。
やがて、土が完全に捕虜達を覆い尽くしたが、掘って出て来るかも知れなかったので、その上に更に土を被せて行くように許攸は命じた。
その命令に従い兵達は土を掛けて行き、もう十分だろうと思える程に土を被せた所で作業は終わった。
作業が終わっても、兵達の耳には暫くの間、捕虜達の叫び声が耳に残っていた。
兵達の作業が終わると、許攸は曹操の下に報告に向かった。
「ご命令通り、捕虜は全員生き埋めにしました。逃げ出した者は一人もいません」
「そうか。ご苦労であった。下がって良いぞ」
「はっ」
曹操が下がるように命じると、許攸はその場を後にした。
部屋には曹操一人だけであった。
その曹操は何か考えているのか、眉間に皺を寄せていた。
(これで、兵糧の問題は解決した。後は戦利品を持って凱旋すれば良い。後問題は)
曹操の中で残る問題は関羽であった。
荀彧の報告で許昌には劉備の夫人達は居ない事が分かった。
関羽の性格から、間違いなく捜しに行くだろうと予想できた。
此度の戦で多くの戦功を立てたので、関羽としては恩義に報いたと思ってもおかしくなかった。
(しかし、このまま関羽を手放すのは惜しい。どうするべきか?)
曹操はどうしたものかと考えていたが、何も良い考えが浮かばなかった。
其処に取次ぎ役をしている許褚が部屋に入って来た。
「申し上げます。張遼殿が丞相にお会いしたいとの事です」
「張遼が? 通せ」
関羽と親しい人物が来たので、曹操は丁度良いとばかりに話をする事にした。
部屋に通された張遼は曹操に一礼する。
「丞相。此度の大勝利は誠に丞相の慧眼と軍略があってこそ出来た事です。流石は丞相にございます」
「世辞は良い。それよりも、お主に話したい事がある」
張遼の世辞を聞き流した曹操は直ぐに関羽についての諸々を話し出した。
「成程。であれば、私に一計がございます」
「なにっ、良い考えがあるというのか⁉」
「はい。少々お耳を」
張遼がそう言うので、曹操は耳を近付けた。